2024年4月 オートルート シャモニー〜ツェルマット【プロローグ編】
「オートルート シャモニー〜ツェルマット」山行記録
・日時:2024年4月2日〜7日 | |
・山行メンバー | |
Bさん(シャモニーのガイド) | |
Eさん(ドイツ在住) | |
Mさん(ドイツ在住) | |
Cさん(渋谷山の会ウルスカディ) | |
K(渋谷山の会ウルスカディ) | 記録 |
山行記録は7回シリーズです。
①【プロローグ編】
②【1日目】4月2日 グランモンテ〜シャンペ
③【2日目】4月3日 ヴェルビエ〜プラフルーリ小屋
④【3日目】4月4日 プラフルーリ小屋〜ディス小屋
⑤【4日目】4月5日 ディス小屋〜ヴィニエット小屋
⑥【5日目】4月6日 ヴィニエット小屋〜ベルトール小屋
⑦【6日目】4月7日 ベルトール小屋〜ツェルマット
※このページは山行までの顛末をつらつらと記録した【プロローグ編】です。とにかく山行記録を読みたい、という方はこのページは読み飛ばしてください。
>>> 【1日目】はこちら
2024年4月、念願のオートルートに挑戦した。
メンバーはドイツ在住のEさんとMさん、日本からCさんとK(ともに渋谷山の会ウルスカディ会員)、シャモニーのガイドBさんの5名。
オートルートといえば世界でもっとも人気の山スキーツアーコースで山小屋の予約が難しい。そのため計画は1年がかりとなった。Eさんは今回が3回目で勝手がわかっている。年始には初滑りも兼ねて北海道の白銀荘に4人で集合し、その際オートルートのコース概要や山小屋の様子、雪の状態、食事、装備、服装など素朴な疑問を訊ねることができた。おかげでネットだけでは得られない実体験に基づく貴重な情報が聞け、具体的なイメージを掴むことができた。
EさんとMさんには山小屋の予約を含め計画全般にわたって全面的にお世話になった。この場を借りて厚く御礼申し上げたい。
羽田に向かう途中Mさんからチャットが。「頼んでいたガイドが直前でケガをして代わりのガイドをアサインしてきた」とのこと。実はガイドが変わるのはこれで2回目。つまり3人目だ。3人目のガイドはガイド歴半年でオートルート経験は2回しかないらしい。かなり心許ない。Eさんから他のガイドを探してみる旨の連絡が来て以降連絡が途絶えた。なんだか不穏な空気が漂ってきた。われわれ日本組は飛行機を予約しているため、状況はどうであれヨーロッパには飛ぶしかなかった。最悪のケース(ガイドが見つからずゲレンデ中心のスキー)も覚悟しながら、でもヨーロッパでのスキーは初めてでそれはそれでよしとした。
飛行機はウクライナ戦争の影響でロシアを大きく迂回する太平洋〜カナダ〜グリーンランド〜ヘルシンキのルートをとった。ヘルシンキ空港で入国審査後ジュネーブへの乗り継ぎの時間をつぶしをしているとMさんからチャットがきた。「吉報です!ガイドが見つかりましたー!」。短い文面からも喜びが伝わってきた。連絡が途絶えてからこれまでふたりが現地ですったもんだしている姿が容易に想像できた。とにかくおつかれさまと伝えたかった。
EさんとMさんはひと足先に車でシャモニーに到着しスキー場で滑っているはずだったが、「タイヤがパンクして、いま修理で隣町まで来ている」らしい。またしてもトラブル・・・。
ヘルシンキからジュネーブへ飛び、そこからは予約しておいたワゴンタクシーでシャモニーへ向かった。
こうして4人がホテルで再会したのは夕方だった。それからはガイド決定までの経緯について話が尽きなかった。要はこうだ。一人目は以前にもガイドしてもらった実績があるオーストリア人だったが、奥様のケガでどうしても都合がつかなくなり代わりのガイドを紹介された。この二人目のガイドもオーストリア人で、この人とは事前に日本とドイツ、オーストリアを結んでオンラインミーティングをやっている。しかしこのガイドも先に触れた通り直前のケガでキャンセル。代わりに紹介されたのが若い新米ガイドだった。こっちも命に関わる山行なので「はいわかりました」とはいかない。不安なのでEさんが電話で経験や力量、悪天候時のエスケープルートや代替案など多方面からヒアリングしたそうだ。そうこうしているうちに先方から断ってきたそうだ。土壇場でガイドの当てがなくなった。ダメ元でシャモニーの3つのガイド斡旋事務所にガイド依頼の問い合わせを入れたところ、日本人経営の事務所からガイドが見つかったと連絡が入りホッと胸をなでおろした、という次第。結果オーライでこのシャモニーのベテランガイドが大当たりだった。その凄さはおいおい触れていきたい。
今回のオートルートの計画は、6つの山小屋に泊まりながら4/1〜4/7の7日間の予定だったがどうやら天候が怪しい。例年だとこの時期ピーカン続きで天気は心配無用のはずだった。4/1は低気圧が通過するため入山は難しい。4/2は回復して山行日和。しかし4/3はまた崩れるといった感じでパッとしない。通しでオートルートを踏破するのは難しいかも、と4人で話していた。
ちなみに、山小屋は2日前からはキャンセル料が全額かかる。この時点でMさんとEさんの判断により4/1のアルバート・プレミア(Albert Premier)小屋と4/2のトリエン(Trient)小屋はキャンセルしていた。この辺の判断が微妙に難しかったりもする。山小屋の予約状況をネットで見るとこの2日間はガラ空きで天候の悪さが容易に想像できた。
4/1、山は風が強く入山は無理。スキー場のゴンドラもほとんどが運休。なんとかリフトが動いているバルメ(Balme)スキー場で足慣らしとなった。滑走中Eさんのビンディングが破損。またもやトラブル・・・。一難去ってまた一難だ。Eさんはテレマークでビンディングのパーツは一般的ではない。修理不能で最悪スキーのレンタルも視野に街のショップ巡りへとスキー場を降りて行った。幸いにもアルジェンチェールのショップにパーツがあって修理できたとのこと。やれやれトラブル続きだが、山行前にウミを出し切りすべては良い方向へ向かっていると前向きに捉えることにした。
4/1の夕方、ガイドと山行の打ち合わせ。われわれの宿にガイドと事務所のご主人が来てくれた。ガイドは地元シャモニーの50代のベテランだった。ゆっくり英語で話しかけてくれる。天候についてガイドの見立ては、明日4/2は晴れて風も収まるが翌4/3は芳しくない。4/4以降はなんとか持ちそうとのこと。予定より1日過ぎているため当初ルートの途中から入山することも覚悟していたが、ガイドの提案は、まず明日4/2にグランモンテスキー場〜アルジェンチェール氷河〜パッソンのコル〜トゥールのコル〜エカンディのコル〜シャンペを一気にやる、無理そうだったら途中で下山するというもの。下山ルートは複数あるらしい。通常2〜3日かかるルートを1日でやってしまおうというわけだ。それがどの程度の難易度なのか想像もつかなかったが、無理なら途中下山可能とのことなので提案を受け入れることにした。そして明後日の4/3は天候が荒れて特に朝の行動はリスクがあるため、4/2は一旦この宿に戻り4/3に車でヴェルビエまで移動し、ゴンドラを乗り継いでスキー場から山に入り、一気にショーのコルを越えてプラフルーリ小屋に入る。そこまで行ってしまえば以後の天候は大丈夫だろうとのことだった。ガイドからは4/3の天候が最悪ならばディクサンス(Dixence)からリフトで上がり2時間程度歩いてプラフルーリ小屋まで行くという方法も提案された。結局われわれはこの方法を取らなかったが、プラフルーリ小屋で出会ったパーティはこのルートを使ったが、要所となるトンネルを見つけるのに2時間もかかり苦戦したと話していた。彼らはかなり遅い時間に小屋に到着していた。
1日少ない日程になっていたがガイドの提案に従えば当初の予定通りルートを踏破できる。この時点では半信半疑だったが、結果的にはガイドの抜群の地理力、天候予知力、リーダーシップ、ガイディングスキルによって特に大きな問題もなく実現することができた。ガイドの提案がピタリとはまったわけだ。現地のベテランガイドの凄さを思い知らされた山行となった。他のガイドだったら踏破が実現できたか、正直無理だった可能性が高い。
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