2017年登り納め 安達太良山

By , 2018年1月6日 3:56 PM

2017年2月の山スキーで滑走中に膝ズレを起こし、これがのちに前十字靭帯損傷との診断。
諸々の状況から手術したのが6月末。そして半年がたち日常生活にはほとんど支障がなくなった。
その間、野山歩き程度はしていたが、今回久し振りの山登りとなった。
雪山歩きだったが特に問題なく終えることができた。
スキー復帰は最低でも術後8カ月といわれている。
2月にゲレンデ復帰できればとリハビリに励んでいるところ。

さて、いろいろあった2017年だが、登り納めが登り初めという珍しい年になった。
以前からねらっていた温泉が評判のくろがね小屋に泊まりながら安達太良山に登ってきた。

あだたら高原スキー場の奥岳登山口から登り始めた。
雪の登山道は多くの人に踏まれていてツボでも問題なかった。
しばらくつづら折りを登ると平坦になり勢至平に着いた。
積雪が深くなってきたためここでワカンを履いた。

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斜面をトラバースしながら進むと視界が開けてくろがね小屋が見えてきた。
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小屋までもう少し
 

小屋には続々と登山者が集まってきた。
圧倒的にハイカーが多く山スキーヤーは数人だった。
小屋は多くの人であふれテーブルとイスは陣取られていた。
今日も明日も満床らしい。

荒天で山頂を目指す人はいなかった。
みんな小屋の中で思い思いに過ごしていた。
熱めの温泉は格別で最高だった。
浴槽は三人がやっと。
シャンプーも石けんもなし。
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燃料はコークス
 

夕食は17:30。
それまで何をすることもなく実にぜいたくな時間を過ごした。

空が染まってきた頃、外に出てみた。
小屋の背後には夕陽を浴びる鉄山が迫っていた。
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夕陽に輝く鉄山
 

いよいよ夕食の時間。
名物のカレーライスだ。
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ちなみにおかわりは自由。ただし品切れあり。
たっぷり2杯いただきました。

夕食の後も談笑が続いた。
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 賑やかな山小屋の夜
 

われわれは早々に床についた。

 

朝方は寒さで起きた。
ストーブが消えるとさすがに寒かった。

6時ごろストーブに火が入ると徐々に暖かくなってきた。
風もなく穏やかな朝をむかえていた。
朝食は6:30。
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お世話になった小屋に感謝しつつ出発。
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朝日に染まる下界がのぞくくろがね小屋
 

アイゼンを装着して山頂を目指した。
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山かげから朝日が昇る
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振り返ると蔵王連峰
 

峰の辻付近に来ると雪面がクラストしていた。
一歩一歩アイゼンを咬ませながら進んだ。
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薄陽をバックに別ルートからの登山者が登っていた。
なかなかいい絵だ。
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薄曇りながら視界は良好。
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篭山を望む
 

もうすぐ稜線だ。
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にっぽん百名山安達太良山登頂。
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山頂標識の先に本当の山頂「乳首」がある。
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乳首までもう少し
乳首ではスポットライトに照らされた飯豊連峰が迎えてくれた。
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白銀に輝く飯豊連峰
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山頂の祠と飯豊連峰
この時期では珍しく穏やかな山頂だったようだ。
とはいえ冷たい風に指先と鼻先が痛くなり、程なく退散。

 

下山は五葉松平経由。
広々とした空の下、雪を踏みしめ歩いた。
山スキーの下山は堪らない楽しさだが、のんびり歩いて下りるのも悪くないものだ。
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”智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。

阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。

あどけない空の話である。”

智恵子抄を想いながら安達太良を満喫した。

 

山歩きの復帰と登り納めは無事終了。

 

161022-23 黒部下ノ廊下

By , 2016年11月5日 7:26 PM

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「七月五日、阿曾原谷側坑道の岩盤温度は、工事開始以来の最高温度摂氏165度を記録、入坑した人夫がつづけて倒れたので工事を中断、排気に全力を注ぎ、三日後に坑内温度が10度近く低下したので漸く作業を再開することができた。その頃から技師の大半は、異常な熱さに切端までたどりつくことができなくなっていた。ただ根津と藤平は、水を浴びながら毎日二、三回は切端まで這うようにして坑道をつたわってゆく。そして、切端にたどりつくと、ホースの水を浴び腰をかがめて作業している人夫たちに、「いいか、熱さが辛くなったら早くトンネルの穴をあけるんだ。貫通したら涼しい空気も入ってくるんだから・・・」と、声を荒げて激励するのが日課になっていた。」(吉村昭「高熱隧道」より)

この小説は、戦時体制下の異様な空気の中、電源確保のための国家プロジェクトとして強行された黒部第3発電所と仙人谷ダム建設の困難を極めた隧道工事を描いた記録文学である。掘削する岩盤が摂氏165度にも達した、これが小説の題名になったが、この工事は高熱下での過酷労働のみならず、黒部峡谷という並はずれた険谷で人を襲った自然の猛威も圧倒的リアルな筆致で描かれている。

「高熱隧道」に衝撃を受けた私にとって、会員から出された計画は実に機をとらえたものとなり、幸運にもこの秋、下ノ廊下を訪れる機会に恵まれたのである。

下ノ廊下を辿る前に、この険谷に先人達が挑んできた歴史を紐解いておくのも無駄ではないだろう。諸々の文献を参考に要旨をまとめてみた。山行報告のまえにすこしだけおつきあい願いたい。

「高熱隧道」の舞台であり世紀の難工事が繰り広げられた欅平(けやきだいら)から仙人谷ダム(せんにんだにダム)までに加えて、その上流の黒4ダムまでの黒部川上流域は通称「下ノ廊下」と呼ばれ、「白竜峡」「十字峡」「S字峡」などの景勝をもつ絶景の地として知られている。下ノ廊下に沿った等高線上には登山ルートがつけられているが、これは仙人谷ダム建設や黒4ダム建設調査のために拓かれた径で、上流側の黒4ダムから仙人谷ダムまでを「旧日電歩道」、仙人谷ダムから欅平までが「水平歩道」と呼ばれ、現在も関西電力によって整備されている。関西電力が黒部ダムの建設を決定した際、中部山岳国立公園内であるこの地にダムを建設する条件として、登山者のためにこれらの歩道を毎年整備することが国から義務づけられ、以降関西電力は毎年数千万円、延べ数百名の人員を投じて維持・補修を行っている。整備が終了すると検査を経て富山県警察山岳警備隊や関西電力から開通が発表されるが、残雪が減少する初夏になってから整備が始まる関係上、開通するのは例年9月下旬頃であり、また11月に入ると凍結や積雪が始まることから、1年の中で通行可能なのは秋の1-2ヶ月間ほどに限られる。残雪が多い場合は数週間しか通行できなかったり、昨2015年のように整備が間に合わず開通しないままの年もある。実は今年も開通発表されていないことが道中に判明したのだが・・・。

このルートは一般的な登山道とは異なり登り下りは少なく全体的に平坦であるが、黒部峡谷沿いの断崖絶壁に沿って長い道のりを歩く危険箇所の多いコースである。黒部川左岸断崖絶壁にわずかな隙間をうがつような形で敷かれ、岩壁から太い針金を垂らして木をぶら下げ桟道代わりにしていた箇所もあったという。その後狭あいな箇所が拡幅されて現在の道になったとはいえ狭いことに変わりはない。山側に手すり代わりの針金が張られてはいるものの道幅は最狭部は50~60cmしかなく、足元から谷底まで100m以上の断崖絶壁が続く。丸太を数本渡しただけの桟道や危険な崖を数十m巻くための丸太の梯子がかけられている箇所もあり、間違って足を踏み外そうものなら大ケガ以上の惨事が待っている。「黒部では怪我をしない」といわれた所以である。

黒部を舞台とした小説に関電トンネルの難工事を描いた「黒部の太陽」があるが、時代背景の違いや技術の進歩があるとはいえ、「黒部の太陽」を陽で近代的とするならば、「高熱隧道」は陰で人間臭い前時代的な印象を強烈に残している。「黒部の太陽」の大破砕帯はトロリーバスで一瞬で通過できるが、「高熱隧道」の下ノ廊下は自らの足でしか歩けないということもこの思いを一層深めるだろう。

今回の計画は、黒4ダムから旧日電歩道と水平歩道を下って欅平に抜けるものだった。評判通りの絶景とスリルが次々と展開する充実の山行となった。以下「高熱隧道」の表現も借りながら、私の拙い写真で下ノ廊下の魅力を伝えることができれば有難い。

■山行日時:2016年10月22日(土)~23日(日)
■メンバー:ムラさん(L)、部長、CK、KK(記)
■コース:
【1日目】 (扇沢→ トロリーバス)→ 黒部ダム→ 旧日電歩道→ 十字峡→ 仙人谷ダム→ 阿曽原温泉小屋(泊)
・歩行時間:黒部ダム8:00→ 阿曽原温泉小屋16:00
・車は扇沢→宇奈月まで回送サービス利用

【2日目】 阿曽原温泉小屋→ 大太鼓→ 仕合谷→ 欅平(→ トロッコ電車→ 宇奈月→帰京) ・歩行時間:阿曽原温泉小屋4:50→ 欅平9:50

 

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朝焼けの紅葉が映える扇沢

 

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関電トンネルを抜けると立山が一望

 

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部長を探せ。
この人、人、人・・・今夜の小屋が思いやられる。

 

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出発。

 

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人気のコースだな~。

 

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黒4ダム。今でも日本一の高さを誇る

 

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断崖絶壁を行くアリの行列

 

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紅葉が見事

 

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こんなところが随所に

 

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紅葉の内蔵助谷と丸山の岩山

 

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イワナが群れていた

 

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連瀑

 

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このスケール感

 

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いよいよ核心地帯へ

 

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この絶景の中を歩く

 

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怖~~~。

 

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「大ヘツリ」ハシゴで巻く

 

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大ヘツリの上から。怖~~~。

 

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大絶景

 

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まだまだ続く

 

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別山谷出合

 

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おいおい、通れるのか?

 

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断崖に立つ

 

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白竜峡のあたり?

 

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ザイルが張ってあったところ

 

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「北アルプスの北半部にある黒部渓谷は、本州の中央部に位置していて、丁度細長い本州の南北から地殻的な圧力をうけているかのように隆起現象にさらされ、それ自身の造山活動の激しさに加えて夏の豪雨洪水と冬の豪雪雪崩による地形の浸食によって、谷は深く崖は急峻をきわめている。殊に欅平から上流は、道をつけようにもその足がかりさえなく、猿やカモシカなどの野生動物もたどることはできない地域だった」(高熱隧道より)

 

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十字峡。左から剣沢、右から棒小屋沢、右下から黒部本流。奇跡の造形だ。

 

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剣沢にかかるつり橋

 

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垂直に切れ落ちる断崖

 

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コの字型に掘られた歩道

 

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S字峡

 

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黒4発電所送電口

 

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東谷のつり橋

 

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仙人谷ダム「日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2000選」

いよいよ高熱隧道の舞台へ。

 

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え?まだ開通してなかったのね。

 

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関電施設の中へ

 

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高熱隧道の最上部。熱気のためすぐレンズが曇る

 

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この高熱岩盤を幾多の犠牲のもと掘り進んできたのだ。無言で姿をさらすトンネルが歴史の重みさらに重厚なものにしていた。

「客観的に、あるいは歴史的・社会的に言えば、あの巨大なエネルギーを犠牲にしつつ高熱隧道を完成させた原動力は、国家の軍事目的であった。しかし、すべての戦争ははかなく終る。わがくにの15年戦争すらもその例外をなすものではなかった。それに対して、ひとたび完成された隧道は、あたかもそれが自然の一部分に組み込まれたかのように、戦争を超えて遥かに永く生き延びる。黒部渓谷をつらぬくあのトンネルは、それじしんが戦争のために利用されるのを黙って見続けて来たが、それにひきつづく時代にはやがて戦後のいわゆる<平和産業>のためによろこび迎えられる時代をも過ぎ、さらにそれにひきつづく時代の公害産業の原動力を提供することになるじぶんじしんの皮肉な運命の変転をも、あいかわらず黙って眺めつづけている。三百余名の人命を内に呑み込んで、崇高ともみえ、醜悪とも言いうる凝結した風貌をさらしながら。」(久保田正文「高熱隧道」解説より)

 

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人見寮。紅白のため中島みゆきが宿泊したらしい。

 

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急坂をおりるとテントの花が咲く

阿曽原小屋到着

 

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阿曽原温泉。すし詰め状態。服を脱いで浴槽の周りで順番待ちをした。

野天にただ浴槽があるのみ。野趣あふれるとはこのこと。

 

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20人ほどが入れ替わりの夕飯。20分の時間制限あり。その間カレー食べ放題。

 

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夜のテンバ。隙間なし。
この日の小屋は定員50名に対して100名。一つの布団で2人だった。

 

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5時前に出発。まだ真っ暗。いきなり急登です。 その後水平歩道へ。

 

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オリオの大滝

 

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堰堤の中のトンネルを通る。

 

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まさに”水平”歩道

 

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水平歩道とオリオ谷

 

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水平歩道の核心部へ

 

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コの字型に削られている

 

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大太鼓。河床まで数百m

 

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まるで空中散歩だね。

 

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大太鼓から覗く

 

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志合谷。ここで泡雪崩が起きた。

 

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雪崩と鉄砲水の巣である志合谷にはトンネルが掘られている。

 

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志合谷宿舎跡。 隧道工事の工夫用宿舎として建てられたが、有名な泡(ホウ)雪崩によって吹き飛ばされた。鉄筋造りの1-2階部分は現在も残っている。

 

「見て下さい、ないんです」
藤平たちは、伊与田の指差す方向に眼を向けた。
「なにがないんだ」
根津が、反射的に叫んだ。
「宿舎です。宿舎がないんです」
伊与田の声は、甲高くふるえていた。 短い叫びが、根津たちの口から一斉にもれた。 藤平は、ハンマーで背中をどやしつけられたような激しい衝撃を感じながら眼を凝らした。志合谷宿舎は、坑口の近くに高々とそびえ立っていたはずだ。荒々しいコンクリートの肌をむき出しにして、いかつい姿で立っていたのだ。が、雪のちらつく夜空の淡い明るみをすかして見上げても、鉄筋五階建ての角張った建物の影は見えず、遠く切り立った渓谷の岩壁の輪郭が黒々と迫っているだけであった。(「高熱隧道」より)

轟音とともに一瞬のうちに宿舎が消えた。いったい何が起こったのか。人間の理解をはるかに超えた事態が描写されている。

このあと泡雪崩の想像を絶する破壊力が明らかになっていくわけだが、志合谷泡雪崩事故に関する調査レポートからその状況を引用する。( 「黒部渓谷志合谷のなだれ研究Ⅰ:志合谷のなだれ予備調査」http://hdl.handle.net/2115/18203)

黒部峡谷では厳冬期に支流の谷々から高速なだれが頻発するが、志合谷はその代表的な谷のひとつとして著名であり、特に昭和13年の暮、その下流部右岸にあった日本電力の工事宿舎を襲ったほうなだれの威力は、常識をはかるに超えたものであったという。(記録によれば、宿舎は1、2階が鉄筋コンクリ一ト、3、4階が木造合掌造りであった。昭和13年12月27日午前2時10分頃、突然、一大音響と共にまず屋根が引剥がされ、続いて落下して来た大なだれのため、3、4 階の木造建築は就寝中の人夫73名を容れたまま吹きとばされて行方不明となり、残った1、2階もコンクリート壁の一部が倒壊して9名が圧死した。吹きとばされた3、4階は志合谷下流部を殆ど水平に横断し、宿舎と同じ高さの尾根を飛び越し、更に黒部川本流を越して水平距離約600mを飛行し、奥鐘山岩壁に激突粉砕してなかの人夫は全員死亡した。宿舎の行方が判明したのは、事故発生後2カ月以上経ってからであった。

泡雪崩は、とにかくすさまじい破壊力を持つことがわかる。しかし、その破壊力を発生させるメカニズムについて論理的に理解できる情報をwebでは見つけられず今後の宿題としたい。

ちなみに「高熱隧道」には以下の記述がある。

「泡雪崩は、異常に発達した雪庇の傾斜に新雪が降った折に発生するが、一般の底雪崩のように雪塊の落下ではなく、雪崩れる際に、新雪の雪の粒と粒の間の空気を異常なほど圧縮して落下するものである。そして、突然障害物に激突すると、その圧縮された空気が大爆発を起し、爆風は、音速の三倍毎秒1000メートル以上の速さをもつ可能性も生れる・・・・」

 

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大鐘山西壁。ここに対岸から泡雪崩によって600m飛ばされてきた志合谷宿舎が激突したのだ。とても想像できない。

 

いよいよ水平歩道も終点がちかい。欅平まで急坂を一気に下る。

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どこかのサイトで見た看板。もうすぐコース終点の欅平だが、健脚以外の方は黒部ダム方面へ延々30km引き返せという意味か?下の看板に左向きの矢印がいるでしょ。

 

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猿がお出迎え

 

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もうすぐゴール。
いや~、歴史と大自然を満喫した充実の2日間でした。 おつかれさまでした。

 

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トロッコ電車。一両貸切でした。

 

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8号線に出てタラ汁屋さんへ

 

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富山県朝日町名物のタラ汁。鍋ごと出てくる。タラが一匹丸ごと入っている。

 

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絶品でした。

 

おわり

160812吾妻連峰 前川大滝沢

By , 2016年8月24日 6:15 AM

■2016年8月12日
■メンバー:KK、CK
■コースタイム
滑川温泉8:00→登山道→8:20展望台→8:40大滝上部8:50→遡行→13:00登山道→14:50滑川温泉

先週は酷暑の中、谷川を縦走した。異常な暑さと湿気で辟易・・・。やはり日本の夏は沢登りに限る、ということで吾妻連峰の阿武隈川水系前川大滝沢にいってきた。

その名の通り、この沢には日本の滝百選の一つ「大滝」がある。落差80mに幅40mのすだれをかける名瀑中の名瀑だ。大滝には明瞭な巻き道がついているが、途中のトラバースでは過去滑落事故があったらしく、今回は大事をとって登山道から大滝上部に下りるルートを使った。

快晴の朝、滑川温泉下の駐車スペースで身支度。絶好の沢日和だった。登山道に通ずる旅館横のつり橋が老朽化のため通行止め。少し下って沢を渡り新たにつけられた登山道を進んだ。本来の登山道と合流しいくつかのつずら折を登ると展望台へ。眼下にはシルクのような大滝が遠望できた。展望台から登山道を10分ほど進むと赤いシュリンゲがあり、そこから大滝上部に通じる小径が延びていた。急な岩場をくだると大きな釜をもつ5m滝に出た。そのすぐ下流は大滝の落ち口だ。足がすくんでのぞけない。沢支度していよいよ遡行開始。


大滝 展望台より

大滝 展望台より


降り口のシュリンゲ

降り口のシュリンゲ


大滝の落ち口

大滝の落ち口


最初の10m

最初の5m いよいよ走行開始!

 

最初の10m滝は右岸をヘツった。手掛かりをさぐりながらクリア。CKも私のルートをたどってクリアした。そこからはきれいなナメが続いた。ネコノ沢、ホラガイ沢を過ぎる。青空を映す美渓にいやされた。しばらく快適に進むと静かに落ちる4mの滝。流れの左側の細かいスタンスを直登した。その上は幅50cmのトイ状のナメ。ほどよく姿を変える渓は飽きさせない。つぎの10m滝の手前で一本取った。行動食をとっていると単独者が登ってきた。「最高の沢日和ですね」といいながら楽しそうに滝を登っていった。

第1関門通過

第1関門通過


きれいなナメの渓

きれいなナメの渓


腰まで浸かり

腰まで浸かり


快適に遡行

快適に遡行


4m 水流の左を登った

4m 水流の左を登った


細かなスタンスを登る

細かなスタンスを登る


トイ状ナメ

トイ状ナメ

 

そこを越えてしばらくいくと幅広8mの滝が現れる。右壁を木を頼りに越えた。次の12mヒョングリ滝は右岸を巻き、続く10m滝、15m滝は快適に直登できた。渓は狭まりながら一気に傾斜を上げてきた。遠くにいくつかの滝が連なっているのが見える。どうやら核心部に来たようだ。その先を単独者が登っている。われわれも続いた。核心のY状8mの滝が現れた。ここは泳いで右岸にとりつき滝をまたいで左岸を登った。CKには念のためお助けひもをつけ泳ぎをサポートした。真夏の渓の泳ぎはむしろ楽しく気持ちがいい。

幅広8m

幅広8m


12mヒョングリ滝

12mヒョングリ滝


快適に登れます

快適に登れます


15mは直登できる

15mは直登できる


15m滝上部より

15m滝上部より


いよいよ核心部

いよいよ核心部


Y状滝は泳いで右岸に取りつく

Y状滝は泳いで右岸に取りつく


核心部をふりかえる

核心部をふりかえる

核心部を過ぎると渓はゴーロ状となり大岩を越えながら登っていった。昔の鉱山跡にかかる吊り橋を見上げながら進んだ。右岸の苔底の桶木沢を過ぎると水流は細くなり最後の詰めとなる。赤ペンキの岩のところが登山道だった。

つり橋跡

吊り橋跡


登山道に到着

登山道に到着

 

美しいナメ、直登できる滝、適度な泳ぎ、大いに楽しめる渓だった。ただ一尾のイワナも確認できなかった。水質が悪いのか魚類不在なのが唯一の欠点か。

小川山春合宿(クライミング班)

By , 2016年6月11日 7:59 AM

2016年5月28-29日

<クライミング班>
こちらはクライミング班。例によってスーパーシニアのNさんにリードしてもらっておんぶにだっこ。みなさん!リードできるように鍛錬しましょうね。

メンバー:Nさん(L)、TOBIさん、CHIさん、MURAさん、SUZUKIくん、INOくん、KAZU-B(記録係)


小川山 廻り目平MAP

小川山 廻り目平MAP

 

まずはおなじみガマスラブに挑戦。
ここは小川山入門のエリア。
岩の感じに慣れるのに良い所だ。

リードするNさん

リードするNさん


順調に登っていく

順調に登っていく

 

核心部の穴ぼこからが、、、行けないんだよな~。Nさん、難なくクリア。
その他みんなズルしてました。

核心部

核心部


突破

突破

 

Nさんのリードで3本のトップロープがかけられた。

トップロープ3つ

トップロープ3つ


ロワーダウンするTOBIさん

ダウンするTOBIさん

 

午後からはスラブ状岸壁に移動。
雑誌社主催のイベントで大混雑。

イベントで大混雑

イベントで大混雑


もう行けなーい。

もう行けなーい。

 

林道わきには金峰山川西股沢の清冽な流れが。

西股沢

西股沢

 

夕方、ふじもとで焼肉定食食べてたら、日本が誇る世界のトップクライマーHY氏が登場してビックリ。

 

 

2016年3月13日 谷川岳

By , 2016年3月20日 10:45 AM

恒例の谷川岳山スキー。悪天候やメンバーの車横転ハプニングなどで中止が続き、数年越しに実現したのが去年。今年は9人が集まった。

■山行期間
2016年3月13日(日)

■コースタイム
天神平スキー場トップ(9:00)→熊穴沢避難小屋(10:15)→肩の小屋(12:15、12:30)→トマの耳(12:40、13:10)→肩の小屋(13:15)→熊穴沢避難小屋(14:10)→熊穴沢滑降(14:20)→西黒沢出合(14:50)→田尻沢コース(15:15)→国道(15:20)


トマの耳からオキの耳

トマの耳からオキの耳

 

山々はガスに覆われロープウェイからの眺望はない。ロープウェイからはこれから滑りこむ予定の西黒沢下部が遠望できるが、遠目でもわかるぐらい沢が露出していた。2週間前に下見に来たNリーダー曰く露出度はさらに増しているよう。天候も相まってメンバーのテンションは下がり気味。まずはいけるところまでいって、途中情報収集しながら熊穴沢の滑り込みを判断しようということになった。

ロープウェイのあとは350円を払ってスキー場のリフトに乗った。ゲレンデトップからの眺望はない。ゲレンデ外に出る際は一旦スキーを外すのがルール。一般スキーヤーと区別するためだ。一瞬晴れたガスの先に現れた稜線にはいくつかのテントと雪洞があった。天神尾根のスタートは下りだった。樹林の中を滑り降りた。最初のコルでシール装着。その間もアイゼンを装着した登山パーティが次から次へと続く。ボーダーのパーティも降りてきた。赤布の立つ尾根をシール登高。相変わらずのガスの中を黙々と登っていった。結構な急登である。しばらく行くと渋滞が始まった。岩場の斜面に皆が難儀していた。われわれも板をザックに固定し残置ロープを頼りに慎重に下りていった。下山のパーティ数名が長い時間待機していた。そして間もなく熊穴沢避難小屋のコルに着いた。

ここから天神尾根

ここから天神尾根


テント

テント


雪洞

雪洞


シール装着

シール装着


熊穴沢避難小屋

熊穴沢避難小屋

 

そこでは多くの登山者が休んでいた。右側にはノートラックの熊穴沢の斜面がのぞいていた。ロープウェイから見えた、滝が露出した西黒沢の状態が気にかかる。Nリーダーもこの時点では熊穴沢滑降の判断がつかない様子だった。とりあえずいけるところまでいこうということでトマの耳を目指すことで出発。

スキー板はザックにつけたままだ。ガスでよく見えないがすぐ先はかなりの急登。新調した軽量アイゼンを装着して歩き始めた。支度していると別パーティの一人がシールで登っていった。それをシール大好きN姉さまが見逃すはずがない。「あの人シールで行ったよね、シールで」と言いながらシールを着けはじめた。シールで登り始めたその人が早々に板を脱いだのも知らずに、N姉さまはアイゼン隊のわれわれを横目に急斜面を力強く練り歩いていった。私の上を横切ったN姉さまがキックターンで七転八倒している横をスキーを脱いだ例の御仁が超軽快に登っていった。「ウッソー。はずしたのー(怒!)」さすがのお姉さまも無謀さに気づいたご様子。死にそうな気分だったそうです。

急坂の登り

急坂の登り


アイゼン登高

アイゼン登高

 

まだまだ尾根は続いた。ボーダーのパーティが下りてきた。ボードはザックにつけたままだ。聞くと頂上付近は視界が効かず降りてきたらしい。ただ熊穴沢には入る、とガイドらしき人が話していた。 少し行くと今度はスキーを背負った3人パーティが下りてきた。やはりガスで視界がなく滑走は危険と判断したらしい。こちらもガイドツアーらしく大事を取ったと思われる。無念そうにおりていった。

いよいよ先行きが怪しくなってきた。滑降は断念か・・・。こうなったらピークハントに切り替えるしかない。相変わらずのガスの中を黙々とブーツ登高を続けた。西黒尾根ルートとの分岐を過ぎるとガスが一瞬晴れて大斜面を2人のスキーヤーが滑っていくのが見えた。それもつかの間、すぐにガスで真っ白になった。さらに登っていくと左側に黒いシルエットが浮かんだ。ようやく肩の小屋に着いたようだ。

ガスで視界なし

ガスで視界なし

 

肩の小屋の陰では大勢の登山者が休んでいた。メンバーが続々と到着した。トマの耳はすぐそこのはずだがガスでまったく拝めない。先鋒のS君が空身で登っていくと数分でトランシーバーから「トマの耳につきました~」との連絡が。山頂はすぐそこだ。

肩の小屋

肩の小屋

 

肩の小屋という大きな目標物があるため、せめてトマの耳からここまで滑降しようと我々はスキーで登ることに。これが唯一の滑降になるかもしれない。 トマの耳まではすぐだった。十数人の登山者が眺望のない頂上で登頂を祝っていた。吹き抜ける風もさすがに冷たく手が凍えた。せめて頂上で集合写真を撮ろうと準備していると大きな歓声が上がった。北側のガスが晴れて一気に視界が開けたのだ。すぐ先にオキの耳がはっきりと姿を現した。その山頂にいる登山者も確認できた。オキの耳に続く稜線の雪庇の上を一人の登山者が歩いている。なんという幸運だろう。我々が登った瞬間からガスが晴れたのだ。初春の谷川の山が峰々をつなぐ雄大な光景を夢中でカメラに収めた。

トマの耳からオキの耳

トマの耳からオキの耳


万太郎谷一望

万太郎谷一望


祝!登頂記念

祝!登頂

 

トマの耳からはガリガリの斜面を肩の小屋まで滑った。そのころ周辺の雲は消え西黒沢源頭の大斜面も姿を見せていた。そこは我々のために幕を開けた劇場のようだった。大雪原に全員がシュプールを描いた。アイスバーンに積もった新雪に気持ちよくターンを刻んだ。山の神様はわれわれのために劇場を解放してくれたらしい。歓声とともに全員が滑りおりたと思ったがFさんが下りてこない。そのころガスがかかり視界がなくなった。ガスの向こうからFさんの声だけが聞こえてきた。「ビンディングの調子が悪くて」金具の不具合で板がすぐ外れてしまうらしい。難儀しながら遅れておりてきた。

トマの耳から肩の小屋へ

トマの耳から肩の小屋へ


西黒沢源頭

西黒沢源頭

 

ガイド本では尾根は右側を滑りおりるとあるが、貧雪でブッシュが多くラインが取れない。ガスで覆われた稜線を斜滑降で戻った。いやはやヤセ尾根の滑降は疲れる。いくつかの急坂を降りると徐々にガスが晴れてきた。熊穴沢のコルもはっきり見えた。登りにN姉さまが難儀した急斜面を小回りで軽快に滑ると熊穴沢の避難小屋に戻った。

天神尾根の下降

天神尾根の下降

 

熊穴沢にはいくつかのトラックが刻まれていた。先ほどのボーダーパーティのものだろう。例の露出した滝が気にはなるが、先行パーティがおりたこともありNリーダーから決行の判断が下された。 左側の急峻な斜面には例年多数のデブリが見られるため、右側の樹林帯の尾根を攻めた。滑り出しはかなりの急斜面だったが昨夜降ったと思われる新雪のおかげで気持ちよくターンできた。沢筋を避けて右方向へトラバースしながら尾根を見つけてはシュプールを描いた。西黒沢に出合う最後の斜面は沢の中を小回りで一気に滑った。いやー爽快!!こうして熊穴沢を大いに堪能させていただいた。

Fさん

Fさん


Cさん

Cさん


N姉さま

N姉さま


Fくん

Fくん


沢を滑るSくん

沢を滑るSくん


尾根から尾根へ

尾根から尾根へ


西黒沢出合

西黒沢出合

 

西黒沢を合わせてからは沢の緩斜面をのんびり降りていった。雄大な谷川をバックにした滑降はなかなか絵になった。次第に沢が割れてきた。ところどころ清冽な流れがのぞいている。落ちないように慎重にラインをとる。しばらく進むと例の滝が現れた。ヤブが邪魔したが板を外してなんとか降りることができた。ここは杞憂だったようだ。思い切って滑りこんで正解だった。その先は雪が切れて沢を渡渉しながら下り、まもなくゲレンデボーダーが次々に滑りおりてくる田尻沢下山コースに出た。 ピークハンターもスキーヤーも大自然を堪能した大満足の1日となった。来年も楽しみだ。

谷川岳をバックに

谷川岳をバックに


西黒沢

西黒沢


露出した滝

露出した滝


雪はここまで

雪はここまで


渡渉

渡渉


楽しい一日でした!

楽しい一日でした!

2016年3月6日 BC コルチナ~中土駅

By , 2016年3月9日 11:39 PM

前日3月5日はてれまくりに参加。011

3月6日コルチナスキー場から中土駅までBC滑走

C会員と2名

9:33

ゲレンデトップ、林道を第5ペアに向かって滑走、シールなしで滑走ポイントへ移動。

9:47  007

滑走スタート、大崩落の脇を抜けて北東斜面へ。

10:07

沢底へ到着、少し休憩、シールOn、1,082mへ登高

10:34

1,082m到着、シールoff、休憩

10:48 013

林道に向けて滑走開始、林間急斜面を抜けると林道へ、眼下に中土駅までの展望。パウダーであれば絶好の斜面。

11:34

発電所脇の道路へ、中土駅まで徒歩すぐ到着。

13:04

バスで南小谷駅へ移動、駅前のラーメン屋で昼食014

14:25

コルチナスキー場の無料送迎バスで駐車上へ移動

以下、トラックデータ

コルチナ-中土駅

2016年1月23日-24日 八甲田山

By , 2016年1月24日 10:16 PM


楽しい雪原歩き

八甲田の大雪原

大雪の月曜日。東京。駅で足止めを食らって暇だったので酸ケ湯に電話したらキャンセルが出て予約できた。ラッキー!というわけで土日に八甲田弾丸ツアーを決行した。

金曜の夜行バスで新宿を出発。翌朝7:00の酸ケ湯従業員バスには間に合わず、朝市で海鮮丼を食べたり、ねぶたミュージアム・ワラッセで迫力の実物ねぶたを見学したりと時間をつぶし、10:15発の送迎バスで酸ケ湯に向かった。

青森駅前の市場

青森駅前の市場


海鮮丼。うまい!!

海鮮丼。うまい!!


ねぶたその1

わらっせはおすすめです。


ねぶたその2

ねぶたその2

1日目は午後のツアーから参加した。隊長ひきいるうさぎさんチームに加わった。集合するやさっそく滑走開始。定番の銅像コースかと思いきや、ゲレンデコースの方へ降りていく。ロープをくぐってオフピステに入り隊長の先導で次々と滑っていったが、15:00頃には早々にロープウェイ乗り場へ着いてしまった。なんか消化不良・・・。後から知ったことだが、この日の午前中、ツアー客の女性が転倒して膝のじん帯を痛め、隊長が背負って下りてきたというアクシデントがあったらしく、どうやらその疲労で午後は軽めのコースになったとのことだった。明日に期待。。。

ゲレンデ外を滑る

ゲレンデ外を滑る


沢をトラバース

沢をトラバース

今夜は旅館部に宿泊。豪勢な夕食をいただいたあとは千人風呂で名湯を満喫。巨大なヒノキの浴槽に大量の源泉が注がれる絵はまさに圧巻だ。

豪華夕食

豪華夕食


せんべい汁

せんべい汁


旅館部

旅館部


湯治部

湯治部


仙人風呂入口

仙人風呂入口


昭和初期の風情

昭和初期の風情

2日目。全国的に記録的寒気が南下する中、気圧配置の妙なのか、青森県は風もなく穏やかな天候。登っていくロープウェイからは弧を描く青森湾が見えた。今日も隊長のグループで総勢20名ほどがパーティを組んだ。「午前は温泉コース」。昨日はスキーヤーが相当入っているがノートラックであろう斜面に行ってみるとのこと。レーダーから少し滑ってシールを付け、赤倉岳方面を目指した。予想的中で途中の北面には誰も入っていなかった。全員が横に広がり、膝パウほどの新雪に一人一人がシュプールを刻んだ。初パウダーに満足満足。

滑走開始

滑走開始


滑走開始

滑走開始


シール装着

シール装着


ハイクアップ

ハイクアップ


ハイクアップ

ハイクアップ


青森湾

青森湾


ハイクアップ

ハイクアップ


楽し~~~。

たのしい~~~。

その後は沢筋をしばらくたどって斜面を東にトラバース。視界が開けた瞬間、目の前にいい斜面が拡がっていた。若干ブッシュが出ているもののラインは十分とれそうだ。ここも横一線に広がって思い思いにトラックを刻んだ。斜面はまだまだ続く。しばらく進むとブナ林のいい斜面があった。爽快に林を縫っていった。北斜面の雪はなかなか楽しませてくれた。冬の太陽がブナ林に差し込んできた沢筋をしばらくトラバースするとバスが迎えに来ている県道に出て午前は終了。さすがはガイドツアー、知り尽くした地形をひねり出しながら我々を楽しませてくれた。

沢を下る

沢を下る


ブナ林

ブナ林

午後。外に出るとみるみる雲が晴れてきた。隊長曰く「こういう日に山に入らないわけにはいかんべ」14時を回っていたが箒場方面へ歩き出す。これは期待できそう。青空のもと大岳と井戸岳がくっきりと見えていた。そこには空前の絶景が拡がっていた。「この冬一番の景色だ」と隊長も感心するほどの眺めだった。反対側には岩木山の姿も。

冬の絶景 大岳~井戸岳

冬の絶景 大岳~井戸岳


岩木山

岩木山

少し歩くとニセタモ岳の斜面に出た(地形図上は田茂萢岳(たもやちだけ)1324mとなっているところ)。大岳に向かって一斉に滑りこむ。これぞ八甲田という雄大な滑走だった。振り返ると山肌には我々のシュプールが無数に刻まれていた。

絶景の中を進む

絶景の中を進む


楽しい雪原歩き

楽しい雪原歩き


冬晴れ~~~。

冬晴れ~~~。


ニセタモより大岳と井戸岳

ニセタモより大岳と井戸岳


絶景大岳

絶景大岳


ニセタモ斜面のトラック

ニセタモ斜面のトラック

再びシールを付けて進んだ。前方にはまさに地平線に落ちんとする冬の太陽。モンスターの陰からは斜光で紅く輝く大岳の雄姿がのぞいていた。まさに夕陽ツアーである。これも八甲田をくまなく知り尽くした地元ガイドならではの企画だろう。「これは宮様ルートのバリエーション、つまり俺のルートだ」と、どこかで聞いたフレーズを隊長が楽しげに話していた。「このまま酸ケ湯に滑り降りるよ」。酸ヶ湯滑り込みとは・・・温泉滑り込みが最近のブームのC嬢にとって大当たりのルートとなった。

夕日に向かって

夕日に向かって


モンスター

モンスター


夕日を浴びる大岳

夕日を浴びる大岳

モンスターを次々とかわしながら、「鍋こわし」という名前が付けられているいいブナ斜面を滑りおりる。最後は酸ケ湯の屋根を見下ろす急斜面だ。少しブッシュがあったが今回のラストランとしてガンガン攻め下りた。すぐ裏山を全員で一気に滑り降りてくる光景には、宿の窓からは歓喜の声が上がっていたに違いない。

酸ヶ湯へ

酸ヶ湯へ。夕陽ツアー


酸ヶ湯を見下ろす

酸ヶ湯を見下ろす

 

八方尾根 2016/1/17

By , 2016年1月17日 8:20 PM

雪不足、でもあるところにはあるんですね〜

栂池 白馬乗鞍岳 2016/1/16

By , 2016年1月16日 6:50 AM

西大巓 2016年1月10日

By , 2016年1月10日 11:09 PM

やっと、、、粉雪、、、、

西大巓の東斜面です。

めずらしく2回楽しんでしまいました。