2020-1-19 鍋倉山・山スキー
記録的暖冬で下界は積雪ゼロ。
でも山にはそれなりに降ってます。
鍋倉山頂で積雪約3m。
ガッツリパウダーいただきました。
2019-2-24 越後の山 その2 東谷山
越後の山第2弾は東谷山。
日白山のとなりにたたずみ、藪山で無雪期は山登りの対象にならないが、アプローチが比較的容易で北西斜面のパウダースノーが楽しめるということで、最近は多くの山スキーヤーが訪れる中越定番の山になっている。今回パウダー狙いで行ってみたのだが・・・。
前日、こちらも中越の山スキーの定番・阿寺山に行ってみたが、このところの降雨が凍り斜面は固く、その上に少しの新雪が 載っただけの斜面はでこぼこ。おまけにガスに覆われとても滑りを楽しむ状況ではなかった。うってかわってこの日、雲ひとつない青空と澄んだ空気、そしてさんさんと輝く太陽。眺望は最高、でも帰りは雪が 腐ってるだろうなー。
下山先になる貝掛温泉バス停広場に車をデポして路線バスで二居へ。バスには登山客が10数人乗りこんでいた。運賃はスキー持ち込み料含めて300 円。集落の入り口からシールを付けて二居峠を目指した。春のような陽気でスタート時点からハードシェルを脱いだ。峠の林道入り口でバスが一緒だった登山者のパーティが出発準備をしてい た。
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![]() 二居峠 |
![]() 眼下には国道17号 |
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![]() 雪庇 |
![]() 平標山が覗く |
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![]() 鉄塔 |
![]() 絶好の天気 |
![]() 絶景の三国山脈 |
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トレッカーの一行がおりてきた。
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![]() ブナとダケカンバの美林帯 |
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![]() 犬が・・・。 |
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![]() 見事な快晴 |
![]() あの人だかりが東谷山の山頂 |
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![]() 下山のスキーヤー |
![]() 越後山脈 |
![]() 三国山脈から谷川連峰 |
![]() 苗場山も見える |
![]() 日白山への稜線 奥には万太郎山 谷川岳ものぞく |
![]() きれいな疎林帯を滑る |
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![]() 沢の下部は腐り雪 |
![]() 国道に出た |
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![]() デポ地点へ国道沿いを滑る |
今シーズンは早く終わる感が濃厚だ。
2019-2-23 越後の山 その1 阿寺山
2月の厳冬期にパウダー狙いで越後を訪れた 。
2連戦となった第1弾は定番の阿寺山。あすは東谷山だ。
今回のメンバーのうち、ふたりは昨年も訪れたとのことだが、滑り出しのルートミス で尾根脇の急斜面をひたすらトラバースとなって消化不良だった様子。今回そのリベンジにジョインさせていただいた。
この日はあいにくの天気ですっきりしない。スタート地点の広堀橋からみる阿寺山は雲の中だった。先行車は1 台。準備中にぞくぞくと3台ほど集まってきた。みな首都圏ナンバー。雪の壁を登って出発。
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![]() 正面の尾根を登る |
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![]() 急登は続く |
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![]() 幻想のブナ林 |
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![]() ノウサギの足跡 |
![]() 1250m付近 |
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![]() 1350mの夏道附近 |
![]() 視界がひらけた |
ジャバミ沢の左岸尾根となる北西斜面を中心に滑降。滑り出しは急斜面だ。北斜面ほど新雪の厚さはないが滑るたびに表層が少し流れた。アイスバーンのような氷の斜面にうっすらと柔らかい雪がのっている状態だ。ターンするたびにごくごく小規模の雪崩が発生。本格的な雪崩を誘発する恐れがある。あまりストレスをかけてはいけない。下の先行者に重ならないようにルートを選び、連続ターンは避けた。そして斜滑降で斜面を大きく横切るように降りた。しばらく降りると斜度が緩い尾根に逃がれてひと安心だ。ジャバミ沢をのぞくとデブリが見える。明らかになだれた後だった。沢は危険なので尾根伝いにルートをとった。斜面は固くでこぼこしていて雪も悪い。アイスバーンを滑っているのと変わらずターンの難易度は高かった。しばらく下降してから谷が狭まるところで沢に入った。沢は随所でなだれていて、そこは最下部の雪崩デブリの 先端だった。よほど条件が良いとき以外、やはり沢底の滑降は避けるべきだ。
![]() ジャバミ沢滑降 |
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![]() 雪崩の跡 |
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![]() 広堀川出合 |
![]() おつかれさまでした。 |
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![]() カジカ酒 |
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2019-2-3 のんびりと鍋倉山
今年の奥信濃は積雪十分。
山スキー日和となった週末、関田山脈の主峰・鍋倉山に行ってきた。
今回のメインは写真。のんびり山歩き&山スキーを楽しんできた。
名物の濃霧に包まれた飯山盆地を抜け、一路温井集落へ。
除雪終了地点の道沿いには先客がズラリ。ほとんどが出発ずみで、準備しているのは2パーティほど。
すっきり晴れ渡った青空のもとビーコンのスイッチをいれ出発。
田茂木池の横をショートカットすると旧都立大小屋だ。そこからは私有地になるため急斜面を登って県道に出る。
![]() 鍋倉山を正面に |
![]() 旧都立大小屋横の崖を登る |
スノーシューの単独女性が降りてきた。山頂に行ってきたとのこと。
鍋倉のブナの山はスノーシューもいい。スキーは山登りもできてくだりも楽しめる、やっぱりスキーはもっといい。
![]() 小屋の先のトラバース |
細尾根をつめるとブナ林の中斜面になった。
単独のスキーヤーが滑ってきた。
一旦止まると、
「キツーーーー!」
奇声をあげている。
「重たいですかあ?」
「どうにもならん、ストップ雪」
そういえば自分、登りで大汗かいてハードシェルを脱いでいた。この陽気で雪が相当腐っているようだ。
「山頂直下はいい雪だったよ。楽しみにして登って」
そう言って
「キツーーーー!」
と叫びながら降りていった。
![]() 下の方はバカ雪 |
この尾根の右側には随所にオープンバーンがある。
4人のパーティが楽しそうに滑っていった。
帰りの楽しみだ。
向こうには関田山脈が青空のもと続いていた。
![]() 滑降 |
![]() 滑降 |
![]() 青空に続く関田山脈 |
立派なブナが目立ってきた。巨木の谷を左に尾根を登った。
![]() 大きなブナ |
![]() 冬の陽を浴びるブナ |
去年残雪期に見にきたが、今回は幹の大部分が雪に埋もれていて巨木感は乏しかったが、その存在感はやはり鍋倉の主である。
残念ながら枝の広がりは少なく、そろそろ天寿を迎えるのかもしれない。
ここまで数百年、鍋倉を見守り、開発から守ってくれた神の木。
いつまでも生きていてほしいものだ。
![]() 森太郎 やはりひときわ目立つ |
![]() 巨木の谷 |
![]() 影を伸ばす森太郎 |
見事なブナが一定間隔に立っている美しいところだ。
ここのツリーランは鍋倉の代名詞だ。
先行者を被写体に構図を試行錯誤した。
![]() ブナの美林を行く |
![]() 越後山脈がくっきり |
![]() 越後三山をバックにブナ林を登るスキーヤー |
頂きでは数目に先客達が休憩していた。
ドローンを飛ばしている人も。
そして正面には、妙高、火打を従えた頸城山塊がドーンと鎮座。
振り返ると野沢の毛無山、苗場山、越後三山。
高社山と飯山盆地の白い田園。
黒倉山の先には日本海までもが見渡せた。360度なかなかの絶景だ。
![]() 鍋倉山山頂 |
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![]() 絶景の頸城山塊 左から黒姫、高妻、妙高、火打 |
![]() 信越トレイル |
![]() 高社山と飯山盆地 |
![]() 日本海も見える |
![]() たまには記念撮影 |
登ってきた斜面は結構なシュプールが入っていたため、右のノートラック斜面をトラバース気味に左へ回り込んだ。
巨木の谷の上部を横断して登ってきた尾根へ。
森太郎の懐まで行くことも考えたが、曇り空になってきたため青空バックの森太郎はあきらめた。
巨木の谷の反対側のオープンバーンを物色することに。
ノートラック斜面を見定めてドロップイン。
シャーベット状だったが適度に楽しい。小回りターンを刻んだ。
斜面がなくなるころ横にトラバース。
さらに隣のオープンバーンが出てくる。高速大回りターンで一気に駆け抜けた。
爽快!のひとこと。
鍋倉山の魅力は、穏やかな山容となんといってもブナの森の美しさだろう。
今回も鍋倉の優しい懐に包まれながら贅沢な時間を過ごすことができた。
剱岳 点の記 2018年9月
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新田次郎の「劒岳 点の記」は、1907年7月(明治40年)、参謀本部陸地測量部の測量官・柴崎芳太郎が様々な困難と戦いながら未踏峰とされてきた剱岳の測量のために登頂を決行する実話に基づく小説。その任務は日本地図最後の空白地帯を埋めるという重要かつ困難を極めたものだったという。陸軍の測量隊をもってしても長らく未踏の頂として最後まで残された剱岳。そこには先人達が何度も挑んだに違いないが、その険しさからことごとく拒まれたこと、そして「登れない山、登ってはならない山」という山岳宗教上の迷信も加わり、人々の畏怖の念が高じた結果、未踏峰として残されたものと考えられる。それほどまでに人を寄せ付けなかった剱岳。長くあこがれていた山にこの夏挑戦してきた。
剱岳への一般ルートは2つ。室堂から剱御前を越え剣沢を下ってアプローチする「別山尾根ルート」、もう一つは馬場島から標高差2200mを延々と登る「早月尾根ルート」だ。今回は百名山の一般ルートでは最も危険度が高いといわれている「別山尾根ルート」に挑戦。このルートはなんといってもカニのタテバイ・ヨコバイが有名。測量隊率いる柴崎芳太郎もカニのヨコバイと思われる岩壁のアタックを試みるも断念した様子が「劒岳 点の記」にも描かれている。多くの山行記録にもこれらの難所が「怖い」ところとして書かれているがどんなところなのか。怖いもの見たさも手伝ってこのルートで頂を目指すことにした。
今回の山行では、剱のスリルと絶景を可能な限りカメラに収めてきたつもりだ。その光景を写真でお伝えできれば幸いだ。
休暇を取った週のど真ん中に超大型台風が列島直撃の予報。嵐の前の静けさか、台風が襲う前の二日間が勝負となった。ちなみに今でこそインターネットで正確な天気予報が把握できるようになったが、柴崎芳太郎が測量していた明治時代には不可能だった。トランジスターラジオが発明されるのも昭和に入ってから。小説には気圧計の変化から天気を読み取り、その差が山岳会より先に登頂できた要因だったことが描かれている。
1日目の朝、扇沢に向かった。今夜は剱澤小屋に前泊なのでそれほど急ぐ必要はない。トロリーバスは観光客ばかりで登山者の姿はない。観光放水中の黒部ダムを通りケーブルカー、ロープウェイと乗り継いで室堂へ着いたのは11:00過ぎ。
![]() 観光放流中 |
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室堂からは雷鳥沢キャンプ場まで下り、雷鳥沢の登山道にとりついた。お約束のライチョウ親子にも遭遇。登りの途中からは剱岳で有名なガイドと一緒になった。この方とは道中の要所要所でご一緒することに。雷鳥沢を詰め上がり剱御前小屋がある別山乗越まできた。
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![]() 雷鳥沢を詰める |
![]() ライチョウ |
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![]() 剱御前小屋に到着 |
![]() 剱岳を正面に剣沢をくだる |
![]() 剣沢診療所 |
![]() もうすぐ剱澤小屋 |
![]() 剱澤小屋 |
有名なカニのヨコバイの第一歩は”右足から”と書かれていた。
![]() 小屋の前の景色 |
![]() 小屋前から剱岳を望む |
![]() 小屋前から剱岳を望む |
![]() 剱の雄姿 夕陽を浴びる前剱と雲がかかる剱岳 |
![]() 揚げたてトンカツ |
<小屋情報:備忘メモ>
・1泊2食 10,000円、1泊夕食付 9,000円、1泊朝食付 8,000円、素泊まり 7,000円
・2段ベッド 畳敷き、布団付
・シャワー付き 1時間ごとの男女交代制、石鹸・シャンプーは自粛
・お湯はポットでふんだんに用意されている
・缶ビール、缶チューハイ、お酒、ペットボトル飲料等販売あり ノンアルコールビールはなし
・特製「剱人」Tシャツ(ノースフェース製)5,000円 S、Mサイズは品切れ
・水洗トイレ 紙は別箱へ
・お弁当は、しゃけ、ミートボール、漬物付 1,000円
・乾燥室あり
・消灯は21:00
・コンセントは各部屋2口
・朝食は5:00~
剣岳といえば、カニのタテバイ、カニのヨコバイの渋滞が有名。ハイシーズンだと1時間待ちもあるとか。テーブルをご一緒した女性によると、剱岳は2回目で前回も同じ時期にきて4:30に出発しタテバイ、ヨコバイとも渋滞しなかったらしく、今回は明るくなる5:00頃出るとのこと。われわれも従うことにした。
夜中に目が覚めて外に出ると多くの星が輝いていた。剱のシルエットに降り注ぐ星空を長時間露出で狙ってみた。
![]() 星空 高感度撮影 |
![]() 星空と剱岳 明かりは剣山荘 |
2日目。4時起床。向かいに横たわる黒い岩山のあちこちにヘッドランプが登っていくのが見える。夜明け前から剱岳登頂に出発しているのだ。先頭の人は前剣の中腹まで進んでいた。われわれはゆっくり支度して5:00少し前に剱澤小屋を出発した。一旦小屋の裏に回って剱沢を横断し剣山荘を目指した。沢を横切るころ東方が輝いてきた。みるみるうちに雲がピンク色に染まった。雪渓を残す剱沢とどっしり構える剱岳が朝色に照らされてきた。この一瞬をとらえた。
![]() 夜明け前の劔岳 すでに前剱の頂上に達しようとする人がいた |
![]() 黎明 八つ峰から剱岳のシルエット |
![]() 夜明け前の出発 |
![]() 黎明剱岳 |
![]() 剣山荘を出発 |
![]() 鎖場 問題ない |
![]() 立ちはだかる前剱 本峰はこの陰に隠れている |
![]() 一服剱から前剱 これを登る |
![]() 前剱のガレ場 |
![]() 別山、剱沢をバックに前剱を登る |
![]() 絶景を登る登山者 |
![]() 前剱のガレ場の詰め |
![]() 前剱頂上 富山湾が見える |
![]() 剱岳がすぐそこ 左下が恐怖の足場の橋 |
![]() ここから一方通行 |
![]() 恐怖の橋を渡る |
![]() 頂上に手が届きそう この先にカニのタテバイがある |
![]() 下山中の女性 ここを過ぎれば核心部終了 |
![]() 平蔵の頭はクライミング |
![]() 平蔵の頭は一旦登って下ります |
![]() カニのタテバイ全容 |
![]() カニのタテバイに取り付く |
![]() カニのタテバイ 完全にクライミング |
![]() カニのタテバイの詰めは絶壁のトラバース |
![]() カニのタテバイの上も岩場 |
![]() カニのヨコバイの真横 |
![]() カニのヨコバイ 最初の一歩 |
![]() かなりの高度感 |
![]() 最後の詰め |
![]() 早月尾根分岐 |
![]() 早月尾根 尾根上に早月小屋が見える 早月川が富山湾に注ぐ |
![]() 頂上の祠が見えてきた |
![]() 頂上の祠 富山湾が一望できた |
![]() ??? |
「あ!ガイドの●●さんですよね!」
「はい」
「いやー、ビデオで何度も見てます。うれいいなー、こんなところでお会いできるとは」
一人の登山者が声をかけると頂上は一時大騒ぎになった。
このガイドさんとは2日目の夕食でとなりになり、剱にまつわるいろんな話を教えていただいた。写真も達人でカレンダーやポストカードも販売されている。
頂上からは雲は多いものの360度見渡すことができた。三角点も確認し少しばかり『劒岳 点の記』の心境。柴崎測量隊の登頂ルートは長次郎谷だった。あまりの険しさで三等三角点の石標を荷揚げできなかったため四等三角点を築いた。のちにこの三等三角点はヘリで運んだそうである。
![]() 八つ峰と鹿島槍 |
![]() 点の記 三等三角点 |
![]() 白馬岳方面を望む |
「右足からだよ」
カミさんから指摘が。あれほど右足からと言い聞かせていたのに左足をおろしていた。あわててやり直して右足を岩棚に掛けた。なぜ右足かというと、2歩目が左側だから。単純。左足から行くと足を置き換えなければなりません、、、この余計な動作が事故のもとです。それにしてもかなりの高度感。無心に鎖を伝って横に這っていった。まさにカニのヨコバイだ。無事に通過。タテバイよりこっちの方が怖いかな?
![]() いよいよカニのヨコバイ |
![]() 足元はこんな感じ 矢印の下に第一歩を置きます |
![]() 下を見られません |
![]() こちらも名物のハシゴ |
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![]() 平蔵のコルにある小屋 今はトイレのための囲い |
![]() カニのタテバイ・ヨコバイ全景 |
![]() 平蔵の頭の下山を登る? |
![]() 剱岳を後にする |
![]() ケルンがある広場 |
![]() 剱岳を振り返る |
![]() これから前剱をくだる |
![]() 前剱の下山 |
![]() 前剱を振り返る |
![]() 手前に剣山荘、奥に剣澤小屋 ミニチュアのよう |
![]() リンドウ |
剣澤小屋までもう直ぐだ。その前に鉄板構図を狙いに剣沢におりてみた。まだ雪渓が残りその先にさっき頂きを踏んだ剱岳がその雄姿を見せていた。この光景、この達成感。やはり剱は日本屈指の山である。
![]() 雪渓残る剱沢と剱岳 |
![]() 雪渓と剱岳 |
![]() 雪渓残る剱沢と剱岳 |
夕食前、斜光を浴びた剱岳が圧巻で迫っていた。これほど見飽きない山もないだろう。
![]() 斜光の剱岳 |
![]() 小屋の前から |
![]() 朝焼けの剱岳 |
![]() 朝焼けの剱岳 |
![]() 朝焼けの剱岳 |
![]() 雷鳥沢の下り |
![]() 大日岳と富山湾 |
剱岳、記憶に残る山です。
信越トレイルSection1 2018年9月
信越トレイルは、長野県と新潟県の県境にある標高1000m前後の関田山脈の尾根上に作られたロングトレイルでその距離80kmにもおよぶ。登頂登山が一般的な我が国において趣の異なるロングルートだ。全体を6セクションに区切り各々のコースをおよそ1日ずつ走破する形式。すべて踏破したら全線走破証が発行される。
今回は第1弾としてセクション1を歩いてきた。
セクション1は斑尾山山頂(1381.8m)が起点だが、実質はその登山口のひとつチロル前(約900m)からのスタートとなる。しょっぱなからゲレンデ内を500m直登。ここが今回の核心部?信越トレイル踏破という意味では2時間の消耗戦からセクション1は始まった。途中まで文明の利器=リフトを使う手はあるが、なんだかなーと。まあ、リハビリ、筋トレ、ダイエット・・・。理由をつけて登り始めました。
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その先から山道になり急登を進むと信越トレイルにぶつかる。そこから一旦スタート地点の斑尾山まで行き引き返してくる格好だ。そうこうしているうちに気温はぐんぐん上がり汗が吹き出してきた。きれいなブナの樹林帯を抜けるとやがて斑尾山に到着。山頂で食べた、前日温井の産直で買ったスイカが異様にうまかった。斑尾山頂付近の尾根はきれいなブナの林に覆われている。いざ出発。信越トレイルのスタートだ。
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往きに通った昇り口への分岐を過ぎて少しいくと視界が開けた。野尻湖を従えた妙高山と火打山が飛び込んできた。信越トレイル屈指のビューポイントらしく、記念撮影用にスマホを固定するホルダー付の杭があった。
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絶景を堪能後もブナの稜線を進んだ。ブナの木の高いところに看板が付けらているのが見える。「サクラカラー」とあるので相当古いらしい。「斑尾~妙高高原駅」と書かれているようでスキーツアーの標識らしい。ここ斑尾は昔からバックカントリーが盛んだ。なぜかこれまで、ゲレンデも含めてスキーで訪れたことがなかった。この冬はルートを開拓してみようかと。
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がやがやと話し声が近づいてきた。時折ドリフの大爆笑並みの笑い声も。ご高齢のご婦人パーティ10数名が元気いっぱい登ってきた。女人の元気なこと元気なこと。
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やがてゲレンデにでた。左がタングラム、右が斑尾だ。日差しが強烈になってきたゲレンデ内の急坂をしばらく下った。さっきのご婦人方、ここを登ってきたのだろうか?それであの元気さ?おそるべしである。
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標高差400mを一気に下ると舗装の車道に出た。万坂峠だ。
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万坂峠からはなだらかな樹林帯を登っていった。道沿いにはヘビイチゴがいっぱい。最初は杉の植林地だったが、進むほどにブナに代わってきた。1時間ほど登ると明るいブナの森に。全くノーマークだったがなかなか美しいところだ。山頂手前のブナの道は実にいい雰囲気だった。
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赤池からはセクション2の一部を通ってスタート地点のチロルまでクルマの回収へ。山道をどんどん下っていくとやがて湿原に出た。いくつかの中から「湿原中央トレイル」という、王道であろうルートを選んだ。尾瀬のような雄大な湿原風景が疲れた体を癒してくれるはず、と期待したが、そこは単なる杉の植林地の中、しかもずっと登り・・・。湿原のしの字もありゃしません。1時間強でクルマに戻れると思ったらとんでもない。2時間もかかった。最後のクルマの回収が今回の核心部でした、というのがオチということで。
次回は涼しくなったころ、テントでも背負ってセクション2、3と歩いてみようと思っております。
おわり
2018-4-29-30 鳥海山 千蛇谷~中島台ルート
連休を利用して念願だった鳥海山千蛇谷〜中島台ルートに行ってきた。
新山から中島台へくだるこのルート、我が国屈指のロングコースだ。
日帰りでピストンするツワモノもいるがわれわれは途中でのんびりテント泊。
連れが以前、祓川ヒュッテ~山頂~千蛇谷~中島台を滑った折、途中のブナ林に張られたテントの印象が忘れられず、というのがこの計画のきっかけだ。
■日時:2018年4月29日~30日
■ルート:中島台~950m付近テント泊~千蛇谷源頭(2000m付近)~滑降~中島台
■メンバー:KK、CK
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スタート地点の中島台駐車場の積雪はゼロ。
4月の高温で融雪が急激に進んだよう。
スキーを背負っての出発となった。
テント泊でただでさえ重いザックにスキーが加わった。
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「この先にスキー場があるんですか?」
すれ違う散策者が不思議そうにたずねてくる。
雪がまったくない森の中を、派手なウェアをまとってスキーを背負い歩いてくる姿には正直仰天だろう。
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融雪で水量が多いが、普段でも橋がなければ渡れない流れだ。
その先も木道が続く。残雪も出てきた。
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奇形木の原因は定かでないが、付近に炭窯跡が多く見つかっていることから、雪上で伐採された幹から萌芽したためとする説が有力だ。
幹があがったところで子に分かれていることから「あがりこ」と命名。
中でもひときわ大きいのが「あがりこ大王」だ。
樹齢300年といわれるこの巨木は、林野庁の「森の巨人たち百選」にも選定されている。
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![]() あがりこ大王 |
ここから藪こぎだ。
15分ぐらいの藪こぎでようやく雪がつながりスキーを装着。
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小沢の急坂を詰めていくときれいなブナ林の台地に出た。
雪が消えたあちこちの湿地にはミズバショウが顔を出していた。
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![]() ミズバショウが顔を出す |
割れた雪の下から轟音の鳥越川がのぞいていた。
![]() 鳥越川 |
引率の先生らしき方と言葉を交わした。
途中でテント泊する旨を伝えると、
「今朝登山していたらこの先の大地でテントが飛ばされてたよ。周辺のブナの枝もかなり折れてた。今朝まで風が強かったのかなあ?」
とのこと。
今では風はすっかりやんでいる。
今夜は大丈夫だろう。
細尾根を登ると初めてスキーヤーがおりてきた。
「七五三掛(しめかけ)のあたりはストップ雪だったけど、それ以外はいい感じのザラメでしたよ」
期待は膨らむ。
しばらくたどってきた赤川と鳥越川分岐点を横切った。
すると鳥海山が一望できるきれいなブナ林に出た。
今夜はここにお世話になることにしよう。
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![]() 赤川と鳥越川の分岐付近 |
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鳥海山が一望できる風のあたらない窪地に陣取った。
これから鳥海山を独り占めしながらのんびりだ。
![]() 一等地に設営 |
鶏肉と野菜を煮込んで最後にきりたんぽを放り込む。
![]() きりたんぽ |
背後の山に夕陽がさしかかると樹影がのびた。
正面の鳥海山も染まってきた。
雪面にのびる樹影と夕陽を浴びた鳥海山。
テント泊でしか味わえない絶景だった。
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![]() 真正面に鳥海山 |
月明かりはまぶしいくらいで、
鳥海山の輪郭を照らし雪面にブナのシルエットを映した。
こんな特級のテン場には滅多にお目にかかれない。
この夜、月照の鳥海を存分に堪能させていただいた。
![]() 月照の鳥海山が目の前 |
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4時。鳥のさえずりで目をさました。
寝床は快適で#3のシュラフとシュラフカバーで問題なかった。
スキーブーツのインナーを履いてシュラフに入ったが、夜中暑くて脱いだぐらい。
穏やかな夜でつくづく良かった。
コーヒーを飲みながらピンクに染まっていく東の空を眺めていた。
鳥海のてっぺんが輝いてきた。
そして山の端から光芒が放たれると、芽吹く直前のブナのあいだから太陽が昇ってきた。
雲ひとつない空。
今日もよく晴れそうだ。
![]() 目覚める鳥海山 |
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標高差1000m。
大半の荷物はテントとともにデポ。
荷物が軽いので何とかなるだろう。
朝食の揚げ入りうどんを流し込み、すでに照りつける太陽を横目に出発した。
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右手には次から次へと見事なオープンバーンが現れる。
滑りが楽しみだ。
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![]() 稲倉岳をバックに |
よーく見るとスキーヤーのようだ。
七五三掛の手前からトラバースで千蛇谷におりているようだ。
しばらくして同じ地点から複数の人がトラバースしていた。
スキーならではのドロップポイントなのだろうか。
滑落したら大変なことになりそうところにみえた。
3時間ほど登ると七五三掛の下部にあるこのコースの白眉ともいえる大オープンバーンが行く手を阻む。
さきほどトラバースしてきた数人のスキーヤーが直登ぎみに登っていた。
われわれも続いた。
比較的ゆるそうな斜面右側に回り込んで登った。
![]() 大斜面を登るスキーヤー |
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七五三掛からは次から次へと登山者、スキーヤーがおりていた
![]() 七五三掛 |
あそこを越えたら引き返そう。
薄雲がかかりだした空のもと源頭を目指した。
そのころからボーダーやスキーヤーが歓声をあげながら滑ってきた。
![]() ボーダー |
いよいよ滑降だ。
千蛇谷に視線を落とすと、はるか下界には日本海や発電風車が見える。
稲倉岳もくっきりだ。
![]() 千蛇谷 |
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山を抜け海に向かっての大滑走が始まった。
大オープンバーンは爽快そのもの。
誰もいない大斜面を一気に滑りおりた。
滑っても滑っても現れる大オープンバーン。
これこそ鳥海の醍醐味。
山スキーの鉄板コースを堪能した。
そしてあっという間にテン場に到着した。
![]() 千蛇谷大滑降 |
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雪で冷やしておいたノンアルコールビールがうまい。
テン場を撤収し重たいザックを背負って下山を開始した。
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高温で緩んだ雪は板が走らず若干苦行気味。
加えて負傷した膝への負担が気になりいつもどおりの動きがとれない。
ゆっくり時間をかけてブナの森を抜けていった。
そんな中、相変わらず美しいブナの森がせめてもの癒しだった。
残雪の森が射光によって美しさを増していた。
最後の沢筋についたわずかな残雪をたどるといよいよ雪が切れた。
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帰り道が異様に長く感じるのは山行の常。
今回はけっこうこたえた。
負傷した膝をかばったのか足の疲労はピーク。
スキーを付けた重たいザックがそれに拍車をかけた。
やっと見えたクルマの姿にすーと疲れも吹き飛んだ。
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テント泊も交えた思い出深い山行となった。
鍋倉山で山スキーを復帰したのが3週間前。
今回もリハビリ山行の一環だったが、さすがにハードだった。
2018-4-21 燧ケ岳 山スキー
春の山スキーに出陣。
今回は燧ケ岳。
御池まで開通するのは例年5月の連休からなので、
ふもとの七入から登れるところまでいってみるつもりだった。
ボク的には途中のブナ平で残雪のブナの森が撮れれば満足、ってこともあった。
ところが金曜日の夜中に現地に行ってみると七入のゲートが開いていた。
道路には雪は皆無で、結局御池の駐車場まで行けちゃったという感じ。
翌日民宿のご主人に聞いたところ、われわれが通った日の午後に開通したらしい。
これはラッキー。
開通情報はweb上に出てなかったからか、御池駐車場はボクたちが一番乗りだった。
仮眠から起きるとクルマは2、3台。
早くもボーダーたちが出発していた。
支度しているとポツポツとスキーヤーが集まってきた。
登り口で支度中の方に話を聞くと、会津駒に行こうとしたがあまりの雪の少なさにこちらに来たとのこと。
今年の雪は少ない。
![]() 朝の御池駐車場 |
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夏ルートに沿ってスタート。
快晴の青空にギラギラと太陽が昇ってきた。
暑い。最初の登りでハードシェルを脱いだ。
最初の急登を越えると広沢田代だ。
![]() 登高開始 |
![]() 快晴 |
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![]() 背後には会津駒がクッキリ |
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![]() 広沢田代 |
そこを越えると一気に視界が開けた。
眼下には熊沢田代が広がり、その先には名山の燧ケ岳が貫録の姿を見せていた。
熊沢田代のベンチは雪から出ていてそこまでわずかな下り斜面。
みんながシールでおりるのを横目に、ボクたちはシールをはずして少しばかりの滑走を楽しんだ。
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![]() 広沢田代から登ってきた |
![]() ダケカンバの樹 |
![]() 燧ヶ岳がみえてきた |
![]() 絶景です |
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雄大さがわかる。
木道で休んでいると多くのスキーヤーが湿原のフチを登ってきた。
このルートは細かく調べてなかったが、どうやら彼ら、われわれが登った急坂を巻いているようだ。
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暑さはあいかわらず。
アンダーシャツ1枚で十分だ。
森林限界を過ぎて胸突き八丁を懸命に登った。
最後にトラバースすると俎ぐらの直下に出た。
![]() 山頂下の急坂を登る |
![]() 頂上をめざすスキーヤー |
![]() 青天に向かって |
頂上には多くのスキーヤーが登頂を祝っていた。
とにかく風のない穏やかな頂上だった。
ハードシェルをはおる必要はない。
眼下にはぐるりと尾瀬沼、尾瀬ヶ原と至仏山、双耳峰の柴安ぐら、会津駒が岳が一望できた。
あまりの快適さに1時間ほどのんびりした。
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![]() 至仏山と尾瀬ケ原 |
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![]() 柴安ぐらの向うに至仏山 |
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滑走開始。
頂上直下のオープンバーンをショートターンで快適に滑った。
熊代田代に向かってトラバースしながらいくつかの沢筋を下る。
下へ行くほどストップ雪状態。
ターンができない。
気温が上がりすぎて快適なのは頂上直下ぐらいだった。
あとはスキーが滑らず、若干苦痛気味に。
熊沢田代の東側の急斜面を滑って東ノ田代の雪原で休憩。
あまりの暑さにテルモスのお湯に雪を溶かして冷水にした。
![]() 山頂直下はサイコー! |
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![]() 会津駒をバックに |
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途中、深い沢やブッシュで難儀しながらもなんとか突破。
広沢田代東面のきれいなブナ林となった。
けっこうな巨木もありなかなかのブナ林だ。
西側には沈まんとする太陽がのぞき光と影を演出していた。
高度調整ミスから、最後は若干登りながら無事駐車場に戻った。
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下山後は温泉、そして民宿の山人料理に舌鼓を打った。
2018-4-14 鍋倉山の森太郎
残雪の鍋倉山にいってきた。
久しぶりの山スキーだ。
昨年の2月にヒザの靭帯を損傷し6月に手術。
ケガから実に14ヵ月ぶりの再開ということになる。
ヒザはまだまだ違和感があって本調子といえないものの、なんとか無事に滑り降りることができた。
山スキー再開の地を鍋倉山にしたのにはワケがある。
この森の主、森太郎に会うためだ。
この大ブナの全容が見られるのは残雪期がベストだからだ。
越後湯沢から津南経由で向かった。
越後のスキー場は茶色の山と化していた。
豪雪で知られる津南も雪はほとんど消えていた。
117号線から鍋倉高原に通じる市道へ。
鍋倉山への拠点となる温井集落のあたりで田んぼの残雪がでてきたが今年は融雪が早いようだ。
温井集落の駐車問題で、今年から飯山市のご厚意で駐車スペースが設けられた。
この時期このスペースも閉鎖され除雪用の重機がとめられていた。
雪は切れていてスキーを担いでのスタート。
ショートカットできる林道にはかろうじて雪が残っていたが、スキーは履いたり脱いだり、倒木をくぐったりしながら抜けた。
関田峠に通じる県道には全く雪がなかった。
![]() スタート地点 |
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![]() 県道には全く雪なし |
小沢を渡ろうとすると竹竿に案内が付けられていた。
進入配慮のお願いだ。
昨年か一昨年ごろから通行規制が始まったとの話は聞いていた。
都立大小屋の周辺はれっきとした私有地であり、そこを次から次へとスキーヤーが通り過ぎる、またある者は野営をして不始末を起こす、困った末の苦渋の判断。
マナーは守りましょう。
関係者の方々が正規のルートにわざわざ赤旗を付けてくださっていた。
当初、小屋の前の尾根を登っての登頂を考えていたが、この赤旗をたどることにした。
![]() 田茂木池手前からショートカット |
![]() この先は私有地につき侵入禁止 |
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春の高原を気持ちよく進んだ。
オープンバーンを横切り緩やかな尾根にとりついた。
しばらく登ると夏道の分岐点に出た。
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ここに森太郎と森姫がいる。巨木の谷と呼ばれているところだ。
尾根を進むと向こうの斜面にひときわ大きなブナが見えた。森太郎だ。
残雪の時期だからこその眺めだ。
緑の季節に来てもここまで見通しはきかない。
遠目ではその大きさはわからないが、周囲のブナと比べると一目瞭然。
周りのブナも結構な樹齢のブナなのである。
ヤドリギを従えながらも悠然と立つ姿は感動的だ。
森太郎には帰りに立ち寄ることにして頂上を目指した。
![]() 森太郎が見えてきた |
![]() やはり大きな木だ |
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緩やかな斜面に大きなブナが立ち並んでいる。
この辺は新緑の頃もいいだろう。
トレッキングのパーティーが登ってきた。
スノーシューなしなので雪がしまっている証拠だ。
そして頂上到着。
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まずは森太郎へ向かった。
頂上から延びる沢筋をくだると美しいブナ林の緩斜面になり、気持ち良くシュプールをきざんだ。
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そこに森太郎がいる。
しばらく横滑りしながら斜度の緩やかなところまで行った。
左側から回り込んだが、森太郎は沢筋の右岸のある。
森太郎には谷の上部右側に回り込むとすんなり行けるようだ。
詳しい人が滑ったのか、何本かのシュプールがついていた。
間近で見る森太郎は圧倒的な存在感。
根開けの穴も深かった。
無雪期は根に負担をかけるため近づけないが、すぐ近くまで行けるのも残雪のこの時期ならでは。
樹齢300年以上といわれる森太郎。
大きな枝が折れたりヤドリギがついたりと試練の時期を迎えているようだ。
しかし鍋倉の守護神として、森太郎にはいつまでもこの森を守り続けてほしい・・・と思わずにはいられなかった。
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![]() 森太郎の大きな樹幹 |
![]() まさに森の主の貫禄 |
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適度なザラメ斜面を快適に滑り降りて今回の山行は終了。
![]() ブナは芽吹きはじめていました |























































































































































































































































































































