2024年4月 オートルート シャモニー〜ツェルマット【1日目】
オートルート 1日目(4/2)グランモンテスキー場〜パッソンのコル〜トゥールのコル〜エキャンディのコル〜シャンペ
山行記録は7回シリーズです。
①【プロローグ編】
②【1日目】2024年4月2日 グランモンテ〜シャンペ
③【2日目】4月3日 ヴェルビエ〜プラフルーリ小屋
④【3日目】4月4日 プラフルーリ小屋〜ディス小屋
⑤【4日目】4月5日 ディス小屋〜ヴィニエット小屋
⑥【5日目】4月6日 ヴィニエット小屋〜ベルトール小屋
⑦【6日目】4月7日 ベルトール小屋〜ツェルマット
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1日目のルート >>> クリックで拡大 |
いよいよ緊張の1日目。3つのコルを越えるこの長丁場、果たしてシャンペまで行けるのだろうか。グランモンテのゴンドラ乗り場で9:00にガイドと待ち合わせた。
グランモンテ ゲレンデトップ |
天候は良くない。
「天気大丈夫ですかね?」
「リラックス、リラックス」
問題ないと笑顔で返してくる。実際ゴンドラ降り場からアルジェンチェール氷河(Glacier du Argentiere)に向けて歩き始めた頃、図ったように青空になってきた。ガイドは長い経験から時間と場所の天候がほとんどピンポイントで予測できるらしい。
滑走モードに切り替えてコルを目指した。うれしいことにここ最近の荒天で斜面はパウダー天国。思いがけずヨーロッパの粉雪を堪能した。嬉しい誤算だった。しばらくはアルジェンチェール氷河目指してパウダーラン。
うれしい誤算! |
急斜面に差しかかったところでガイドが自分が下に降りてから合図するといって、とても斜面とはいえない狭くて急なノドのような地形を横滑りで降りていった。Goサインが出て私から滑降開始。このルート取りは自分たちだけの山行では決して近寄らないところだった。45度を超えるような斜度はとても正面を向いて滑ることはできず、ずっと横滑りの連続でずれ落ちていくしかなかった。これまで様々な斜面を滑ってきたつもりだが思わず「まじかよ〜」とつぶやいていた。滑り降りるとガイドが親指を上げて「Good!」。振り返ると後続たちが苦戦しながら恐る恐る降りているのが見える。全員が降りると「Good Team!」といって称えてくれた。オートルートでは通常、高度順応も兼ねてガイドがメンバーの力量を判断するためにスキー場のゲレンデで足慣らしをする。今回はその時間がなかったため実地の中で見ていたものと思われる。これから連続するきわどい斜面を滑り降りて来られるか判断するため、故意にこの崖のような地形を滑らせたのだろう。なぜなら我々が降りてきたルートの少し先には快適そうな斜面がいくつもあったからだ。
この絶壁を横滑りで・・・怖ッ! |
ガイドが「Good!」 |
後続の図 |
滑りはお目に適ったようだが登りはそうもいかなかった。ここまでの登りでヨーロッパの人々にことごとく抜かされてきた。西洋人の登りはめちゃくちゃ早いとは聞いていたが、それを目の当たりにした。女性も含めてとにかく早いのだ。日本人の登りが遅いのはガイド界隈では周知のことだ。
アルジェンチェール氷河を横切りパッソンのコルを目指して登っていった。もう直ぐパッソンのコルというところでガイドが小さな点発生雪崩に遭う。あっという間に2mほど流された。「この先もっと大きな雪崩れがあるかもしれない。気をつけなければ」とガイド。この先が少し不安になった。
アルジェンチェール氷河 |
そうこうしているうちにパッソンのコルがその全容を現した。
パッソンのコル この鞍部を越えていく |
コルの取り付きに続々と人々が集まってきた。ブーツアイゼンをつけスキーをザックに取り付けた。ピッケルはいらないとガイド。
見上げるとそれは垂直の壁のようだった。一歩一歩アイゼンを噛ませながら登っていく。下を見ると取り付きが見えないぐらい急だった。必死だったのでどのくらい時間を要したかわからないがなんとかコルを登った。後ろからMさんがピッケルを使いながら登ってきた。ピッケルを使った方が楽だったという。不安な場合はピッケルを使った方がいいかもしれない。
ガイドから二つの選択肢が示された。ひとつはこのままトゥール氷河(Glacier du Tour)を下降してバルメスキー場に降りるか、ふたつ目はこの先2つのコルを越えてシャンペに抜けるか、登りは400mぐらいであと3時間ぐらいとのこと。時間も時間だったが、まだ気力は残っている。ガイドが選択肢として提示しているということならやはり行くしかない、ということでシャンペ行きを決意する。
ここから標高3000mを超えるトゥール氷河を延々と歩いた。高度順応できていない私とCさんがバテてきた。EさんとMさんはヨーロッパで高度トレーニングを積んでいたので問題ない。軽い頭痛と吐き気が足取りを重くした。Cさんがかなり遅れている。見かねたEさんがかなり先を行くガイドまで駆け寄っていって何やら話している。Cさんが頭痛で辛そうなのでここからバルメに降るのはどうかと持ちかけたが、多少の頭痛は大丈夫、ゆっくり先へ進もう、といって提案は却下されたようだ。そしてガイドは、辛いのであればせめてザックを持ってあげよう、と言って引き返していったとのことだ。”急げ”ということではなく”できるようにしてあげる”という考え方に感心したとEさんが話していた。空身になったCさんはペースが上がりわれわれに付いてこられるようになった。私も快調とはいえないもののなんとか付いていった。
パッソンのコルからトゥール氷河へ |
標高3000mを超える氷河を行く |
ガイドにザックを持ってもらう |
トゥール氷河を横断する緩やかだが長い登りが続いた。氷河の中は風もなく結構暑い。それがじわじわ体力を消耗していった。そしてきょう2つ目のコル、トゥールのコル(Col du Tour)に着いた。この尾根がフランスとスイスの国境だ。トゥールのコルには雪がなく登攀できない。その500mほど右側の雪がついているコルを越えるという。コルの先の斜面の状況を見てくるのでここで待機してくれといってガイドが空身で急斜面を登っていった。コルの先に姿を消したガイドが再び現れてOKサインを出した。硬い急斜面のキックターンにてこずりながらもガイドのサポートを得ながら最後はスキーを脱いでツボでよじ登った。全員無事コルに到着。
トゥールのコルが見えてきた |
コルには雪がついてない |
コルの先の雪の状況を見に行くガイド |
最後にガイドが斜面をキョロキョロしながら登ってきた。どうやらスマホを落としたらしい。われわれも目を凝らして斜面を探したが見つからない。もう時間も押しているので先へ進もうとガイド。現在地の確認もそうだが、シャンペに迎えにくる事務所のご主人に下山時間の連絡ができないらしい。ここは早く降りて先の安全な場所でわれわれの携帯から連絡しようということになった。
コルの向こうはスイス。かなり急なすり鉢状の斜面になっていた。ここも30mほどを横滑りで真下に降りていった。その先左側の支尾根の岩の下に回り込むよう指示があった。先でドーっと表層雪崩が起きた。新雪は20〜30cmほどあったと思われる。雪崩の幅と長さは40〜50mはあった。先をいったCさんが雪崩の瞬間を見たそうだ。その雪崩れた斜面(表層新雪がなくなった箇所)をガイドが滑っていった。この間に起こった一連の現象も強烈だったが、のちにガイドの話を聞いて度肝を抜かれた。つまりはこうだ。コルを越えた斜面は完全に雪崩リスクがあったためその斜面を滑降することは避け、雪崩を最小限に回避するために一旦ゆっくりと横滑りで下って岩の下に入り込み、その先の斜面に衝撃を与えてわざと雪崩を起こし、新雪が雪崩れた後の斜面を滑り降りたということである。岩の下に入り込んだことについて、ガイドに確認したわけではないが、おそらく支尾根の岩の下に行けばその上は岩で雪がないため上部からの雪崩リスクは最小限に抑えられるということなのだろう。とにかくシャモニーのベテランガイドの凄さは想像をはるかに超えていた。
カニ歩きで慎重に下りる |
岩綾の下へ回り込む |
故意に起こした雪崩 |
表層を切り落とした斜面を滑る |
斜面を下るとトリエン氷河(Glacier du Trient)だ。誰も歩いていない新雪の氷河を5人でトレースを刻んでいく。右の岩山にはトリエン小屋が見えている。小屋への顕著なトレースは見当たらず宿泊客はほとんどいなさそうだった。振り返れば落ちていく太陽がエギュイユ・デュ・トゥール(Aigulle du Tour:3540m)の長い影を氷河に延ばしていた。誰もいない氷河の雪原で絶景が繰り広げられていた。
トリエン小屋 |
トリエン氷河下流方面 |
エギュイユ・デュ・トゥールに落ちる太陽 |
エキャンディのコルを目指す |
そこからエキャンディのコル(Col des Ecandies)までもパウダーだった。疲れも忘れて楽しく滑った。
エキャンディのコルの取り付きに着いたときすでに18:30。サマータイムと日の長さが幸いしてあたりはまだ明るかった。ここで事務所のご主人に連絡を取りたいとのことだったが、われわれは電話番号を聞いていなかったため、Mさんが機転を効かせて事務所のHPから事務所に連絡しスタッフに現在地と下山予定時刻を伝えた。
お迎えの主人に電話するガイド |
エキャンディのコルはブーツアイゼン、シートラ、アンザイレンで登った。斜度はあるがパッソンのコルよりは短くロープも張ってあって比較的簡単に登れた。振り返ると夕陽がまさに山影に沈まんとしていた。
落日 エキャンディのコルより |
エキャンディのコルを越えればあとは下るだけだ。アルペッティの谷もパウダー天国だった。これ以上いらないというぐらいパウダーでお腹いっぱいになった。しばらく軽快にシュプールを刻みながら下っていった。
ヨーロッパのパウダー天国! |
ガイドがスマホを無くし連絡が遅れたため、事務所から連絡が来る前にお迎えのご主人が心配してレスキューに連絡したそうだ。ご心配をおかけした。
この日はシャモニーの宿に戻った。
オートルート1日目はかなり長くハードなルートだった。本来なら2〜3日かけて歩くルートだが、これを1日でクリアしたことで諦めかけていたオートルート踏破の可能性が十分に見えてきた。