2025年9月 四国霊峰巡礼 石鎚山・剣山

By , 2025年9月28日 8:52 AM



連休を利用して四国の霊峰を訪れた。せっかく四国に行くならと二大霊峰の石鎚山と剣山を目指すことに。
調べてみると、石鎚山は連続する鎖場があり、最高峰へ行くには際どい細尾根が待っているらしい。心の準備が必要。剣山はその奥にそれはそれは素敵な縦走路があるとのこと。期待は膨らむばかりだ。

徳島空港の往復チケットが取れたため、1日目は石鎚山玄関口の愛媛県は西条に移動し海鮮料理に舌鼓をうちながら前泊。翌朝石鎚山を目指した。下山後は夜な夜な徳島方面へ移動し、登山口の駐車場で仮眠して剣山を目指ざすことにした。

四国霊峰巡礼第一弾は石鎚山。
ロープウェイで成就社というお宮まで上がり、そこから登山が始まる。

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登山道に入ると立派なブナがお出迎え。四国のブナも素晴らしい。
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一旦コルまで下って登ると「試しの鎖(74m)」という最初の鎖場が現れる。多くの人々が登っていた。取り付いてみると岩がツルツルで足場が取りにくい。鎖は太く大きい。その連結部は大きな輪になっていてそこに足先を突っ込んで足場にすると具合がよかった。一つのパーティがロープワークの実践練習をしていた。この鎖場を登るとすぐに登った高さと同じだけ反対側の岩壁を下る必要がある。ここは簡単に巻ける迂回路がある。まさに試しの鎖場だ。
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次に現れたのが「一の鎖(33m)」だ。先行して登っていたパーティの一人が中盤でかなり苦戦していた。なんども登ろうとするが足場が滑って逆にずり落ちてしまう。しばらく待っていたが横から追い抜いて登った。
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続いて「二の鎖(65m)」。鎖が垂直のように見える岩場に一直線にのびていた。途中ハングしているいやらしい箇所があって女性が難儀していた。相変わらず足場が滑りやすいため、鎖の連結部の丸い輪に足先を突っ込んで足場にしながら登った。要所に三角形の鎖がつけられていて助けられた。
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そして最後の「三の鎖(67m)」。こちらも急勾配に鎖が一直線に続いていた。ここまでで要領はつかんでいたが結構腕力が必要で登り切るまでに息も切れていた。今回すべての鎖場を登ったが、誤って上部から落ちたら大怪我以上になってしまうだろう。全鎖場に迂回路があるのでこのへんは自己責任で。三の鎖を登りきると石鎚神社におどりでた。ここが弥山(みせん)の頂上だ。
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弥山では多くの人が登頂を喜んでいた。インスタでよく見る弥山からの天狗岳も目の前だ。ガスがかかって幻想的だった。荷物をデポして天狗岳を目指した。途中の細尾根がよく見える。緊張しながら出発。強い風とガスがかすめる稜線を進む。尾根の左側は完全に切れ落ちている。右側の踏み道をたどった。しばらくいくと道はなくなりナイフリッジの岩場に誘導された。ここが核心部。横からの強風に煽られながら4点歩行で慎重に通過した。岩場を抜けると小さな祠が見えてきた。「天狗岳1982m」の看板。西日本最高峰に到達した。尾根の先には南尖峰1982mが見える。同じ標高でこちらも西日本最高峰だ。さすがは修験の山。なかなか登りごたえがあった。
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西日本最高峰
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南尖峰1982m こちらも最高峰
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弥山を振り返る
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復路は鎖場を迂回し、四国特有の高山植物に癒されながらの下山となった。
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トサノミカエリソウ
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ミヤマヒキオコシ
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ヒメシャラとブナ 太平洋側や西日本特有の組み合わせ
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ブナの森がお見送り
 

下山後は駐車場に隣接する温泉で汗を流した。温泉に入れば駐車料金は戻ってくる。

夜は明日の剣山に向けて大移動。高速で美馬に行き、貞光、一宇を抜けて山中に入っていくわけだが、これがなかなかの距離。道は暗いし細いしクネクネだしで結構疲れた。何ヶ所か「ヘアーピン」という標識があった(ヘアピン?)。見ノ越の駐車場には夜中に到着。結構な車がとまっていた。

 

四国霊峰巡礼第二弾は剱山。
辺りが明るくなってきた頃起床。駐車場は満車。さすがは百名山、人気の山だ。登山道は鳥居がある石段から始まる。劔神社で安全祈願して出発した。霧がかかる九十九折りの道を進んだ。神秘的なブナの大木が迎えてくれる。20分ほどで樹林帯が終わり視界が開けた。野営場を過ぎるとリフトの西島駅につく。
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野営場
 

ここからいくつかの道に分かれるがリフト降り場の裏手の道から入った。左手にはテンニンソウの群生やシコクブシ(トリカブト)を前景に剣山地の山々が美しいグラデーションを見せていた。
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テンニンソウ
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シコクブシ(トリカブト)
 

狛犬を過ぎると鳥居が現れ、まもなく劔山本宮についた。山頂ヒュッテとの間の階段を上がると広い大地に出た。木道を進むと剣山山頂の標識についた。西日本第2の頂だ。あいにくガスに覆われ視界はない。この先に次郎笈(じろうぎゅう)に続く雄大な縦走路が延びているはずだがまるで見えなかった。この縦走路を歩くのがこの日の目的だったが残念。視界がない中モチベーションが上がらなかった。
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残念だが次郎笈は次の機会にして山頂ヒュッテであめゆを飲んで下山することに。
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あめゆ
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山頂ヒュッテで30分ほど休憩して外に出るとガスが抜けたようだ。ダメ元で山頂の台地に行ってみると空が若干明るくなっている。山頂標識の方へ登っていくとじわりじわりと彼方の山々が浮かんできた。次郎笈をはじめ周囲の山々がすっきりとその姿を見せていた。次郎笈への縦走路もはっきり確認できた。幸運にも天気の女神が微笑んでくれた。次第に広がる青空のもと、次郎笈目指して至高の稜線歩きを堪能。次郎笈のどっしりとした山容は日本アルプスの山々にも引けを取らない。見事な光景を繰り広げていた。
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次郎笈がその勇姿を現した
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素晴らしい稜線歩き
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次郎笈の山頂から見る剣山の勇姿も素晴らしかった。剣山からの稜線は一ツ森を経由して尾根を分けながら谷へと深く落ちていた。稜線の奥には四国山地の山々が奥深く連なっていた。四国まで来た甲斐があり絶景を拝むことができた。山の神様に感謝だ。
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次郎笈から剣山
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一ツ森方面
 

下山は剣山に行く途中からのトラバース道を通った。振り返ると相変わらず見事な次郎笈が鎮座していた。しばらく進むと尖った岩の袂に建物が見えた。大劔神社だ。このシンボリックな岩は「御塔石(おとうせき)」と呼ばれ、剣山の名前は剣のようなこの御塔石が由来らしい。御塔石から湧き出た御神水で喉を潤した。そうして群生するシコクブシ(トリカブト)やシコクフウロに癒されながら下山し、四国霊峰巡礼の旅は終了した。
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トラバース道から次郎笈
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大劔神社と御塔石
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シコクフウロ
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2025年9月 聖岳 百名山屈指の激登り

By , 2025年9月24日 10:07 AM



天候が安定しそうな日に聖平小屋が予約できたので南アルプスの聖岳に行ってきた。
南アルプスの山はどれも手強いが、中でも聖岳はもっともハードとの呼び声が高い。

今回は長野側から入った。芝沢ゲートから易老渡(いろうど)、便ヶ島(たよりがしま)、西沢渡(にしざわど)と林道を歩き、そこから標高差1300mの急尾根を登って聖平小屋へ。翌朝聖岳に登頂し、2300mを一気に下山する1泊2日の行程だ。

芝沢ゲートまではこれがなかなか遠い。飯田から遠山郷に入り、日本のチロルと呼ばれる下栗の里を通っていくのだが、夜遅かったため道は暗く、そして細いため、飯田から3時間かかった。平日にも関わらずゲート前の駐車スペースはほぼ満車だった。

仮眠してまだ真っ暗な4時すぎにゲートを出発した。
1時間ほどで易老渡、そこから30分で聖光小屋がある便ヶ島、そこから40分で名物の渡しゴンドラがある西沢渡についた。
試しにゴンドラを引っ張ってみたがかなり重たい。相当な腕力が必要そうだ。これからきつい登りが待っているため体力温存で仮橋で渡った。

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 西沢渡のゴンドラ
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 仮橋
 

沢を渡るといよいよ急登が始まった。営林小屋を過ぎてからは急な尾根道がしばらく続いた。脚がつりそうになるほどの斜度だった。
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 延々と続く急登
 

標高1800m付近にあるモミの大木がある広場を過ぎてもまだまだ急坂は続く。たまらず休憩。
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 大木の広場
 

息を整えて登り始めた。標高2000mの苔平付近は見事なコメツガと苔の森が広がっていた。
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さらに標高を上げると次第に幻想的なシラビソの森になっていった。
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長い森を抜けてトラバースしていくと視界が開け、薊畑(あざみばた)分岐に到着。ここで標高2400m。駐車場からの標高差は実に1700mだ。けっこうこたえた。
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 薊畑分岐
 

聖岳は明日の楽しみにしてこの日は聖平小屋へ向かった。分岐から20分ほど下ったところにある。
小屋までの間ではミヤマトリカブト、タカネマツムシソウ、リンドウなどの高山植物が迎えてくれた。
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ミヤマトリカブト
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タカネマツムシソウ
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リンドウ
 

上河内岳への分岐を左に進むと木道になり、まもなく聖平小屋に着いた。芝沢ゲートからは7時間弱だった。
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小屋は綺麗で、建て替えたのが20年前とは思われなかった。水は小屋の玄関のすぐそばまで引いてあった。トイレは別棟にあるが水洗でかなり綺麗。スタッフの努力のおかげだ。就寝スペースも十分でカーテンで仕切れプライバシーにも配慮されていた。テント場も広くて快適そうだ。小屋には一番乗りでベストポジションを確保。
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周辺を散策。上河内岳への分岐の方へ行ってみた。この辺は見通しがよくケータイも入るようだ。あいにく山は雲に覆われていた。針葉樹と草原が雰囲気ある景観を作っていた。
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聖平小屋は食事の提供はなく自炊。今宵の夕食は五目ごはんのアルファ米に酢飯の素を入れた「五目手巻き寿司」。酸味が食欲を刺激して一気に平らげた。明日の朝食のアルファ米を準備して早めに就寝した。
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翌朝2時に起床。ほとんどの宿泊者が就寝している中そっと支度した。山頂でご来光を拝むためだ。テント泊の若者縦走パーティが出発していった。そのあとを追うように3時に小屋を出発。ヘッデンを頼りに登山道を進んだ。途中の薊畑分岐に余計な荷物をデポする。若者パーティと抜きつ抜かれつで進んだ。小聖岳の手前で森林限界を越えると風が出てきた。結構な強風で体が冷えていく。ハードシェルを着込んだ。登山道が細尾根になってきた。まだ暗く地形の状況は確認できないが左側は崖で大きく切れ落ちている感じだった。細尾根を過ぎるとザレ場のジグザグになった。そのころ東の空が明るくなってきて暁光の彼方には富士山が見える。ジグザグの登山道が東を向くたびに黎明の富士山が正面に見えていた。空は次第に赤く染まってきた。そして小屋から2時間で聖岳山頂に。かなりの強風で寒い。思わずダウンを羽織った。雲海に浮かぶ富士山がいつもの秀麗なシルエットを見せていた。北側では聖岳に対峙するように赤石岳が圧倒的な存在感で迫っている。ハイマツの陰を陣取ってご来光を待った。雲海の先が輝きはじめた。地平線から光線が放たれた瞬間、太陽がその玉歩を進めた。やはり3000mから拝むご来光は格別だ。ご来光の反対側を見ると見事なピラミッドが大地に定まっていた。影聖岳だ。苦しい登りが一気に吹き飛ぶ最高の時間を過ごすことができた。きてよかった。つくづくそう思った。
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 黎明の富士山
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奥聖岳
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ご来光と富士山
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 赤石岳
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 影聖岳
 

下山していると小屋からの登山者がたくさん登ってきた。ガスの合間から細尾根の登山道がのぞく。しばらく下って振り返るとどっしりとした聖岳が見送ってくれた。
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聖岳の勇姿
小聖岳を過ぎると朝日に輝く木漏れ日がきれいだった。聖岳も相変わらず見送ってくれていた。
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薊畑からは南アルプス南部の山並みがスッキリ見渡せた。
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上河内岳
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茶臼岳、イザルガ岳、光岳
登山口までの途中に通った下栗の里。この里の生い立ちは定かではないが、一説には、大昔にこの山脈の裏の大井川の方から茶臼岳を越えてきた人々が住み着いたともいわれている。下栗のあたりに食料となる栗が豊富だったからではないか。地名の由来なのかもしれない。ともあれこの雄大な山々を越えてやってきた古人の足跡を想うと壮大なロマンを感じないわけにはいられない。
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下栗の里
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左下に見えるのが遠山川 まさに天空の里
 

ここからは一気に下って芝沢ゲートに戻った。

2025年7月 赤木沢 北アルプスの美渓を沢登り

By , 2025年8月10日 10:43 AM

北アルプス黒部川水系赤木沢
沢登り
2025年7月下旬
KK単独



2025年夏。下界は連日の酷暑。こうも暑いとやはり沢を歩きたくなる。7月下旬、好天が続く予報を狙って北アルプスの名渓赤木沢に向かった。

今回の計画。1日目は折立から太郎平キャンプ場に登ってベースを張る。2日目の早朝に薬師沢小屋へ向かいそこから入渓、黒部川本流を遡行して赤木沢を詰める。縦走路で戻るが、そのまま下界に下りても暑いだけなのでテントでもう1泊。という2泊3日の山旅だ。

赤木沢は20数年振り。そのときはロープやらガチャ類やらを持っていったがお守り(オモリ?)になった記憶がある。地形の様子はひと通り把握しているし単独ということもあって、今回はロープをはじめ特別な装備は持っていかなかった。(※黒部本流の水量、メンバーの技量等を考慮し、装備は十分に検討されたし)

2日目の未明、3時前にはテントを出発し、ヘッデンを頼りに薬師沢小屋を目指した。念のため熊鈴を鳴らしながらの行軍だ。真っ暗闇のなか1時間ほど歩くとうっすら白んできた彼方に水晶岳のシルエットが浮かんでいた。

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すっかり明るくなったころ薬師沢小屋に到着。テント場からは約2時間だ。アルファ米をかきこみ沢支度をして小屋脇のハシゴで黒部本流に降りた。
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ひんやりとした朝の空気のなか遡行開始。奥の廊下と呼ばれる上流域とはいえそこは大渓流の黒部川、見事な流れはいつもと変わらない。朝イチであまり濡れたくなかったので、深場のへつりを避けながら右へ左へと渡渉を繰り返す。
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先行者
小ゴルジュ帯は右岸づたいに行けそうだが、残置シュリンゲがある岩を越えるのが難儀そう。ドボンしたくないので左岸から巻いた。前方にナイアガラの滝が見えてきた。いよいよ赤木沢出合が近い。
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右岸の岩に残置シュリンゲがある
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奥に見えるのが赤木沢出合のナイアガラの滝
薬師沢小屋から1時間ほどで有名な赤木沢出合に到着。エメラルドグリーンの瀞に幅広な滝が美しく落ちている。来る者みなに感動を与える、えもいわれぬ美しいところだ。この絶景を撮るためだけに担いできた三脚を立ててしばらく撮影。
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赤木沢出合 自然の芸術
途中で追い越したお二人が追いつきプールに腰まで浸かりながら赤木沢へ進んで行った。カメラをビニール袋に密封してザックに詰めて出発。赤木沢へは左岸をヘツリながら入っていく。出合では先ほどのお二人がロープを出して遡行の準備をしていた。先に行かせてもらう。
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赤木沢に入るや後ろから光が射してきた。背後の山影から朝日が昇ってきた。図ったかのようなタイミングだ。ただでさえ美しい赤木沢が光芒によってさらに美しく演出された。思わずザックからカメラを出してシャッターを切った。
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美しいナメをすぎるとさっそく20mの滝がお出迎え。ここを皮切りに美しい滝たちが次々と現れる。そのほとんどが直登できる、これが赤木沢の魅力だ。
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軽快に登っていくとさらさらと流れるナメ状の滝になり、ここも気持ちよく進む。ふりかえると赤木沢の流れが美しく輝いていた。
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左からのウマ沢を過ぎると平瀬が続き、まもなく10〜20m前後の滝が連続するが、どれも順調に越えていく。
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連続して美滝が現れる
 

すると2段15mの滝が行手を拒む。落口を見ると滝に取りつくには深いところを少しの距離だが浸かる必要がありそう。カメラをしまうのが面倒なので右岸を巻くことにする。ルンゼを20mほど登って笹藪をトラバースすると踏み跡が出てきて滝上部へ。
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ここは左から巻いた
 

続いてゴルジュ地形の10mが出てきて一見難しそうだったが、行ってみると右岸伝いに簡単に越えられた。
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平瀬を進み左からの細い流れを過ぎると沢が開け、正面に赤木岳が見えてきた。目指す稜線だ。
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目指す稜線が見えてきた
 

しばらく平瀬とナメを進み、左からの小沢を過ぎて5mほどの滝を越えると数段になって落ちるナメ滝が見事な姿を見せていた。この滝も問題なく登っていける。ふりかえるとかなり高度を上げてきたことがわかる。

少し進むと美しいナメの数段滝が迎えてくれた。
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さらに進むとゆく手に巨大な岩の壁が見えてきた。近づくと右手の陰から流れ落ちる立派な滝が姿を見せた。大滝だ。
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奥に見えるのが大滝
 

大滝手前の小滝上部左岸の赤テープが高巻きの取り付きになっていたが、今回は少し手前のルンゼから巻くことに。急斜面のルンゼを30〜40mよじ登っていく(途中にハーケンとシュリンゲが残置してあった)。やがて草付きの踏み跡になってさらに登っていくと突如踏み跡が消えてあせったが、左手側の笹藪をかき分けるとかすかに踏み跡が確認できた。それを進むと赤テープの巻道と合流し、滝の落口上部へ出ることができた。下からは見えなかったが奥にもう1段の滝が落ちていた。赤木沢のハイライト、大滝突破だ。(高巻きの詳細は動画参照)
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残置シュリンゲ
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大滝は2段になっている
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 大滝の落口
 

大滝を越えると渓相は一気に源流だ。右からの支沢を過ぎて地形図の2237m地点二股は左へ入った。どの支流をたどってもいずれ稜線に至るはず。この辺のルート選択は個人の好みだ。この先もしばらくきれいなナメ床が楽しませてくれた。やがて奥の二股に至って左に進み水流が一気に減ったと思ったら、岩の間から最初の一筋が滲み出ているところまできた。
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標高2237mの二俣
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きれいなナメが続く
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奥の二俣
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赤木沢最初の一滴
 

枯れた沢筋を左にたどっていくと草原に躍り出てそこで沢装備を解いた。北アルプスの山々にぐるりと囲まれた大草原にただ一人たたずみ、登ってきた赤木沢を顧みながら達成感を味わった。
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草原に躍り出る
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 沢装備を解く
 

縦走路に出るまでハイマツ帯に阻まれつつ右へ右へ進んだが、奥の二股のさらに奥の二股を右に進めば素直に中俣乗越に至るのかもしれない(ルート選択は自己責任で)。そうして中俣乗越の道標がある登山道に到着した。薬師沢小屋からここまで4時間30分、テン場からは7時間弱ということになる。沢の中は涼しい上に水に浸かっているためバテることはなかった。
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 登山道に着いた
 

目的達成。となればハッピーなはずだが、ここからテン場までがなかなかしんどい。標高2000mを越えるとはいえ真夏の太陽は縦走路を容赦なく焼きつける。おまけにアップダウンが加わりじわじわと体力は消耗する。いや、ここは「ダイヤモンドコース」と呼ばれる北アルプスの名峰を見渡せる爽快なルートだ。贅沢なコースで下山させてもらえる、とポジティブモードに切り替えることにする。
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アップダウンが・・・
 

赤木岳からは、登ってきた赤木沢が水晶岳をバックに足元まで延びているのがはっきりとわかる。北ノ俣岳の懐には薬師沢左俣の源頭がまるで登山道のように続いているのが見える。いつかたどってみたいものだ。
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赤木沢と水晶岳
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薬師岳と薬師沢左俣
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北ノ俣岳山頂は北アルプスの大展望台になっていた。槍、水晶、鷲羽、三俣蓮華とそのあいだからのぞく大天井などの山々、その懐深く入り込んだ黒部本流の谷もはっきり確認できた。
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鷲羽、大天井、三俣蓮華、黒部の源流
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水晶、鷲羽
 

北ノ俣岳の先では見事なお花畑が癒してくれた。最近まで残雪があったのかチングルマとハクサンイチゲが大群生。ここまで道中のチングルマは綿毛の実になったものばかりだったが、これには思わず歓喜。水晶、鷲羽、薬師・・・名だたる名峰をバックに咲き誇る光景は圧巻だった。さすがはダイヤモンドコース、絶景を堪能させてもらった。
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チングルマ
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ハクサンイチゲ
 

だらだらと太郎山を登っているとすぐ傍に雷鳥がいた。太郎山を過ぎると太郎平小屋が見えてきた。小屋で買ったキンキンのノンアルビールが全身に染み渡った。今朝出発して10時間弱、登山道と沢をめぐってぐるりと一周してきた。
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その晩は快適なテントで、行程を回想しながら贅沢な時間を過ごした。
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太郎平キャンプ場
 

2025年1月 女子会通信 鍋倉山

By , 2025年1月26日 10:38 AM

日時:2025年1月18日
天候:晴れ
メンバー:HN、YS、CK(ウルスカディ)、MK、UN
撮影:KK(ウルスカディ)

前日の降雪と絶好の天候が重なる今シーズン最初の「The day」となったこの日、パウダー天国の鍋倉山へ女子会山行を行いました。
入山口にはクルマが20数台駐まっていましたが、パウダー斜面は十分残っていて最高に楽しむことができました。

2024年9月 百名山最難関 幌尻岳

By , 2024年11月7日 3:42 PM



今年の遅めの夏季休暇は北海道の山をセレクトした。目指したのは北海道の背骨と呼ばれる日高山脈の最高峰幌尻岳だ。

休暇の期間は天候が悪く、唯一晴れそうなのが北海道だけだった。いつかは行きたいと思っていた幌尻岳だったが、この時点でまさか登ることになるとは考えもしていなかった。何気なく幌尻山荘の予約サイトをのぞいたところ直前でキャンセルが出たらしく思いがけず予約できた。そんなわけで急きょ北海道行きとなった。

幌尻岳といえば百名山の中でも最難関レベルといわれている。また、日帰りが難しくテント泊は禁止でおのずと小屋泊まりとなるが、この幌尻山荘がなかなか予約がとれない。これが山行を一層困難にしているところもあるらしい。われわれは運良く1週間前に予約が取れたが、現地で話した登山者の多くが1年前から予約していると聞いて驚いた。

幌尻岳についてこれまで特に調べたことはなかったが、ものの本には「百名山最難関」だとか「登山の難易度が高く簡単には登れない山」とか物々しく書かれていたことは知っていた。この夏、空木岳へ向かう途中でバスで隣になった方も百名山の中で一番きつかったのが幌尻岳といっていた。なんだかハードルが高そうだ。

あわてて情報収集。要は百名山唯一、登山コースに沢の渡渉があることが難易度を上げている一番の理由のようだ。増水時に流されて死亡した例もあるらしい。とはいえ今回は9月の中旬で水量も落ち着いているだろうし、沢歩きはそこそこ慣れているので大丈夫だろうと言い聞かせながら引き出しの奥から沢装備をひっぱり出した。

ところで山行予定5日前時点で先月の大雨で大規模落石が発生し林道は通行できない状況だった。翌日の4日前には開通しほっと胸をなでおろした。のちに山小屋の管理人さんから聞いた話によると、われわれが山行した日程には開通の見込みはほぼなかったらしく、工事関係者の尽力でギリギリ間に合ったようだった。この幸運には感謝しかなかった。

ちなみに、北海道山行で課題になるのがガス缶問題。ガス缶は飛行機には持ち込めず、預ける荷物にも入れることができない。固形燃料も同様だ。幌尻山荘は食事の提供がないため自炊で、ガス缶は必須となる。時間に余裕があれば道内で購入すれば問題ないが、今回は諸事情により千歳に21:00前に着いて翌朝4:00のシャトルバスに乗るため道内での購入は困難。ネットで調べるとAmazonで購入し受け取り場所を北海道のコンビニにすればいいとの情報があったが、危険物だとかなんとかでこのやり方は今はできなくなっていた。空港内に販売しているところがあるが、20:30閉店で間に合わない。登山口までのシャトルバスが出発する「とよぬか山荘」でも購入できるとのことで問い合わせてみたが、売店は朝7:30からでこれも無理。夜中にアウトドアショップも開いてない。そもそもタイトなスケジュールというのが原因だが、いよいよ困ってしまった。そんななか偶然目にしたのが「家庭で使うCB缶(カセットボンベ缶)はコンビニで購入できる」という記事。その中で「いつも山で使っているOD缶(アウトドア缶)用のヘッドをCB缶で使えるよう変換するアダプター」が紹介されていた。なるほどこの手があったか!ということで、この情報のおかげですったもんだしたガス缶問題は一気に解決した。さっそく変換アダプターとやらをAmazonで購入し翌日には配送されてきた(この問題に気づくのが前日とかだったらアウトだった)。現地のコンビニには某有名メーカーのCB缶がしっかり置いてあった。また、余ったガス缶はシャトルバス発着点のとよぬか山荘で引き取ってくれる。北海道のガス缶問題。悩む人が結構多いと思うので参考まで。

羽田は相変わらずの猛暑。夕日を見ながら飛行機に乗り込んだ。千歳に降りるとさすがは北海道、いい感じの涼しさだった。レンタカーを借りてコンビニでCB缶を購入し、途中の道の駅で仮眠した。

真っ暗で何の景色も見えない道を走って3:00頃とよぬか山荘に着いた。バスは4:00発。自販機で駐車料金300円とバスのチケットを購入。ちなみにとよぬか山荘の駐車場は車中泊禁止。鍵が閉まっているので山荘のトイレは使えない。4:00のバスには10名ほどが乗り込んだ。ほとんどがとよぬか山荘に前泊したようだ。

バスは糠平川林道に入っていった。途中から未舗装になり鹿の群れを何度も追いちらしながら進んで行った。辺りがうっすら明るくなってきたころ終点の第2ゲートに到着。ここまで約1時間。バスの終点には休憩やビバーク用のプレハブ小屋と簡易トイレがある。一同準備を整えて林道を歩き始めた。

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 バス終点の第2ゲート
北海道電力の取水施設まで7.5km、約2時間の林道歩きはウォーミングアップにちょうどいい。糠平川を見ながらのんびり進んだ。途中、落石の痕なのか重機でならした箇所が複数あった。壁が崩壊したら通れなくなるような際どい箇所もあった。落石に注意しながら進んだ。3つ目の橋を越えたところが取水施設でトイレブースも設置されていた。
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取水施設
取水施設の先は沢沿いをしばらく登山靴で進んだ。ヘツる箇所もあるが問題ない。しばらく右岸を巻いていくと最初の渡渉箇所に着く。ここで沢支度。それぞれの沢装束は、渓流シューズ、トレランシューズ、マリンシューズ、沢タビなどさまざま。
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ちょっとしたヘツリ
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最初の渡渉地点
マリンシューズの人は最初の一歩がさすがに冷たそうだった。われわれは沢タビ派、躊躇なく沢に踏み出していった。9月も中旬で水量は少ない。シーズンの中でもっとも少ないかもしれない。ほとんが膝下で渡れた。この水位が膝上や腰までとなると話は違ってくる。相当に難儀するだろう。というか渡渉は不可能、勇気を持って撤退すべきである。四ノ沢手前の仮橋の箇所はこの減水期でも流れが強く、橋がないと難儀しそうだった。この仮橋も先月の大雨で破損し最近修繕されたばかりだったらしい。限りなく澄んだ源流の流れをイワナを散らしながら歩く贅沢。他の百名山では味わえない沢を辿りながらの山行はなにより楽しかった。ちなみに回数を数えながら遡行したが、渡渉は全部で22回だった。全渡渉シーン(下り)は動画をご覧いただきたい。最後の渡渉が終わると幌尻山荘はすぐそこだ。沢から少し上がった広場に立派な小屋が立っていた。
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四ノ沢出合の仮橋
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四ノ沢
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最後の渡渉
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幌尻山荘到着
小屋の外で管理人さんがお出迎え。到着順にチェックインと小屋のお作法を説明してくれた。トイレ使用料としてひとり1000円を支払う。トイレは24時間利用可能だった。管理人さんは若くてとても好感が持てる方だった。沢装備やデポ品を小屋に置いてさっそく幌尻岳へ。

小屋の先はいきなり急登だ。エゾマツやトドマツなどの針葉樹が優占する樹林帯をジグザグで登っていく。次第に広葉樹が混じり傾斜がゆるくなった標高1500m付近では見事なダケカンバの森が迎えてくれた。このころ視界が開け、左側には日高山脈の主稜線が見えてきた。「命の泉」の入り口で一本取った。
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命の泉の先から再び急登となりハイマツなどの低木帯となる。急登を40分ほど登ると一気に視界が開け左前方に幌尻岳がその大きな姿を現した。北カールを挟んだ正面に鎮座する幌尻岳は、アイヌの人々をして「ポロ・シリ(大きな・山)」と言わしめたにふさわしい存在感だった。これから辿る幌尻岳までの稜線が北カールの源頭をぐるりと囲みながら続いていた。糠平川源流の細い流れや池塘が配置されたカールはまるでジオラマのよう。まさに「神々が遊ぶ神園」と呼ぶにふさわしい。天候にも恵まれこれ以上ない眺望を味わいながらピークを目指した。
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幌尻岳が見えた
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気分よく歩いていると登山道に動物の糞が。ヒグマである。日高といえばヒグマというほどその数は多い。ここまで終始クマ鈴を鳴らしながら歩いてきたし、幸いお目にもかかってない。さすがにそのときはヒグマの存在を実感した。
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 ヒグマの糞
北カールをぐるっと巻きながら標高を上げていくといよいよ山頂が近づいてきた。大きなケルンのようなところを過ぎると看板が立っていてそこが山頂。ついに日高山脈最高峰、幌尻岳に登頂した。そのころには薄い雲も晴れて青空になっていた。初秋の澄んだ空気と相まってすばらしい眺望が広がっていた。ぐるり見渡すと、稜線のすぐ先は戸蔦別岳そして北戸蔦別岳と続き、その先の支尾根がピパイロ岳をピークに十勝平野へと裾を落としていた。主稜線は確認できないほど遠く彼方に続いていた。その奥には十勝岳連峰と大雪山系までもが確認できた。北の大地の広大なパノラマが展開されていた。山頂には続々と登山者が到着し、みな思い思いに登頂の喜びをかみしめていた。そのうちの一人は幌尻岳が百名山の100座目ということで達成記念の手ぬぐいを広げて記念撮影をしていた。山頂のみんなでお祝いした。また、幌尻岳は数回目という方は、初めて青空のもとで登頂できたと話していた。そんな話を聞くと、今回の山行が小屋の予約に始まり数々の幸運が重なって実現できたと思わずにはいられなかった。山の神様に感謝だ。
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戸蔦別岳方面
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奥には十勝岳連峰と大雪山系
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北カール
相変わらずの絶景の中を下山。このまま下りてしまうのが実にもったいない。何度も立ち止まってはその光景をまぶたに焼き付けた。
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命の泉に足を伸ばした。急な斜面を2分ぐらい下ったところにある。岩肌からかすかに染み出しているような流れだった。念の為濾過して飲んだ。その水は冷たくおいしかった。

小屋に戻るとみんなが外で夕げを楽しんでいた。われわれも湯を沸かし山では十分なほどうまいフリーズドライのカレーで腹を満たした。夕刻ともなるとさすがに冷え込み、熱いお茶がおいしかった。
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CB缶→OD缶変換の図
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小屋は満床。無料で貸してくれる蛇腹マットの分しかスペースがない状態だ。それでも山の仲間たちは、ひとつ屋根の下で家族のようにくつろぎ就寝した。毛布をレンタルしたがそれで十分なほど小屋は暖かかった。ちなみにレンタル料は毛布、シュラフともそれぞれ500円。

朝は早朝組が暗いうちから小屋をあとにしていた。われわれは山の中でゆっくりしたかったため、あえて17:00のバスを予約していた。ほとんどの人々が出かけた後、ゆっくり朝食をとりコーヒーをたしなんだ。それから山小屋をゆっくり見たり管理人さんと話をしたりと贅沢な時間を過ごした。小屋で販売しているビールや水、軽食などは人力で運んでいるそう。ビールの空き缶は回収してくれるが、この空き缶は管理人さんが荷下げしていて、この日も空き缶の入った大きなビニール袋をザックにくくりつけて沢を下っていった。これで3日分だそうだ。それからは小屋の裏手から戸蔦別岳に登るコースを見に行った。小屋裏の沢の水量は豊富で岩から岩へ飛び越えながら渡った。ルートはしばらく沢沿いに延びていて適当なところで引き返した。こうしてなかなか訪れることができない日高の山の中で豊かな時間をを過ごした。
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トイレ
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2階
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空き缶の荷下げ これで3日分
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小屋に戻るとちょうど管理人さんがパンパンのザックを背負って戻ってきた。水やビール、軽食などを荷上げしてきた。ペットボトルの水は売れ筋とのこと。

ゆっくり支度をして昼前に小屋をあとにした。お世話になりました。

帰りはひとつひとつの渡渉を動画を撮りながら下った。天気にも恵まれ、美しい水の流れが渓谷美を演出し、澄んだ底の岩がキラキラと輝いていた。淀みで昆虫にライズするイワナの姿も見ながらの楽しい渓歩きとなった。帰りの楽しみ、小屋で購入したカップラーメンを沢でいただいた。渓にたたずみながら贅沢なランチタイムとなった。

あとは靴を履き替えて林道を黙々と歩くだけだ。歩きながら楽しかった2日間が回想された。沢の渡渉、ヒグマの恐怖、急登の先に現れた幌尻の偉大な姿、山頂からの眺め、満床の山小屋、どれもが楽しい思い出となって蘇ってきた。最難関といわれる幌尻岳、他の山では味わうことができない独特の魅力を持っているようだ。

下山後はとよぬか山荘に後泊した。廃校になった校舎を改装した施設で、中は綺麗で快適だった。風呂に入ってジンギスカンでお腹を満たしたら就寝。2日間の疲れが溜まっていたせいかぐっすり眠ることができた。
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名物ジンギスカン
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お弁当のおにぎり 一人4個
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豊糠小中学校跡をリノベ
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駐車場
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2024年7月 中央アルプス空木岳 テント泊縦走

By , 2024年8月29日 1:25 PM

・日程:2024年7月31日〜8月1日
・天候:晴れ
・ルート:
(1日目)千畳敷〜乗越浄土〜中岳〜木曽駒ヶ岳〜中岳〜乗越浄土〜千畳敷〜極楽浄土〜島田娘〜濁沢大峰〜檜尾岳〜檜尾小屋キャンプ場(泊)
(2日目)檜尾小屋キャンプ場〜大滝山〜熊沢岳〜東川岳〜木曽殿山荘〜空木岳〜池山尾根〜池山尾根登山口
・メンバー:KK(単独)




下界で猛暑が続くころ、天上の涼を求めて中央アルプスをテント泊縦走してきた。

駒ヶ根ロープウェイで千畳敷まで登り、木曽駒ヶ岳に立ち寄ってから引き返し、途中でテントを張りながら空木岳を目指した。

木曽駒ヶ岳からテント場の檜尾岳までは、宝剣岳を経由すれば最短距離で行けたものの、険しさの情報が今ひとつ掴めていなかったこともあり、テント泊のフル装備を担いでいたこともありで、今回は大事をとって迂回し一旦千畳敷に戻って極楽平に登り返した。

縦走はロープウェイ利用なので余裕かと思いきやこれがなかなか手強かった。稜線はいくつものアップダウンの繰り返しで荷物が重いこともあって結構ハード。特に木曽殿越(木曽殿山荘)から空木岳への登り返しは、標高差360mほどだがアップダウンを繰り返した後だったことと暑さでかなり応えた。空木岳からは登山口まで標高差2000mの下り。これはさすがに長く、荷物の重さと足のマメのおかげで2日目は休憩を含めて行動時間13時間となった。1泊2日なら荷物を軽くした小屋泊がおすすめだろう。

道中ではライチョウの親子3組と出会えた。中央アルプスのライチョウは一度絶滅したが、数年前に他の山系から飛来したメスをきっかけに、乗鞍岳からオスを移植して自然繁殖を試みた結果、今ではその数を120羽にまで増やしている。地道な保護活動の賜物である。人間の手厚い保護のせいなのかどうかわからないが、心なしか他の山系に比べて人なつっこい印象を受けた。

賑やかな木曽駒ヶ岳とは打って変わって、極楽平から空木岳まではほとんど人と会わない静かな山旅であった。随所に見られるお花畑が疲れた体を癒してくれた。

檜尾小屋のキャンプ場はお花畑に囲まれたよく整地されたところにあった。水場まではすこし距離があるがおいしい水を汲むことができる。

2024年4月 オートルート シャモニー〜ツェルマット【プロローグ編】

By , 2024年5月9日 10:11 AM

「オートルート シャモニー〜ツェルマット」山行記録

・日時:2024年4月2日〜7日
・山行メンバー
 Bさん(シャモニーのガイド)
 Eさん(ドイツ在住)
 Mさん(ドイツ在住)
 Cさん(渋谷山の会ウルスカディ)
 K(渋谷山の会ウルスカディ) 記録
 
山行記録は7回シリーズです。
【プロローグ編】    
【1日目】4月2日 グランモンテ〜シャンペ   
【2日目】4月3日 ヴェルビエ〜プラフルーリ小屋
【3日目】4月4日 プラフルーリ小屋〜ディス小屋
【4日目】4月5日 ディス小屋〜ヴィニエット小屋
【5日目】4月6日 ヴィニエット小屋〜ベルトール小屋
【6日目】4月7日 ベルトール小屋〜ツェルマット
※このページは山行までの顛末をつらつらと記録した【プロローグ編】です。とにかく山行記録を読みたい、という方はこのページは読み飛ばしてください。
 >>> 【1日目】はこちら
 

2024年4月、念願のオートルートに挑戦した。
メンバーはドイツ在住のEさんMさん、日本からCさんK(ともに渋谷山の会ウルスカディ会員)、シャモニーのガイドBさんの5名。

オートルートといえば世界でもっとも人気の山スキーツアーコースで山小屋の予約が難しい。そのため計画は1年がかりとなった。Eさんは今回が3回目で勝手がわかっている。年始には初滑りも兼ねて北海道の白銀荘に4人で集合し、その際オートルートのコース概要や山小屋の様子、雪の状態、食事、装備、服装など素朴な疑問を訊ねることができた。おかげでネットだけでは得られない実体験に基づく貴重な情報が聞け、具体的なイメージを掴むことができた。

EさんMさんには山小屋の予約を含め計画全般にわたって全面的にお世話になった。この場を借りて厚く御礼申し上げたい。

羽田に向かう途中Mさんからチャットが。「頼んでいたガイドが直前でケガをして代わりのガイドをアサインしてきた」とのこと。実はガイドが変わるのはこれで2回目。つまり3人目だ。3人目のガイドはガイド歴半年でオートルート経験は2回しかないらしい。かなり心許ない。Eさんから他のガイドを探してみる旨の連絡が来て以降連絡が途絶えた。なんだか不穏な空気が漂ってきた。われわれ日本組は飛行機を予約しているため、状況はどうであれヨーロッパには飛ぶしかなかった。最悪のケース(ガイドが見つからずゲレンデ中心のスキー)も覚悟しながら、でもヨーロッパでのスキーは初めてでそれはそれでよしとした。

飛行機はウクライナ戦争の影響でロシアを大きく迂回する太平洋〜カナダ〜グリーンランド〜ヘルシンキのルートをとった。ヘルシンキ空港で入国審査後ジュネーブへの乗り継ぎの時間をつぶしをしているとMさんからチャットがきた。「吉報です!ガイドが見つかりましたー!」。短い文面からも喜びが伝わってきた。連絡が途絶えてからこれまでふたりが現地ですったもんだしている姿が容易に想像できた。とにかくおつかれさまと伝えたかった。

EさんMさんはひと足先に車でシャモニーに到着しスキー場で滑っているはずだったが、「タイヤがパンクして、いま修理で隣町まで来ている」らしい。またしてもトラブル・・・。

ヘルシンキからジュネーブへ飛び、そこからは予約しておいたワゴンタクシーでシャモニーへ向かった。

こうして4人がホテルで再会したのは夕方だった。それからはガイド決定までの経緯について話が尽きなかった。要はこうだ。一人目は以前にもガイドしてもらった実績があるオーストリア人だったが、奥様のケガでどうしても都合がつかなくなり代わりのガイドを紹介された。この二人目のガイドもオーストリア人で、この人とは事前に日本とドイツ、オーストリアを結んでオンラインミーティングをやっている。しかしこのガイドも先に触れた通り直前のケガでキャンセル。代わりに紹介されたのが若い新米ガイドだった。こっちも命に関わる山行なので「はいわかりました」とはいかない。不安なのでEさんが電話で経験や力量、悪天候時のエスケープルートや代替案など多方面からヒアリングしたそうだ。そうこうしているうちに先方から断ってきたそうだ。土壇場でガイドの当てがなくなった。ダメ元でシャモニーの3つのガイド斡旋事務所にガイド依頼の問い合わせを入れたところ、日本人経営の事務所からガイドが見つかったと連絡が入りホッと胸をなでおろした、という次第。結果オーライでこのシャモニーのベテランガイドが大当たりだった。その凄さはおいおい触れていきたい。

今回のオートルートの計画は、6つの山小屋に泊まりながら4/14/7の7日間の予定だったがどうやら天候が怪しい。例年だとこの時期ピーカン続きで天気は心配無用のはずだった。4/1は低気圧が通過するため入山は難しい。4/2は回復して山行日和。しかし4/3はまた崩れるといった感じでパッとしない。通しでオートルートを踏破するのは難しいかも、と4人で話していた。

ちなみに、山小屋は2日前からはキャンセル料が全額かかる。この時点でMさんEさんの判断により4/1のアルバート・プレミア(Albert Premier)小屋と4/2のトリエン(Trient)小屋はキャンセルしていた。この辺の判断が微妙に難しかったりもする。山小屋の予約状況をネットで見るとこの2日間はガラ空きで天候の悪さが容易に想像できた。

4/1
、山は風が強く入山は無理。スキー場のゴンドラもほとんどが運休。なんとかリフトが動いているバルメ(Balme)スキー場で足慣らしとなった。滑走中Eさんのビンディングが破損。またもやトラブル・・・。一難去ってまた一難だ。Eさんはテレマークでビンディングのパーツは一般的ではない。修理不能で最悪スキーのレンタルも視野に街のショップ巡りへとスキー場を降りて行った。幸いにもアルジェンチェールのショップにパーツがあって修理できたとのこと。やれやれトラブル続きだが、山行前にウミを出し切りすべては良い方向へ向かっていると前向きに捉えることにした。

4/1の夕方、ガイドと山行の打ち合わせ。われわれの宿にガイドと事務所のご主人が来てくれた。ガイドは地元シャモニーの50代のベテランだった。ゆっくり英語で話しかけてくれる。天候についてガイドの見立ては、明日4/2は晴れて風も収まるが翌4/3は芳しくない。4/4以降はなんとか持ちそうとのこと。予定より1日過ぎているため当初ルートの途中から入山することも覚悟していたが、ガイドの提案は、まず明日4/2にグランモンテスキー場〜アルジェンチェール氷河〜パッソンのコル〜トゥールのコル〜エカンディのコル〜シャンペを一気にやる、無理そうだったら途中で下山するというもの。下山ルートは複数あるらしい。通常2〜3日かかるルートを1日でやってしまおうというわけだ。それがどの程度の難易度なのか想像もつかなかったが、無理なら途中下山可能とのことなので提案を受け入れることにした。そして明後日の4/3は天候が荒れて特に朝の行動はリスクがあるため、4/2は一旦この宿に戻り4/3に車でヴェルビエまで移動し、ゴンドラを乗り継いでスキー場から山に入り、一気にショーのコルを越えてプラフルーリ小屋に入る。そこまで行ってしまえば以後の天候は大丈夫だろうとのことだった。ガイドからは4/3の天候が最悪ならばディクサンス(Dixence)からリフトで上がり2時間程度歩いてプラフルーリ小屋まで行くという方法も提案された。結局われわれはこの方法を取らなかったが、プラフルーリ小屋で出会ったパーティはこのルートを使ったが、要所となるトンネルを見つけるのに2時間もかかり苦戦したと話していた。彼らはかなり遅い時間に小屋に到着していた。

1日少ない日程になっていたがガイドの提案に従えば当初の予定通りルートを踏破できる。この時点では半信半疑だったが、結果的にはガイドの抜群の地理力、天候予知力、リーダーシップ、ガイディングスキルによって特に大きな問題もなく実現することができた。ガイドの提案がピタリとはまったわけだ。現地のベテランガイドの凄さを思い知らされた山行となった。他のガイドだったら踏破が実現できたか、正直無理だった可能性が高い。
今回の全行程 >>> クリックで拡大
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  >>>  オートルート 1日目へ

2024年4月 オートルート シャモニー〜ツェルマット【1日目】

By , 2024年5月9日 10:11 AM

オートルート 1日目(4/2)グランモンテスキー場〜パッソンのコル〜トゥールのコル〜エキャンディのコル〜シャンペ

山行記録は7回シリーズです。
【プロローグ編】                     
【1日目】2024年4月2日 グランモンテ〜シャンペ
【2日目】4月3日 ヴェルビエ〜プラフルーリ小屋
【3日目】4月4日 プラフルーリ小屋〜ディス小屋
【4日目】4月5日 ディス小屋〜ヴィニエット小屋
【5日目】4月6日 ヴィニエット小屋〜ベルトール小屋
【6日目】4月7日 ベルトール小屋〜ツェルマット
 
今回の全行程 >>> クリックで拡大
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 1日目のルート >>> クリックで拡大
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いよいよ緊張の1日目。3つのコルを越えるこの長丁場、果たしてシャンペまで行けるのだろうか。グランモンテのゴンドラ乗り場で9:00にガイドと待ち合わせた。
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グランモンテ ゲレンデトップ
 

天候は良くない。
「天気大丈夫ですかね?」
「リラックス、リラックス」
問題ないと笑顔で返してくる。実際ゴンドラ降り場からアルジェンチェール氷河(Glacier du Argentiere)に向けて歩き始めた頃、図ったように青空になってきた。ガイドは長い経験から時間と場所の天候がほとんどピンポイントで予測できるらしい。
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たくさんの人たちが登って行く。フランスのミリタリーがピタリと等間隔を保って登っている。雲が切れて青空がのぞくとヨーロッパアルプスの勇壮な山々が眼前に広がってきた。どれもこれも素晴らしい光景だ。
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しばらくシールで登るとちょっとした尾根越えがあり、そこはクトーを効かせて乗り越えた。すると視界が開け正面の遠方にパッソンのコル(Col du Passon)が小さく見えてきた。

滑走モードに切り替えてコルを目指した。うれしいことにここ最近の荒天で斜面はパウダー天国。思いがけずヨーロッパの粉雪を堪能した。嬉しい誤算だった。しばらくはアルジェンチェール氷河目指してパウダーラン。
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うれしい誤算!
 

急斜面に差しかかったところでガイドが自分が下に降りてから合図するといって、とても斜面とはいえない狭くて急なノドのような地形を横滑りで降りていった。Goサインが出て私から滑降開始。このルート取りは自分たちだけの山行では決して近寄らないところだった。45度を超えるような斜度はとても正面を向いて滑ることはできず、ずっと横滑りの連続でずれ落ちていくしかなかった。これまで様々な斜面を滑ってきたつもりだが思わず「まじかよ〜」とつぶやいていた。滑り降りるとガイドが親指を上げて「Good!」。振り返ると後続たちが苦戦しながら恐る恐る降りているのが見える。全員が降りると「Good Team!」といって称えてくれた。オートルートでは通常、高度順応も兼ねてガイドがメンバーの力量を判断するためにスキー場のゲレンデで足慣らしをする。今回はその時間がなかったため実地の中で見ていたものと思われる。これから連続するきわどい斜面を滑り降りて来られるか判断するため、故意にこの崖のような地形を滑らせたのだろう。なぜなら我々が降りてきたルートの少し先には快適そうな斜面がいくつもあったからだ。
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この絶壁を横滑りで・・・怖ッ!
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ガイドが「Good!」
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後続の図
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滑りはお目に適ったようだが登りはそうもいかなかった。ここまでの登りでヨーロッパの人々にことごとく抜かされてきた。西洋人の登りはめちゃくちゃ早いとは聞いていたが、それを目の当たりにした。女性も含めてとにかく早いのだ。日本人の登りが遅いのはガイド界隈では周知のことだ。

アルジェンチェール氷河を横切りパッソンのコルを目指して登っていった。もう直ぐパッソンのコルというところでガイドが小さな点発生雪崩に遭う。あっという間に2mほど流された。「この先もっと大きな雪崩れがあるかもしれない。気をつけなければ」とガイド。この先が少し不安になった。
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アルジェンチェール氷河
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そうこうしているうちにパッソンのコルがその全容を現した。
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 パッソンのコル この鞍部を越えていく
 

コルの取り付きに続々と人々が集まってきた。ブーツアイゼンをつけスキーをザックに取り付けた。ピッケルはいらないとガイド。
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見上げるとそれは垂直の壁のようだった。一歩一歩アイゼンを噛ませながら登っていく。下を見ると取り付きが見えないぐらい急だった。必死だったのでどのくらい時間を要したかわからないがなんとかコルを登った。後ろからMさんがピッケルを使いながら登ってきた。ピッケルを使った方が楽だったという。不安な場合はピッケルを使った方がいいかもしれない。
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全員登り切った。思わずハイタッチ。ここで時刻はすでに15:00

ガイドから二つの選択肢が示された。ひとつはこのままトゥール氷河(Glacier du Tour)を下降してバルメスキー場に降りるか、ふたつ目はこの先2つのコルを越えてシャンペに抜けるか、登りは400mぐらいであと3時間ぐらいとのこと。時間も時間だったが、まだ気力は残っている。ガイドが選択肢として提示しているということならやはり行くしかない、ということでシャンペ行きを決意する。

ここから標高3000mを超えるトゥール氷河を延々と歩いた。高度順応できていない私とCさんがバテてきた。EさんMさんはヨーロッパで高度トレーニングを積んでいたので問題ない。軽い頭痛と吐き気が足取りを重くした。Cさんがかなり遅れている。見かねたEさんがかなり先を行くガイドまで駆け寄っていって何やら話している。Cさんが頭痛で辛そうなのでここからバルメに降るのはどうかと持ちかけたが、多少の頭痛は大丈夫、ゆっくり先へ進もう、といって提案は却下されたようだ。そしてガイドは、辛いのであればせめてザックを持ってあげよう、と言って引き返していったとのことだ。”急げ”ということではなく”できるようにしてあげる”という考え方に感心したとEさんが話していた。空身になったCさんはペースが上がりわれわれに付いてこられるようになった。私も快調とはいえないもののなんとか付いていった。
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パッソンのコルからトゥール氷河へ
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標高3000mを超える氷河を行く
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 ガイドにザックを持ってもらう
 

トゥール氷河を横断する緩やかだが長い登りが続いた。氷河の中は風もなく結構暑い。それがじわじわ体力を消耗していった。そしてきょう2つ目のコル、トゥールのコル(Col du Tour)に着いた。この尾根がフランスとスイスの国境だ。トゥールのコルには雪がなく登攀できない。その500mほど右側の雪がついているコルを越えるという。コルの先の斜面の状況を見てくるのでここで待機してくれといってガイドが空身で急斜面を登っていった。コルの先に姿を消したガイドが再び現れてOKサインを出した。硬い急斜面のキックターンにてこずりながらもガイドのサポートを得ながら最後はスキーを脱いでツボでよじ登った。全員無事コルに到着。
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トゥールのコルが見えてきた
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コルには雪がついてない
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コルの先の雪の状況を見に行くガイド
 

最後にガイドが斜面をキョロキョロしながら登ってきた。どうやらスマホを落としたらしい。われわれも目を凝らして斜面を探したが見つからない。もう時間も押しているので先へ進もうとガイド。現在地の確認もそうだが、シャンペに迎えにくる事務所のご主人に下山時間の連絡ができないらしい。ここは早く降りて先の安全な場所でわれわれの携帯から連絡しようということになった。

コルの向こうはスイス。かなり急なすり鉢状の斜面になっていた。ここも30mほどを横滑りで真下に降りていった。その先左側の支尾根の岩の下に回り込むよう指示があった。先でドーっと表層雪崩が起きた。新雪は20〜30cmほどあったと思われる。雪崩の幅と長さは40〜50mはあった。先をいったCさんが雪崩の瞬間を見たそうだ。その雪崩れた斜面(表層新雪がなくなった箇所)をガイドが滑っていった。この間に起こった一連の現象も強烈だったが、のちにガイドの話を聞いて度肝を抜かれた。つまりはこうだ。コルを越えた斜面は完全に雪崩リスクがあったためその斜面を滑降することは避け、雪崩を最小限に回避するために一旦ゆっくりと横滑りで下って岩の下に入り込み、その先の斜面に衝撃を与えてわざと雪崩を起こし、新雪が雪崩れた後の斜面を滑り降りたということである。岩の下に入り込んだことについて、ガイドに確認したわけではないが、おそらく支尾根の岩の下に行けばその上は岩で雪がないため上部からの雪崩リスクは最小限に抑えられるということなのだろう。とにかくシャモニーのベテランガイドの凄さは想像をはるかに超えていた。
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カニ歩きで慎重に下りる
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岩綾の下へ回り込む
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故意に起こした雪崩
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表層を切り落とした斜面を滑る
 

斜面を下るとトリエン氷河(Glacier du Trient)だ。誰も歩いていない新雪の氷河を5人でトレースを刻んでいく。右の岩山にはトリエン小屋が見えている。小屋への顕著なトレースは見当たらず宿泊客はほとんどいなさそうだった。振り返れば落ちていく太陽がエギュイユ・デュ・トゥール(Aigulle du Tour:3540m)の長い影を氷河に延ばしていた。誰もいない氷河の雪原で絶景が繰り広げられていた。
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トリエン小屋
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トリエン氷河下流方面
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エギュイユ・デュ・トゥールに落ちる太陽
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エキャンディのコルを目指す
 

そこからエキャンディのコル(Col des Ecandies)までもパウダーだった。疲れも忘れて楽しく滑った。
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エキャンディのコルの取り付きに着いたときすでに18:30。サマータイムと日の長さが幸いしてあたりはまだ明るかった。ここで事務所のご主人に連絡を取りたいとのことだったが、われわれは電話番号を聞いていなかったため、Mさんが機転を効かせて事務所のHPから事務所に連絡しスタッフに現在地と下山予定時刻を伝えた。
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お迎えの主人に電話するガイド
 

エキャンディのコルはブーツアイゼン、シートラ、アンザイレンで登った。斜度はあるがパッソンのコルよりは短くロープも張ってあって比較的簡単に登れた。振り返ると夕陽がまさに山影に沈まんとしていた。
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落日 エキャンディのコルより
 

エキャンディのコルを越えればあとは下るだけだ。アルペッティの谷もパウダー天国だった。これ以上いらないというぐらいパウダーでお腹いっぱいになった。しばらく軽快にシュプールを刻みながら下っていった。
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ヨーロッパのパウダー天国!
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シャンペが近づくにつれて雪が固くなり林道はガリガリでプルークで降りていった。別荘が見えてくるとやがてゲレンデになりスキー場の駐車場に着いた。時刻は20:00。残り3時間のところ5時間かかったわけだ。辺りは薄暗くなっていた。グランモンテのゴンドラを降りてからここまで約22km、10時間30分の行程だった。ともあれ全員無事でよかった。

ガイドがスマホを無くし連絡が遅れたため、事務所から連絡が来る前にお迎えのご主人が心配してレスキューに連絡したそうだ。ご心配をおかけした。

この日はシャモニーの宿に戻った。

オートルート1日目はかなり長くハードなルートだった。本来なら2〜3日かけて歩くルートだが、これを1日でクリアしたことで諦めかけていたオートルート踏破の可能性が十分に見えてきた。

 

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2024年4月 オートルート シャモニー〜ツェルマット【2日目】

By , 2024年5月9日 10:11 AM

オートルート 2日目(4/3)ヴェルビエ〜ショーのコル〜モミンのコル〜プラフルーリ小屋

山行記録は7回シリーズです。
【プロローグ編】                     
【1日目】2024年4月2日 グランモンテ〜シャンペ 
【2日目】4月3日 ヴェルビエ〜プラフルーリ小屋
【3日目】4月4日 プラフルーリ小屋〜ディス小屋
【4日目】4月5日 ディス小屋〜ヴィニエット小屋
【5日目】4月6日 ヴィニエット小屋〜ベルトール小屋
【6日目】4月7日 ベルトール小屋〜ツェルマット
 
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Haute_route All
 
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昨日の疲労が抜けないまま2日目を迎えた。昨夜寝たのは0:00近かったと思う。今日からいよいよ小屋泊まりのルートに入る。眠い目をこすりながら荷物をまとめた。行動用の荷物以外はゴールのツェルマットまで回送してくれる。7:30にガイドが来た。送迎用の車に乗り込む。ご主人がヴェルビエまで送ってくれた。

ヴェルビエには9:00に着いた。「お気をつけて。ツェルマットでお会いしましょう」ここでご主人とはお別れだ。ゴンドラに乗ると車窓から雰囲気のあるリゾート宿泊施設が軒を並べているのが見えた。ゴンドラを降りるとスキー場を滑ってもう一つ奥のゴンドラに乗った。
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ゲレンデのトップからは少し滑り左に大きくトラバースして一気にショーのコル(Col de la Chaux)の下に出た。「このショートカットはいい。モンフォー小屋からここまで1時間半はかかる」とEさんが言っていた。

シールをつけてショーのコルを目指した。何組かのパーティが登って行く。この日は天候が悪く山はガスの中だった。雪も降っていてゴーグルを装着した。ジグザグを刻みながらショーのコルを登った。スマホをなくしたガイドは25000分の1の地図とコンパスでルートを確認している。この先もツェルマットまでそうするそうだ。地図には手書きでさまざまな情報が書き込まれていた。これまでの経験がギッシリ詰まった貴重な地図にちがいない。
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ショーのコルを登る
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ショーのコル
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バルセロナの2人
 

コルの先の斜面を滑る。途中新雪斜面をトラバース中に一瞬斜面がズレたと思ったら自分を囲んだ斜面一帯が動きだした。「やばーーーー」と思って外へ脱出しようとしても制御が効かず転倒。斜面はそのまま流れて行く。その後数メートルほど動いて止まりことなきを得たが、これにはさすがにゾッとした。通りかかったバルセロナから来た二人が思わず「大丈夫か?」と声をかけてきた。
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恐怖体験も束の間、先を目指した。相変わらずのガスで視界がない。ガイドのトレースを忠実に辿るしかなかった。ガスが濃くなるとガイドは「晴れるまで待とう」と言って幾度となく待機を命じた。強風のなかで止まっているのも寒かったが、待っている間にガスは必ずといっていいほど晴れてくる。待つという選択はガイドならではだと思った。
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このころから風雪も強くなった。視界不良で行動に難儀しているスイスの年配のご夫婦に出会う。ガイドが声をかけるとこのルートは初めてとのこと。ならば小屋まで一緒にいこうということに。先頭はガイド、2番手がご主人、あいだに我々4人、ラストが奥様という布陣を組んだ。これもガイドの判断で、道迷いのリスクを減らすためガイドの経験とご主人のGPSを最大限に活用しながら進む方法をとったとのことだった。奥様をラストにしたのはチームの列を乱れさせないため。
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 スイスの奥様は素手だった
 

しばらく進むとモミンのコル(Col de Momin)だ。
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モミンのコルを目指す
 

一気に登って滑走モードに切り替えた。ローザブランシュ(Rosablanche)が右手に見えるあたりからプラフルーリ氷河(Glacier de Prafleuri)になるはずだがガスでまったく見えなかった。視界がない中、新雪に覆われた氷河をしばらくガイドのトレースを追っていった。どれぐらい進んだだろうか、かなりの時間が経過した。すると少しガスが晴れたその先に今夜お世話になるプラフルーリ小屋が見えてきた。ほっとした瞬間だった。あとで聞いた話だが、Eさんはこの瞬間が今回の山行でもっとも印象に残ったという。この日は以前から悪天候が予想されていて山行は無理だと考えていたが、間隙を縫うようなガイドの老獪な行動判断によってプラフルーリ小屋までたどり着けた。ここまで来れれば予定コースの完踏も夢ではないと・・・。
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プラフルーリ小屋が見えた
 

プラフルーリ小屋への最後の滑り込みは通常急なオープンバーンの真ん中をトラバースして大きく巻いていくが、この日は雪崩リスクが高いためオープンバーン手前の岩が露出したリッジ状の谷筋を木の葉落としで降りていった。この時も岩の下へ下へ入り込むようにコース取りしていた。あとで小屋から斜面を俯瞰したらなるほどとうなずけた。正面の大斜面のど真ん中をトラバースする通常ルートだと、トラバースした上部の新雪が雪崩れたらアウトというのがよくわかる。今回降りてきたコースは細い急峻な谷筋地形だが、上部に雪がついていない岩綾の下へ下へ退避できる唯一のコースだった。ガイドは20年前、この斜面をトラバース中に雪崩に巻き込まれ同行のクライアントに掘り出された経験があるそうだ。これも長いガイド経験がなせる判断である。
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この先は雪崩リスクが高い
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岩綾帯を縫うように下る
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 プラフルーリ小屋に着いた
 
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翌朝小屋から撮った写真
写真中央から左へのトラバースが通常ルートだが上部から雪崩たらアウト。
右寄りのルンゼ状の斜面を岩の下へ下へ回り込むように降りた。
 

この最後の箇所だけでなく、この日ガイドがとった後半のほとんどのルートが、12年前にたどった軌跡からはかなり左にずれていて、本当にこれで合っているのかとEさんが道中かなり心配していたとのこと。後でわかったのは、ガイドは地形を熟知していて雪崩リスクに鑑み全く別のルートを取ったとのことだった。「ルートとは人のGPSをたどるのではなく地形を見ること」という基本の大切さを痛感させられた。

悪天候で風雪もあり視界がない中だったが、ガイドの適切なルートファインディングで、この日は約9.2kmの行程を約6時間で小屋に到着した。

プラフルーリ小屋は快適だった。オートルート最初の山小屋だった私にとってすべてが新鮮。外装はおしゃれだし、悪天候で使えなかったが外には椅子とテーブルが並んでいた。中も十分綺麗だし、テーブルにはセンスのいい野花が飾られている。とにかくすべてが洒落ているのだ。
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ヨーロッパの山小屋は山岳会が所有・運営していて、広く集められた会費から運営費用が当てられているそうだ。物資はヘリ輸送だがその費用ももちろんそこから出されている。ヨーロッパアルプスと比較するのは適当でないかもしれないが、日本の山岳会や山小屋もあり方を根本的に見直すべきではないだろうか。

食事もおいしかった。スープにはじまり、ビーツのサラダ、マッシュポテト、メインの肉料理、デザートに至るまですべてが手作りと思われ、これには思わず舌鼓を打った。
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行動用の水分補給について、就寝前に備え付けのワゴンにペットボトルやテルモスをおいておけば無料でお茶(紅茶)を入れておいてくれる。このシステムは各小屋だいたい共通である。一部大きなサーバーから各自給湯する小屋もあった。ペットボトルの水は買うことができるが500ml8スイスフラン(約1300円←現在超円安だが)。ちょっと躊躇してしまう値段だ。

今時はスマホやカメラ等のバッテリー問題が付きまとうが、今回宿泊した山小屋(プラフルーリ、ディス、ヴビニエット)は充電が可能だった。ベルトール小屋は充電設備はなかった。いずれもCタイプのコンセントかUSB-Aが差し込めるタップが設置されていた。ただし早い者勝ち。ちなみにヴィニエット小屋は18:00以降は利用できないので注意が必要だ。
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こうして2日目の夜、初めてのヨーロッパの小屋で眠りについた。

 

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2024年4月 オートルート シャモニー〜ツェルマット【3日目】

By , 2024年5月9日 10:11 AM

オートルート 3日目(4/4)プラフルーリ小屋〜ルーのコル〜ディス湖〜ディス小屋

山行記録は7回シリーズです。
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【2日目】4月3日 ヴェルビエ〜プラフルーリ小屋
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これまでの2日間で、ルートや山小屋についてずいぶん様子がわかってきた。高度にもなれてきた。

今日はディス湖の長いトラバースを経てディス小屋へ向かう。先達の記録によるとこのトラバースが長くきついと書かれていたので緊張感を持って臨んだ。
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プラフルーリ小屋の朝食
 

7:30、小屋を出発すると間もなくルーのコル(Col des Roux)を登る。高低差は150mほどだ。天気は上々。朝の澄んだ空気のおかげでコルからは前後の山々がくっきりと見えた。朝日がわれわれを迎えてくれた。快適な一日になりそうだ。
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ルーのコルへ
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トラバースが始まった。斜面には新しい雪がつきエッジが噛んで滑りやすい。硬い斜面もほとんどなく快調に進めた。Eさん曰く、前回は斜面がカリカリでかなり緊張しながら通過したらしいが、今回は「EasyEasy」と言って滑っていた。ディス湖はダム湖でコンクリートの直線的な堤体が見えた。ディス湖のトラバースは1箇所落ちたらやばそうなところがあったが、それ以外問題なかった。今回は楽に通過させていただいた。
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ダムの堤体が見える
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ディス湖のバックウォーターからは急坂の登りだ。シールとクトーをつけて登った。ガイドがブクタン(Bouquetin)がいると指差している。その方向に視線を凝らすと雪山の急斜面を小さな黒い物体がゆっくりとトラバースしていた。アイベックスとも呼ばれる野生の山羊で、3000mを超える高地でたくましく生きていた。400mほど登ってトラバースするとシュイロン氷河に出た。
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ディス湖のバックウォーター
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Bouquetin
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後続を待つあいだガイドと私はザックを枕に寝転んだ。標高2700m付近だが暖かくて気持ちがいい。左に見える稜線のコルはパ・ド・シェーヴル(Pas de Chevres)と呼ばれるハシゴがかかる峠でアローラに続いている。何組かのパーティが峠を越えたり、こちらに降りてきたりしていた。
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パ・ド・シェーヴル
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 快適な休憩
 

再び歩きはじめ右に回り込むと氷河を抱いたモン・ブラン・ド・シュイロン(Mont Blanc de Cheilon3870m)が全容を現した。目指すディス小屋はこの山と対峙するように丘の上に建っているはずだ。
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モン・ブラン・ド・シュイロンが全容を現した
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右の斜面を登るとディス小屋だ
 

最後の斜面をぐるりとキックターンすると視線の先にディス小屋(CABANE DES DIX;2928m)が現れた。石造りの立派な小屋だ。
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ディス小屋
 

ディス小屋はさすが要衝の小屋だけあって多くの人で賑わっていた。アローラからであれば先ほど見えたパ・ド・シェーヴル経由ですぐだ。
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天気がいいので小屋の周りはスキー板やシール、そして人間も天日干しの露店状態だ。ブーツもここかしこに並べられていた。オートルートに来ているスキーヤーに共通しているのはスキー板は細くて短いこと。ビンディングも可能な限り軽いものが付いていた。とにかく軽いギアでサクサク移動するのがヨーロッパ流なのだ。板の太さで圧倒的に多かったのはセンター85mm幅でガイドもそうだった。ヨーロッパアルプスでは登りや歩き、トラバースや硬い斜面の滑降が主体となるため太板は合理的でない。日本の感覚で太板を持ち込むと重いだけで苦労することになる。今回私とCさんは78mm幅の板を使ったがトータルで見たらベストな選択だったと痛感した。また、われわれ以外ほぼすべてといっていいぐらいビンディングのブレーキとリーシュをつけていなかった。流れたら単純に回収すればいいという考え方なのだろうか。ちなみに板はMOVEMENT、ビンディングはATK、シールはPOMOCA、ブーツはSCARPAが幅を利かせていた。この組み合わせはガイドもしかりだった。
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 シールの天日干し
 

Eさんはディス小屋に入る前にもう少し滑りたいらしく、小屋正面の斜面を登り始めた。すると「Wait!2、3分待ってくれ」「一人より二人の方が安心だ」と別のガイドから声がかかった。若いグループの一人も行きたがっているようで急いで支度をしていた。その彼はフランス人で股の位置がわれわれの肩ぐらいまである長身の青年だ。そして半袖のTシャツ・・・標高は3000m・・・。Eさんとその彼は向こうのコルを目指して歩いていった。
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向こうの尾根へ向かうEさん
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半袖のフレンチ青年
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もう直ぐピーク Eさん撮影
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 ショートターンを刻むEさん ディス小屋から撮影
 

その間われわれは外のテラスでランチタイム。ヨーロッパの山小屋の名物といえばロスティだ。空腹も手伝って抜群にうまい料理だった。モン・ブラン・ド・シュイロンのダイナミックな姿を眺めながらのランチは格別だ。いまでこそ氷河はこの山の上部にしか残っていないが、20年前は山のほぼ全体が氷河に覆われていたとガイドが話していた。
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ロスティ
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ディス小屋からの眺め
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氷河を抱くモン・ブラン・ド・シュイロン
 

我々のテーブルに2匹の犬が現れた。山小屋で飼われている犬だろうか。放し飼いで人懐っこい。どうやらわれわれの食べこぼしを狙っているらしい。
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しばらくしてEさんとフランスの青年が滑り降りてきた。天気も最高で大いに満足した様子だった。このフランスの若者グループは前日のプラフルーリ小屋で隣のテーブルだった。Eさんがその青年から聞いた話によると、このグループもガイド山行で、4/1にアルジェンチェール小屋に入ったが、翌4/2の朝は天候が悪くガイドの判断で山行を諦めてグランモンテスキー場に降りてゲレンデで遊んてからモンフォー小屋に入り、翌4/3にプラフルーリ小屋に来たという。つまりオートルートの一つのハイライトであるコル越えをスキップした形になってしまったようだ。4/2は確かに朝は天候が悪かったが次第に好転した。現にわれわれは4/2に1日でグランモンテから難所のコル3箇所を越えてシャンペに抜けている。こうしてみると4/2の天候判断が鬼門だったようで、われわれのガイドの判断がいかに的確だったかを思い知ることになった。本当に素晴らしいガイドに巡り会えたものである。

18:30、お楽しみの夕食。こちらの料理も御多分に洩れずおいしかった。食前には地元の白ワインが振る舞われ、オニオンスープにマッシュポテト、厚切りハムと続く。最後にチョコレートケーキ。同じテーブルになった、昨日行動をご一緒したスイスのご夫婦と一緒に楽しいひとときを過ごした。山行中に奥様が転倒して肩を痛めたらしくツェルマット行きは諦め、あすアローラに下りるとのこと。残念。
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ベジタリアンメニュー
 

ディス小屋の食堂にライチョウの写真が飾ってあった。ディス小屋よりも標高の高いところに生息していて、日本と違いめったに人前に姿を現さないらしい。
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小屋の様子
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ポケモン?
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夕食が済んだころ外はまだ明るかった。ちょうどモン・ブラン・ド・シュイロンの残照が終わりかけていた。明日登る氷河の斜面にはたくさんのトレースが見えた。
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残照のモン・ブラン・ド・シュイロン
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明日登る氷河
 

明日のルートについてガイドから地図を見ながら説明があった。明日は今回のルートで最高地点まで上がる。
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5:00に朝食、6:00に出発するとガイドから告げられた。暑くなるので早め早めの行動をとりたいようだ。

 

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