ガイドから二つの選択肢が示された。ひとつはこのままトゥール氷河(Glacier du Tour)を下降してバルメスキー場に降りるか、ふたつ目はこの先2つのコルを越えてシャンペに抜けるか、登りは400mぐらいであと3時間ぐらいとのこと。時間も時間だったが、まだ気力は残っている。ガイドが選択肢として提示しているということならやはり行くしかない、ということでシャンペ行きを決意する。
トゥール氷河を横断する緩やかだが長い登りが続いた。氷河の中は風もなく結構暑い。それがじわじわ体力を消耗していった。そしてきょう2つ目のコル、トゥールのコル(Col du Tour)に着いた。この尾根がフランスとスイスの国境だ。トゥールのコルには雪がなく登攀できない。その500mほど右側の雪がついているコルを越えるという。コルの先の斜面の状況を見てくるのでここで待機してくれといってガイドが空身で急斜面を登っていった。コルの先に姿を消したガイドが再び現れてOKサインを出した。硬い急斜面のキックターンにてこずりながらもガイドのサポートを得ながら最後はスキーを脱いでツボでよじ登った。全員無事コルに到着。
斜面を下るとトリエン氷河(Glacier du Trient)だ。誰も歩いていない新雪の氷河を5人でトレースを刻んでいく。右の岩山にはトリエン小屋が見えている。小屋への顕著なトレースは見当たらず宿泊客はほとんどいなさそうだった。振り返れば落ちていく太陽がエギュイユ・デュ・トゥール(Aigulle du Tour:3540m)の長い影を氷河に延ばしていた。誰もいない氷河の雪原で絶景が繰り広げられていた。
トリエン小屋
トリエン氷河下流方面
エギュイユ・デュ・トゥールに落ちる太陽
エキャンディのコルを目指す
そこからエキャンディのコル(Col des Ecandies)までもパウダーだった。疲れも忘れて楽しく滑った。
一気に登って滑走モードに切り替えた。ローザブランシュ(Rosablanche)が右手に見えるあたりからプラフルーリ氷河(Glacier de Prafleuri)になるはずだがガスでまったく見えなかった。視界がない中、新雪に覆われた氷河をしばらくガイドのトレースを追っていった。どれぐらい進んだだろうか、かなりの時間が経過した。すると少しガスが晴れたその先に今夜お世話になるプラフルーリ小屋が見えてきた。ほっとした瞬間だった。あとで聞いた話だが、Eさんはこの瞬間が今回の山行でもっとも印象に残ったという。この日は以前から悪天候が予想されていて山行は無理だと考えていたが、間隙を縫うようなガイドの老獪な行動判断によってプラフルーリ小屋までたどり着けた。ここまで来れれば予定コースの完踏も夢ではないと・・・。
昨夜ビニエット小屋に泊まっていたわれわれ以外のほぼ全てのパーティはレベックのコル(Col de l’Eveque)を越えたらその日中にツェルマットへ下りるとガイドが話していた。ベルトール小屋(Bertol Hut:3311m)を経由するのはノーマルルートではないらしく、これは誰のアイデアかと聞いてきたらしい。Eさんのアイデアだが、その理由は行ってみてよくわかった。詳細は後述する。
レベックのコルへ
レベックのコル
レベックのコルを越えると一瞬イタリアに入りツェルマットへのルートと分ける。われわれは大きく左に旋回し再びスイスに入った。このルートを取るのはやはりわれわれだけのようでトレースはひとつもない。右岸の支尾根には避難小屋(Refuge des Bouquetins CAS)が見えた。やがてアローラ氷河の広く大きな谷に入っていった。鳥海の千蛇谷を数倍大きくしたような広大な谷だった。
いよいよ今回最後の山小屋ベルトールへの登り、標高差は600m。ベルトール小屋の標高は3311mで、今回の行程中もっとも高い場所にある小屋だ。徐々に斜度がきつくなってきた。200mほど登ったところから急斜面を巻いていくが、ここがいやらしかった。斜面はカリカリでクトーを効かせるのもひと苦労。おまけに上からスキーヤーが次々に滑り降りてくる。そのうちの一人が私が難儀しているちょうど上でバランスを崩して倒れ込んだ。もし彼がそこで滑落していたら私は巻き添いを喰らって谷の底だったかもしれない。今考えてもゾッとする。少し先でわれわれをフォローしていたガイドが私の後ろの方を見ながら「おーーーー」と叫んでいた。私は後ろを振り向く余裕もなくひたすらエッジを噛ませて踏ん張っていた時だ。あとで聞いたがそのスキーヤーはこの先で暴走しバランスを崩して滑落したそうだ。かなり下った先だったので雪が付いているところで止まって大事には至らなかったようだが。ちなみにこのあたり、ツェルマットからヴェルビエに抜ける山岳レースPDG(Patrouille des Glaciers)のコースになっている。支柱が立てられていたがレース本番ではここに滑落防止の網が張られるらしい。それほど滑落の危険がある場所ということだ。このレースのトレーニングで多くの山岳スキーヤーが訪れていたのかもしれない。余談だがこのPDG、第二次世界大戦真っ只中の1943年に始まったスイス軍の兵士能力テストが起源の山岳スキーレースである。隔年開催で今年は開催年だ。日程は2024年4月17日〜21日。この原稿を書いている今、まさにアルプスの山中で熱戦が繰り広げられていることになる。(後日知ったが、今大会はアルプス全体が悪天候で4本中3本のレースが中止になったそうだ)
氷河の向こうの朝焼けが美しい。これから今日の最高地点テーテ・ブランシュ(Tete Blanche)に登っていく。このあたりからPDG(Patrouille des Glaciers)用に立てられたポールが出てきた。傾いたポールをガイドが直しながら登っていった。先行のパーティはアンザイレンで登っていた。