「点の記」とは、三角点の戸籍又は案内図のようなもので、見知らぬ場所の三角点で測量をする際に測量者は必ず入手して利用する。内容は、点名、所在地、土地の所有者、測量年月日、三角点までの道順、交通、案内図など。旧「点の記」に付図はついていないが、道順や水や食料の確保、人夫の雇用状況など、測量に役立つたくさんの情報が書かれている。ここに書かれたことが現在の測量に役立つことはほとんどないが、測量だけでなく当時の様子を知る貴重な資料となっている。新田次郎の「剱岳 点の記」がこれをタイトルにしたことは有名。
新田次郎の「劒岳 点の記」は、1907年7月(明治40年)、参謀本部陸地測量部の測量官・柴崎芳太郎が様々な困難と戦いながら未踏峰とされてきた剱岳の測量のために登頂を決行する実話に基づく小説。その任務は日本地図最後の空白地帯を埋めるという重要かつ困難を極めたものだったという。陸軍の測量隊をもってしても長らく未踏の頂として最後まで残された剱岳。そこには先人達が何度も挑んだに違いないが、その険しさからことごとく拒まれたこと、そして「登れない山、登ってはならない山」という山岳宗教上の迷信も加わり、人々の畏怖の念が高じた結果、未踏峰として残されたものと考えられる。それほどまでに人を寄せ付けなかった剱岳。長くあこがれていた山にこの夏挑戦してきた。
剱岳への一般ルートは2つ。室堂から剱御前を越え剣沢を下ってアプローチする「別山尾根ルート」、もう一つは馬場島から標高差2200mを延々と登る「早月尾根ルート」だ。今回は百名山の一般ルートでは最も危険度が高いといわれている「別山尾根ルート」に挑戦。このルートはなんといってもカニのタテバイ・ヨコバイが有名。測量隊率いる柴崎芳太郎もカニのヨコバイと思われる岩壁のアタックを試みるも断念した様子が「劒岳 点の記」にも描かれている。多くの山行記録にもこれらの難所が「怖い」ところとして書かれているがどんなところなのか。怖いもの見たさも手伝ってこのルートで頂を目指すことにした。
今回の山行では、剱のスリルと絶景を可能な限りカメラに収めてきたつもりだ。その光景を写真でお伝えできれば幸いだ。
休暇を取った週のど真ん中に超大型台風が列島直撃の予報。嵐の前の静けさか、台風が襲う前の二日間が勝負となった。ちなみに今でこそインターネットで正確な天気予報が把握できるようになったが、柴崎芳太郎が測量していた明治時代には不可能だった。トランジスターラジオが発明されるのも昭和に入ってから。小説には気圧計の変化から天気を読み取り、その差が山岳会より先に登頂できた要因だったことが描かれている。
1日目の朝、扇沢に向かった。今夜は剱澤小屋に前泊なのでそれほど急ぐ必要はない。トロリーバスは観光客ばかりで登山者の姿はない。観光放水中の黒部ダムを通りケーブルカー、ロープウェイと乗り継いで室堂へ着いたのは11:00過ぎ。
観光放流中 |
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室堂からは雷鳥沢キャンプ場まで下り、雷鳥沢の登山道にとりついた。お約束のライチョウ親子にも遭遇。登りの途中からは剱岳で有名なガイドと一緒になった。この方とは道中の要所要所でご一緒することに。雷鳥沢を詰め上がり剱御前小屋がある別山乗越まできた。
あとは剱澤小屋まで剣沢沿いに下っていく。剱岳には雲がかかっていたが、ときおりうっすらと頂上がのぞいた。眼下にキャンプ場が見えてきた。キャンプ場を過ぎ、なにかの拍子で会話した小屋でアルバイトしているお嬢さんと合流し小屋まで下った。
剱岳を正面に剣沢をくだる |
剣沢診療所 |
もうすぐ剱澤小屋 |
剱澤小屋 |
剱澤小屋にしたのは剣岳の眺望だ。剣山荘からの本峰は前剣の影になるとの情報から。剱澤小屋はとてもきれいで小屋の方々も大変親切。剱岳初挑戦と伝えると、自前のルート図で注意箇所を詳しく教えてくれた。
有名なカニのヨコバイの第一歩は”右足から”と書かれていた。
小屋の前の景色 |
小屋前から剱岳を望む |
小屋前から剱岳を望む |
剱の雄姿 夕陽を浴びる前剱と雲がかかる剱岳 |
夕食は名物の揚げたてとんかつ。ご飯は富山米。小鉢のヒジキ。評判通りでとても美味しかった。
揚げたてトンカツ |
となりのテーブルには山スキーで有名なS氏が。八つ峰を12時間かけてガイドしてきたという。お客さまの一人はかなり疲労している様子だった。夏はこの剱澤小屋を定宿にガイドをしているそうだ。他にも有名ガイドが結集していて、剱澤小屋にして良かったと思った。
<小屋情報:備忘メモ>
・1泊2食 10,000円、1泊夕食付 9,000円、1泊朝食付 8,000円、素泊まり 7,000円
・2段ベッド 畳敷き、布団付
・シャワー付き 1時間ごとの男女交代制、石鹸・シャンプーは自粛
・お湯はポットでふんだんに用意されている
・缶ビール、缶チューハイ、お酒、ペットボトル飲料等販売あり ノンアルコールビールはなし
・特製「剱人」Tシャツ(ノースフェース製)5,000円 S、Mサイズは品切れ
・水洗トイレ 紙は別箱へ
・お弁当は、しゃけ、ミートボール、漬物付 1,000円
・乾燥室あり
・消灯は21:00
・コンセントは各部屋2口
・朝食は5:00~
剣岳といえば、カニのタテバイ、カニのヨコバイの渋滞が有名。ハイシーズンだと1時間待ちもあるとか。テーブルをご一緒した女性によると、剱岳は2回目で前回も同じ時期にきて4:30に出発しタテバイ、ヨコバイとも渋滞しなかったらしく、今回は明るくなる5:00頃出るとのこと。われわれも従うことにした。
夜中に目が覚めて外に出ると多くの星が輝いていた。剱のシルエットに降り注ぐ星空を長時間露出で狙ってみた。
星空 高感度撮影 |
星空と剱岳 明かりは剣山荘 |
2日目。4時起床。向かいに横たわる黒い岩山のあちこちにヘッドランプが登っていくのが見える。夜明け前から剱岳登頂に出発しているのだ。先頭の人は前剣の中腹まで進んでいた。われわれはゆっくり支度して5:00少し前に剱澤小屋を出発した。一旦小屋の裏に回って剱沢を横断し剣山荘を目指した。沢を横切るころ東方が輝いてきた。みるみるうちに雲がピンク色に染まった。雪渓を残す剱沢とどっしり構える剱岳が朝色に照らされてきた。この一瞬をとらえた。
夜明け前の劔岳 すでに前剱の頂上に達しようとする人がいた |
黎明 八つ峰から剱岳のシルエット |
夜明け前の出発 |
黎明剱岳 |
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剣山荘を過ぎるといよいよ登りが始まった。さっそく鎖の岩場が2か所あるが問題ない。やがて第一のピークに出た。一服剱だ。その真正面を巨大な岩山がふさいでいた。前剱だ。尖った大岩は本峰をピタリと隠してまるでこれが剱岳かと思わせた。ちなみに、われわれが立山で山スキーをしている時にのぞき見する剱岳、剱御前から見る剱岳は剱岳にあらずで、その正体は前剣だったのだ。それほど存在感のある前衛である。そして前剱は登高不可能としか思えないほどの垂直の壁に見えた。ここに道がついているのだ。
剣山荘を出発 |
鎖場 問題ない |
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立ちはだかる前剱 本峰はこの陰に隠れている |
一服剱から前剱 これを登る |
一服剱を下って前剱に取りついた。ガレ場の胸を突くような急坂でほぼクライミング状態。情報によるとここの下りがもっとも事故が多いらしい。ガイドさん曰く、心の持ちよう、緊張感の差が原因とのこと。難ルートを往復した達成感と気の緩みがちょうどこのあたりでやってくるそうだ。確かにガレ場は大小の岩がごろごろしていて不安定。帰路、心して下らなければならない。詰めの岩場は鎖を伝ってよじ登った。そして前剱の頂上へ。その先に剱岳の巨大な岩山が控えていた。
前剱のガレ場 |
別山、剱沢をバックに前剱を登る |
絶景を登る登山者 |
前剱のガレ場の詰め |
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前剱頂上 富山湾が見える |
剱岳はすぐ目の前だ。しかしここからが核心部。再びコルまで下って難所続きの岩場を抜けていかなければならない。ここからは登りと下りが一方通行になる。登りにカニのタテバイ、下りにカニのヨコバイがある。この先にそのカニのタテバイが待っている。前剣を下ると早速難所が待っていた。長さ4m、幅の狭い足場のような橋だ。橋の下は両側が切れ落ちており極度のスリル感。橋を渡ったすぐ先には垂直な岩が待っている。鎖があるとはいえ数十mの壁。緊張の通過だった。絶壁のトラバースは今回初めてだったため、思い起こせばここが一番緊張したかもしれない。
剱岳がすぐそこ 左下が恐怖の足場の橋 |
ここから一方通行 |
恐怖の橋を渡る |
頂上に手が届きそう この先にカニのタテバイがある |
下山中の女性 ここを過ぎれば核心部終了 |
その後は平蔵の頭で岩場の通過が連続した。雪渓を残す平蔵谷をはるか下に見ながら進んだ。本峰も近づいてきたころ、垂直な岩を登っている人々が見えてきた。カニのタテバイだ。その光景は巨大な大岩でクライミングしている以外のなにものでもない。いよいよ鬼門が近づいてきた。
平蔵の頭はクライミング |
平蔵の頭は一旦登って下ります |
カニのタテバイ全容 |
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平蔵のコルを過ぎ本峰に取りつくところがカニのタテバイだ。見上げるとなるほど高さはあるが、鎖や足場もあり、スラブ状でもなく手がかりがたくさんありそうな岩場だ。渋滞もなく後続のパーティ数名と一緒に登り始めた。鎖もあり微妙なところには足場の杭が打ってあったりで特に問題なくクリアした。ガイドさんの言うとおり緊張感の賜物かもしれない。
カニのタテバイに取り付く |
カニのタテバイ 完全にクライミング |
カニのタテバイの詰めは絶壁のトラバース |
カニのタテバイの上も岩場 |
タテバイを過ぎて前の人の後を追って急坂を登った。落石が起こりそうなピークを越えるとカニのヨコバイの真横に出た。実はここ、ルート外で後ろから来た有名ガイドさんに注意されて戻ったが、ヨコバイの状況をつぶさに観察できる絶好のポイントだった。まさに下山中の人々による”最初の一歩”の瞬間が目の前で繰り広げられていた。そこはほぼ垂直な断崖絶壁で上から見ると”最初の一歩”の足場は見えないだろうと思われた。なるほど、小屋の人が「勇気をもってのぞきこんでください」といっていたのはこのことだ。
カニのヨコバイの真横 |
カニのヨコバイ 最初の一歩 |
かなりの高度感 |
そこを過ぎたあとは通常の山道。頂上目指して進むだけだった。早月尾根との分岐の看板を過ぎると祠が見えてきた。そうして、祝、剱岳登頂!
最後の詰め |
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早月尾根分岐 |
早月尾根 尾根上に早月小屋が見える 早月川が富山湾に注ぐ |
頂上の祠が見えてきた |
明治40年に柴崎測量隊の第一陣が登頂してみると、山頂には奈良時代のものと思われる鉄剣と錫杖(シャクジョウ)の頭、岩穴の中には焚火の跡があったという。初登頂と思われていた剱は1000年前にすでに修験者によって踏まれていたことが明らかに。その後発展した立山信仰によって「死の山、針の山であり、登ってはならない山」とされ長らく登られなかったのだろう。
頂上の祠 富山湾が一望できた |
??? |
我々と同じタイミングで有名ガイドさんとお客さんの1人が登頂。その後もぞくぞくと登ってきた。
「あ!ガイドの●●さんですよね!」
「はい」
「いやー、ビデオで何度も見てます。うれいいなー、こんなところでお会いできるとは」
一人の登山者が声をかけると頂上は一時大騒ぎになった。
このガイドさんとは2日目の夕食でとなりになり、剱にまつわるいろんな話を教えていただいた。写真も達人でカレンダーやポストカードも販売されている。
頂上からは雲は多いものの360度見渡すことができた。三角点も確認し少しばかり『劒岳 点の記』の心境。柴崎測量隊の登頂ルートは長次郎谷だった。あまりの険しさで三等三角点の石標を荷揚げできなかったため四等三角点を築いた。のちにこの三等三角点はヘリで運んだそうである。
八つ峰と鹿島槍 |
点の記 三等三角点 |
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白馬岳方面を望む |
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喜んでばかりもいられない。帰りはカニのヨコバイが待っている。下山開始。ヨコバイの上部に着いた。かなりの高度感だ。絶壁がスゴすぎて上から下は見えない。さっそく”最初の一歩”を伸ばした。鎖があるので問題ないが、なかったらとても踏み出すことはできない。
「右足からだよ」
カミさんから指摘が。あれほど右足からと言い聞かせていたのに左足をおろしていた。あわててやり直して右足を岩棚に掛けた。なぜ右足かというと、2歩目が左側だから。単純。左足から行くと足を置き換えなければなりません、、、この余計な動作が事故のもとです。それにしてもかなりの高度感。無心に鎖を伝って横に這っていった。まさにカニのヨコバイだ。無事に通過。タテバイよりこっちの方が怖いかな?
いよいよカニのヨコバイ |
足元はこんな感じ 矢印の下に第一歩を置きます |
下を見られません |
その先も気が抜けない。はしごの懸かる断崖を下ったり、平蔵のコルの岩場を登ったり下りたり。登りと下りは一方通行なのであの怖い橋はない。橋の下の方を安全にトラバースできるようになっていた。前剣のふもとに着くとようやく一息つけた。
こちらも名物のハシゴ |
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平蔵のコルにある小屋 今はトイレのための囲い |
カニのタテバイ・ヨコバイ全景 |
平蔵の頭の下山を登る? |
剱岳を後にする |
ケルンがある広場 |
剱岳を振り返る |
しかしこの先に事故が多い例の前剱のガレ場の下りがある。まだまだ気が抜けない。その前剱の下りは、よく登ってきたなと思うぐらいの急坂。おまけにガレ場ときている。石がごろごろしていて浮石も多い。落石にも注意しながら慎重に下った。下りはかなりの筋力を使う。ある女性は終始尻もちをつきながら下りていたほど。いよいよ膝が笑ってきた。眼下の眺めは絶景。剱沢を中心に立山の山々が大パノラマを展開していた。眼下に剱澤小屋と剣山荘が模型のように見えていた。
これから前剱をくだる |
前剱の下山 |
前剱を振り返る |
手前に剣山荘、奥に剣澤小屋 ミニチュアのよう |
リンドウ |
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そして無事下山。山の神さまに感謝です。
剣澤小屋までもう直ぐだ。その前に鉄板構図を狙いに剣沢におりてみた。まだ雪渓が残りその先にさっき頂きを踏んだ剱岳がその雄姿を見せていた。この光景、この達成感。やはり剱は日本屈指の山である。
雪渓残る剱沢と剱岳 |
雪渓と剱岳 |
雪渓残る剱沢と剱岳 |
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山に限ったことではないが、達成感や印象は困難さに比例する。この剱岳、数ある山の中でも屈指の満足感を得ることができるでしょう。なるほど、多く人々が魅了されるわけである。
夕食前、斜光を浴びた剱岳が圧巻で迫っていた。これほど見飽きない山もないだろう。
斜光の剱岳 |
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小屋の前から |
3日目。里への下山の日。今日は午後から台風で大荒れ予報。夜明け早々に小屋を発った。少し寄り道して剣沢の方へ行ってみた。台風の予兆であろう荒々しい雲がちょうど光で照らされた。雲はオーロラのように美しく輝いた。この色はほんの30秒ぐらいの出来事だった。
別山乗越を越えて雷鳥沢を下るとき、空には暗い雲が漂っていたが空気は妙に澄んでいた。くっきり見える大日岳の向こうにきれいな弧が見えた。富山湾である。能登半島のつけ根もはっきり確認できた。
雷鳥沢の下り |
大日岳と富山湾 |
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山道を下って雷鳥沢キャンプ場で一服し、待ちうけるのが雷鳥荘までの石段だ。いつものことながら苦行だった。やがて観光客と合流しながら室堂に到着。今回の山行、台風の間隙をぬいながら幸い雨に降られることなく終了となった。
剱岳、記憶に残る山です。