Category: 縦走

2023年8月 水晶岳 テント泊縦走

By , 2023年10月19日 4:38 PM

・日程:2023年8月28日〜31日
・天候:晴れ
・ルート:
(1日目)折立〜太郎平〜薬師岳〜太郎平キャンプ場(泊)
(2日目)太郎平キャンプ場〜薬師沢小屋〜雲ノ平〜雲ノ平キャンプ場(泊)
(3日目)雲ノ平キャンプ場〜水晶岳〜黒部源流〜雲ノ平キャンプ場(泊)
(4日目)雲ノ平キャンプ場〜薬師沢小屋〜太郎平〜折立
・メンバー:KK(単独)



 

天候が落ち着いた頃を見計らって北アルプスの最深部、水晶岳へテント泊縦走に行ってきました。

予想通り天候も安定し、水晶岳頂上からは360度の大パノラマが拝めました。

途中スキーの下見も兼ねて薬師岳にも寄ってきました。「薬師岳圏谷群」として国の天然記念物になっているカール地形は山スキーヤー垂涎の斜面。近いうちに大カールの滑降を計画したいもの。

また、雲ノ平を囲む山々は黒部川の源流地帯。今回の山旅を通じて、最初の一滴から富山湾に注ぐまでの黒部川の姿をリアルで見られたことは印象に残りました。

 

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薬師岳第1カール 先に見えるのはこれから目指す水晶岳
 
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太郎平キャンプ場 夏のオリオン
 
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黒部川と薬師沢小屋
 
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水晶岳現る 雲ノ平山荘手前
 

【祖父岳山頂からの絶景】
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黎明の槍穂
 
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鷲羽岳と槍穂
 
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朝焼けの笠ヶ岳
 
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水晶岳とご来光
 
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朝焼けの水晶岳
 
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朝日を浴びる槍穂
 
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黒部五郎岳
 
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槍穂の印象
 

【水晶岳山頂から】
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水晶岳北峰と薬師岳
 
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槍穂方面 遠くに富士山
 
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読売新道、劔、立山、黒部湖方面
 

どこを見ても絶景
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鷲羽、ワリモ、笠
 
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雲ノ平キャンプ場

2023年8月 大キレット 槍ヶ岳〜北穂高岳縦走

By , 2023年8月18日 3:20 PM

・日程:2023年7月31日〜8月3日
・天候:晴れ
・ルート:上高地〜槍沢ロッジ〜槍ヶ岳〜槍ヶ岳山荘〜大キレット〜北穂高小屋〜上高地
・メンバー:CK、KK(撮影&記録)

下界の猛暑から逃れるように、天空の稜線歩きをしてきました。
メインイベントは大キレット。一般ルート最難関といわれる痩せた岩綾尾根は歩きごたえ十分。

途中途中の大絶景をゆっくり写真と動画に収めながら、3泊4日の贅沢な山旅を満喫しました。

↓ 大キレット踏破の様子は詳細に動画に収めてきました。


 

絶景の写真を何枚か載せておきます。

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 逆さ槍 天狗池
途中、南岳への分岐に荷物をデポして天狗池へ
 
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槍の穂先と虹 槍ヶ岳山荘より
 
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 槍ヶ岳とご来光
 
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大キレットと槍ヶ岳 北穂高山荘より
 
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モルゲンロートの大キレット 北穂高山荘より
 
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大キレットを落ちる滝雲 北穂高山荘より
 
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ライチョウ 北穂高岳山麓
 

伊豆山稜線

By , 2019年5月9日 11:31 PM

P4280003伊豆山稜線は伊豆半島を南北に通り、天城峠から修善寺の虹の郷までの42kmの縦走路だ。この縦走路を歩こうと以前から調べていた。昭文社の地図は天城峠~風早峠まで歩き、持越温泉で泊まり翌日に舩原峠までを紹介している。縦走路には水場は無いが途中で一泊して歩いている記録がある。どうせなら、山中に一泊して縦走を楽しむ計画を考え、天城峠から戸田峠の32kmを歩くことにした。
バスで天城峠バス停に行き、9:00過ぎに歩きだして16:00ぐらいまで歩いてビバーグする。翌日は戸田峠まで歩きバスで修善寺に下り縦走を終える。水3.5ℓとお湯で済む食事と行動食、ビバーク装備を持っての山歩きだ。伊豆山稜線を訪れる人は少なく、二組のトレールランナーとすれ違ったのみで静かな山歩きとなった。アセビ、ブナ、ヒメシャラの原生林は巨木が多く立派な枝ぶりの樹々を見ながら歩いて行く。16時近くに予定していたビパーグ場所に着いた。アルファ米、フリーズドライの夕食を済ますと眠くなってしまいすぐ寝てしまった。早く寝ているので明け方近くには寝飽きて起きてしまい、天気予報でも見るかと携帯でチェックすると午前中に雨マーク。雨に降られる前に戸田峠に着ければと早めに出発する。行く方向は見通しの良い笹原の尾根道が小ピークに向かって続いてる。空は曇り景色は灰色かかっていて晴れていれば西伊豆の海と富士山が見えるのだろうなと思う。小ピークの登り下りを繰り返し疲れたころに戸田峠に到着した。途中、小雨に降られたが無事に後半15kmを歩き、伊豆山稜線の旅を終えた。(2019/4/28,29)
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大菩薩峠~滝子山まで縦走してみた

By , 2018年11月13日 8:12 PM

PB020037大菩薩峠~滝子山の縦走は機会が合わず計画を寝かしていた。週末にかけて天気が続く予報と知り、思い立って休暇を取って行くことに決めた。 行程はちょっと長めの10時間でバスの到着時間の関係で歩き出しが遅く、日のあるうちに下山は無理なので湯の沢峠の避難小屋で一泊する2日の計画とした。このコースは大菩薩峠から南下し、大月市が秀麗富獄十二景として富士山の景色を紹介している山をいくつも通るので富士山と紅葉とふたつを見て歩けるのである。甲斐大和駅からバスで上日川峠の着いて歩き出しが11時近く。大菩薩峠の紅葉は後半に入っていたが秋の深まりを感じながら縦走を楽しむ。大菩薩峠から先はピークをいくつか越えて湯の沢峠についたのが16時近くだった。避難小屋は2人来ていて今日は3人の宿泊であった。
翌日、6:00前に歩き出す。朝の光、澄んだ空気と山で泊まるから感じる気持ちのいい1日の始まりだ日の出前は星空で天気が良いだろうと思っていたが雲がうっすらとかかってしまい朝日も富士山もきれいに見ることが出来ずに残念であったがカヤトの尾根道は見晴らしが良くこれから行く山々が見えるのがいい。最後のピークになる滝子山に着いても南の空は曇りがちで富士山を見ることが無かったが富士山の展望は次回に取っておくと決めて滝子山から下山した。(2019年11月2,3日)
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大菩薩峠からはカヤトの尾根道が続く

大菩薩峠からはカヤトの尾根道が続く



 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝の陽ざしはいいね

朝の陽ざしはいいね



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

徳本峠越え(釣り&縦走)

By , 2018年7月29日 11:48 AM

島々宿から上高地に抜ける徳本峠越えのルートは島々谷南沢に沿っている。この南沢にイワナがいることを知り、釣りをしながら徳本峠越えをする釣りと縦走の2本立ての旅を計画した。島々宿~岩魚留小屋(ビバーク)~徳本峠~上高地~島々宿(バスで戻り)の1泊2日の旅だ。
朝、島々宿に車を置き出発する。駐車は安曇野支局駐車場を利用できるので徳本峠越えのルートを歩くのに本当に助かる。
島々谷川沿いの島々谷林道を二俣まで歩き、取水口の先から南沢降りた。沢は水量が多く流れが速く、遡行は場所を選ばないと足を持って行かれそうである。
この状況では魚は流れの少ない、深いところの岩影に隠れているので表層の釣りであるテンカラはちょっと不利だな。流心近くを狙わず流れが緩やかなところにポイントを決めて毛鉤を打つとイワナが掛かり出して来た。ところがイワナが掛かり水中でもがいた時に毛鉤が外れることが多く、釣果は6匹釣って、5匹のばらしと掛けそこないが多い釣りになってしまった。やったー、ばらしたーなどと言いながら釣り上り、14:30に岩魚留小屋に着いた。営業はしておらず、小屋が残っているだけである。天場だったところは草が茂り、刈らない使えないので小屋の軒先をビパーク場所とした。
翌日は徳本峠を越えて上高地に抜ける5時間の行動。涼しい午前中に上高地に下ることにする。徳本峠までの沢沿いの道はよく整備されていて、沢を渡る橋は流されてもすぐに掛け直すのか新しいものばかりで快適に歩け、徳本峠には苦も無く到着。峠から穂高連峰を望み下ると上高地まであと一息だ。2018年7月21,23
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甲武信ヶ岳ピークハント①再 真の沢林道

By , 2017年9月17日 7:37 PM

甲武信ヶ岳へは埼玉県の入川渓谷から甲武信ヶ岳に登る道に廃道となった真ノ沢林道がある。前回は千丈の滝まで行ったが沢を上がりすぎてルートを見失い敗退した。今回はその再チャレンジである。 1日目:入川渓流釣り場に車を止め、避難小屋の柳小屋まで行き午後はイワナ釣りを楽しむ。小屋の周りは釣りやすい場所のためか魚が少ない感じ。3時間で4匹、もう少し釣れるかと思っていたので残念。


柳小屋で1泊

柳小屋で1泊


こんなの釣れました

こんなの釣れました

2日目:今日は真ノ沢林道で甲武信ヶ岳に登る日だ。前回は千丈の滝で引き返したので今回は甲武信ヶ岳まで行くと気持ちを引き締める。真ノ沢林道に入ると指標の赤テープが新しくなっていることに気づく。前の朽ち果て小さくなった赤テープに比べてルートが見つけやすく歩きやすい。千丈ノ滝に着くと対岸に赤テープがあり道がすぐに分かり前回、見つからなかったのは何だったの?と思ってしまった。この先は真ノ沢に沿って尾根の斜面に入る。踏み跡は薄く倒木、生い茂った樹々で 覆われ、ひとが通らないと道はこのように自然に溶け込み、無くなって行くのだと思いながら歩いていく。2060m付近の三宝沢の源流部を通り、しばらくすると東京営林局の標識を見つけ、昔の道を歩いていることを実感する。標識を過ぎた辺りからは道が明瞭になって行き、甲武信小屋への巻き道と合流して登山道に出ると甲武信ヶ岳への登り道が見えゴールが近いことを知る。急な道を登り山頂に着くと晴れた空と山々の展望が待っていた。

真ノ沢林道 始めはこんな感じ

真ノ沢林道 始めはこんな感じ


千丈ノ滝からはみちがよく見えない

千丈ノ滝からはみちがよく見えない


崩壊しているトラバースの橋

崩壊しているトラバースの橋


標識はあるけど道はシャクナゲで覆われていた

標識はあるけど道はシャクナゲで覆われていた


甲武信山頂

甲武信山頂


2日目は十文字小屋で宿泊

2日目は十文字小屋で宿泊

3日目:今日は股の沢林道を使って柳小屋を通って、入川渓谷に戻る6時間程の行程だ。股の沢林道は小屋番のかたが付けた赤テープのおかげで迷うこと無く下れ、6時間、淡々と歩いて昼に出発した入川渓谷渓流釣り場に戻った。


 

甲武信ヶ岳ピークハント①

By , 2017年7月25日 8:33 PM

甲武信ヶ岳は埼玉県、山梨県、長野県と3つの県から登ることに気づいた。第1弾として埼玉県から甲武信ヶ岳を目指すルートを計画した。入川渓谷~真ノ沢林道を使って行く、釣りと廃道歩きの旅だ。情報は2500地形図と釣りの記事で千丈ノ滝の吊り橋が無いことに情報のみで細かく調べずに出かけた。それが裏目に出て、千丈ノ滝の上に出て沢に下りてから必要以上に沢を進んでしまい時間切れ。前日泊まった柳小屋に行き返し甲武信ヶ岳ピークハント①は達成せずうーん残念。次の機会におあずけである。

第1目:入川渓流釣り場7:00~柳小屋10:00 柳小屋周辺釣り11:00~15:00
第2目:柳小屋6:30~真の沢 三段の滝まで釣り上がる。 真の沢林道入口9:15~千丈ノ滝11:00~12:30 千丈ノ滝~真の沢でルート捜し。柳小屋に戻る。
第3日目:柳小屋5:45~9:00 入川渓流釣り場。


柳小屋。なかなか快適でした。

柳小屋。なかなか快適でした。


千丈ノ滝の落ち口。 ここから道をロスト

千丈ノ滝の落ち口。
ここから道をロスト


秩父イワナの特徴は赤みが強いこと。種の保存は大切にしよう。今回はみんなリリース。

秩父イワナの特徴は赤いこと。種の保存を大切にしよう。今回はみんなリリース。

 

 

愛される男

By , 2017年7月7日 7:37 PM

「すみません、サボりました。」

のフォト日記。

1日目。

大使館にも電話したし??(山小屋の予約の件で)

万全の準備で日本を飛び立つ。

とは行かず

靴下を忘れたかも?

空港内の靴下専門点で登山用靴下を探すが。

置いてない。薄手のウールの靴下を3足購入するか

ザックの中から靴下発見!

いつも通りの用意周到で出発!

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機内へ

ボスは、僕に窓側を譲ってくれて、同じ列のご婦人の荷物を収納ラックへ上げる。紳士的!

ご婦人は、韓国系オーストラリア人らしく東洋の妖艶さと西洋の積極的な魅力をもちあわせているご婦人だった。

ボスとご婦人は、僕らの行く雪岳山の話で盛り上がる。いい感じ。いい感じに。

 

雪岳山行きは中止か?そんな心配はなく。「良い旅を!」といって仁川空港を後にする。紳士的!

 

明洞で両替をする。大きいザックを背負っていると、「お兄さん、完璧な偽物あるよ〜!」とは、声をかけてくれない。

地下鉄でソウル高速バスターミナルに行く。束草行きのバスに乗らねば、発車まであと7分。食堂でビビンバを注文。

 

ジェットコースターのようなバスに揺られ束草に。ボスが予約したモーテルに着き、

街へ夕食に出かけて一生分の貝を食べた。これでもか!という様な山盛り貝の鍋だった。

 

2日目。

外雪岳側の国立公園入口行きのバスに乗る前に、散歩して大衆食堂で朝食。

背中で語る 

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バスに乗り、国立公園へ

外雪岳側の国立公園で観光「さてボクはどこにいるでしょ〜う?」

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国立公園内のインフォメーションセンターで、事前に小屋の予約をしてないと泊めさしてくれないという噂を耳にしたので確認してみた。すごく冷たい感じに「泊まれない!」としか言われない。感じがワルいなあ〜。

どうしよう。山の中で泊まる場所がない!ようやくいつものモードに調子が戻ってきた♪

インフォメーションセンターの言うことが信用ならないので、これから登山に向かうお父さんに相談してみると、

 

お父さん、親切に山小屋のことを調べてくれる。電話して確認してくれる。やっぱり、山小屋は泊まらしてくれないみたい。。。お父さんありがとー。お父さん、別れた後、仲間にいろいろ聞いて回ってまた僕たちに教えてくれる。でもやっぱり小屋には泊まれないらしい。事前予約が必要で、当日の予約はダメみたい。

一時間も調べてくれる。アボジやさしーい

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ダメと分かってからの切り替えが早い。コースタイム6時間〜山小屋〜5時間の一泊二日を、11時間の1dayに切り替える。よ〜し早朝の出発に備えて、登山道を下見。

ついでに散策も

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宿探しもスムーズ、国立公園前の高級感たっぷりないい感じのホテルを発見!

晩餐は厚切りの豚バラ肉入りのキムチラーメン!

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3日目。

4時出発!

登山道をズンズン進む

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一つ目の山小屋に到着。

朝ごはんをたべる

山小屋というよりはシェルター 

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小屋を出て登山道をズンズン進む

二つ目の小屋に到着。

気温は・・・寒い

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小屋に居合わせた紳士な登山家に登頂後の下山ルートの情報を確認

『あなた達なら大丈夫』とのこと

富士山にも何度か登ったことがあるらしい

『あなたはグッドクライマー』byボス

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ズンズン

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登る

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登頂成功!

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こんな急な階段は初めて

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使わずにすんだ予備日でソウルを楽しむ

韓国の山岳会のボスとウルスカのボス

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ホテルのTVでタイトなスーツ姿のお天気お姉さんに釘付けになる以外は  寝て・起きて・美味しいものを食べる

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2017-5-31丹沢主脈縦走

By , 2017年6月3日 6:55 AM

2017-5-31、1 山小屋泊縦走初体験のFさん、家人の三人で、シロヤシオツツジの群生に合いに丹沢蛭ケ岳に小屋の空く、
平日に行ってきました。大倉から大倉尾根をフーフー言って塔ノ岳に登り、丹沢山に向かうところが群生地ですが、
残念ながら、満開期を過ぎてしまったようで、所々で咲いている感じでした。丹沢山を過ぎ、蛭に向かう稜線では、花期
が遅いのが幸いして、まだまだ見頃で楽しめました。夕方に着いた蛭ケ岳山頂は、滝のような幻想的な雲海が素晴らしい
景色で、冷えたビールの美味しかったこと!!
夜中は雨が強かったですが、朝には上がり、姫次から焼山を経由し、無事に下山できました。
Fさんの次の目標は、テントは泊体験です。
花雲海シロヤシオとミツバツツジ

161022-23 黒部下ノ廊下

By , 2016年11月5日 7:26 PM

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「七月五日、阿曾原谷側坑道の岩盤温度は、工事開始以来の最高温度摂氏165度を記録、入坑した人夫がつづけて倒れたので工事を中断、排気に全力を注ぎ、三日後に坑内温度が10度近く低下したので漸く作業を再開することができた。その頃から技師の大半は、異常な熱さに切端までたどりつくことができなくなっていた。ただ根津と藤平は、水を浴びながら毎日二、三回は切端まで這うようにして坑道をつたわってゆく。そして、切端にたどりつくと、ホースの水を浴び腰をかがめて作業している人夫たちに、「いいか、熱さが辛くなったら早くトンネルの穴をあけるんだ。貫通したら涼しい空気も入ってくるんだから・・・」と、声を荒げて激励するのが日課になっていた。」(吉村昭「高熱隧道」より)

この小説は、戦時体制下の異様な空気の中、電源確保のための国家プロジェクトとして強行された黒部第3発電所と仙人谷ダム建設の困難を極めた隧道工事を描いた記録文学である。掘削する岩盤が摂氏165度にも達した、これが小説の題名になったが、この工事は高熱下での過酷労働のみならず、黒部峡谷という並はずれた険谷で人を襲った自然の猛威も圧倒的リアルな筆致で描かれている。

「高熱隧道」に衝撃を受けた私にとって、会員から出された計画は実に機をとらえたものとなり、幸運にもこの秋、下ノ廊下を訪れる機会に恵まれたのである。

下ノ廊下を辿る前に、この険谷に先人達が挑んできた歴史を紐解いておくのも無駄ではないだろう。諸々の文献を参考に要旨をまとめてみた。山行報告のまえにすこしだけおつきあい願いたい。

「高熱隧道」の舞台であり世紀の難工事が繰り広げられた欅平(けやきだいら)から仙人谷ダム(せんにんだにダム)までに加えて、その上流の黒4ダムまでの黒部川上流域は通称「下ノ廊下」と呼ばれ、「白竜峡」「十字峡」「S字峡」などの景勝をもつ絶景の地として知られている。下ノ廊下に沿った等高線上には登山ルートがつけられているが、これは仙人谷ダム建設や黒4ダム建設調査のために拓かれた径で、上流側の黒4ダムから仙人谷ダムまでを「旧日電歩道」、仙人谷ダムから欅平までが「水平歩道」と呼ばれ、現在も関西電力によって整備されている。関西電力が黒部ダムの建設を決定した際、中部山岳国立公園内であるこの地にダムを建設する条件として、登山者のためにこれらの歩道を毎年整備することが国から義務づけられ、以降関西電力は毎年数千万円、延べ数百名の人員を投じて維持・補修を行っている。整備が終了すると検査を経て富山県警察山岳警備隊や関西電力から開通が発表されるが、残雪が減少する初夏になってから整備が始まる関係上、開通するのは例年9月下旬頃であり、また11月に入ると凍結や積雪が始まることから、1年の中で通行可能なのは秋の1-2ヶ月間ほどに限られる。残雪が多い場合は数週間しか通行できなかったり、昨2015年のように整備が間に合わず開通しないままの年もある。実は今年も開通発表されていないことが道中に判明したのだが・・・。

このルートは一般的な登山道とは異なり登り下りは少なく全体的に平坦であるが、黒部峡谷沿いの断崖絶壁に沿って長い道のりを歩く危険箇所の多いコースである。黒部川左岸断崖絶壁にわずかな隙間をうがつような形で敷かれ、岩壁から太い針金を垂らして木をぶら下げ桟道代わりにしていた箇所もあったという。その後狭あいな箇所が拡幅されて現在の道になったとはいえ狭いことに変わりはない。山側に手すり代わりの針金が張られてはいるものの道幅は最狭部は50~60cmしかなく、足元から谷底まで100m以上の断崖絶壁が続く。丸太を数本渡しただけの桟道や危険な崖を数十m巻くための丸太の梯子がかけられている箇所もあり、間違って足を踏み外そうものなら大ケガ以上の惨事が待っている。「黒部では怪我をしない」といわれた所以である。

黒部を舞台とした小説に関電トンネルの難工事を描いた「黒部の太陽」があるが、時代背景の違いや技術の進歩があるとはいえ、「黒部の太陽」を陽で近代的とするならば、「高熱隧道」は陰で人間臭い前時代的な印象を強烈に残している。「黒部の太陽」の大破砕帯はトロリーバスで一瞬で通過できるが、「高熱隧道」の下ノ廊下は自らの足でしか歩けないということもこの思いを一層深めるだろう。

今回の計画は、黒4ダムから旧日電歩道と水平歩道を下って欅平に抜けるものだった。評判通りの絶景とスリルが次々と展開する充実の山行となった。以下「高熱隧道」の表現も借りながら、私の拙い写真で下ノ廊下の魅力を伝えることができれば有難い。

■山行日時:2016年10月22日(土)~23日(日)
■メンバー:ムラさん(L)、部長、CK、KK(記)
■コース:
【1日目】 (扇沢→ トロリーバス)→ 黒部ダム→ 旧日電歩道→ 十字峡→ 仙人谷ダム→ 阿曽原温泉小屋(泊)
・歩行時間:黒部ダム8:00→ 阿曽原温泉小屋16:00
・車は扇沢→宇奈月まで回送サービス利用

【2日目】 阿曽原温泉小屋→ 大太鼓→ 仕合谷→ 欅平(→ トロッコ電車→ 宇奈月→帰京) ・歩行時間:阿曽原温泉小屋4:50→ 欅平9:50

 

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朝焼けの紅葉が映える扇沢

 

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関電トンネルを抜けると立山が一望

 

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部長を探せ。
この人、人、人・・・今夜の小屋が思いやられる。

 

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出発。

 

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人気のコースだな~。

 

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黒4ダム。今でも日本一の高さを誇る

 

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断崖絶壁を行くアリの行列

 

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紅葉が見事

 

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こんなところが随所に

 

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紅葉の内蔵助谷と丸山の岩山

 

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イワナが群れていた

 

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連瀑

 

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このスケール感

 

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いよいよ核心地帯へ

 

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この絶景の中を歩く

 

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怖~~~。

 

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「大ヘツリ」ハシゴで巻く

 

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大ヘツリの上から。怖~~~。

 

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大絶景

 

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まだまだ続く

 

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別山谷出合

 

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おいおい、通れるのか?

 

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断崖に立つ

 

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白竜峡のあたり?

 

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ザイルが張ってあったところ

 

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「北アルプスの北半部にある黒部渓谷は、本州の中央部に位置していて、丁度細長い本州の南北から地殻的な圧力をうけているかのように隆起現象にさらされ、それ自身の造山活動の激しさに加えて夏の豪雨洪水と冬の豪雪雪崩による地形の浸食によって、谷は深く崖は急峻をきわめている。殊に欅平から上流は、道をつけようにもその足がかりさえなく、猿やカモシカなどの野生動物もたどることはできない地域だった」(高熱隧道より)

 

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十字峡。左から剣沢、右から棒小屋沢、右下から黒部本流。奇跡の造形だ。

 

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剣沢にかかるつり橋

 

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垂直に切れ落ちる断崖

 

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コの字型に掘られた歩道

 

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S字峡

 

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黒4発電所送電口

 

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東谷のつり橋

 

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仙人谷ダム「日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2000選」

いよいよ高熱隧道の舞台へ。

 

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え?まだ開通してなかったのね。

 

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関電施設の中へ

 

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高熱隧道の最上部。熱気のためすぐレンズが曇る

 

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この高熱岩盤を幾多の犠牲のもと掘り進んできたのだ。無言で姿をさらすトンネルが歴史の重みさらに重厚なものにしていた。

「客観的に、あるいは歴史的・社会的に言えば、あの巨大なエネルギーを犠牲にしつつ高熱隧道を完成させた原動力は、国家の軍事目的であった。しかし、すべての戦争ははかなく終る。わがくにの15年戦争すらもその例外をなすものではなかった。それに対して、ひとたび完成された隧道は、あたかもそれが自然の一部分に組み込まれたかのように、戦争を超えて遥かに永く生き延びる。黒部渓谷をつらぬくあのトンネルは、それじしんが戦争のために利用されるのを黙って見続けて来たが、それにひきつづく時代にはやがて戦後のいわゆる<平和産業>のためによろこび迎えられる時代をも過ぎ、さらにそれにひきつづく時代の公害産業の原動力を提供することになるじぶんじしんの皮肉な運命の変転をも、あいかわらず黙って眺めつづけている。三百余名の人命を内に呑み込んで、崇高ともみえ、醜悪とも言いうる凝結した風貌をさらしながら。」(久保田正文「高熱隧道」解説より)

 

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人見寮。紅白のため中島みゆきが宿泊したらしい。

 

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急坂をおりるとテントの花が咲く

阿曽原小屋到着

 

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阿曽原温泉。すし詰め状態。服を脱いで浴槽の周りで順番待ちをした。

野天にただ浴槽があるのみ。野趣あふれるとはこのこと。

 

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20人ほどが入れ替わりの夕飯。20分の時間制限あり。その間カレー食べ放題。

 

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夜のテンバ。隙間なし。
この日の小屋は定員50名に対して100名。一つの布団で2人だった。

 

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5時前に出発。まだ真っ暗。いきなり急登です。 その後水平歩道へ。

 

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オリオの大滝

 

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堰堤の中のトンネルを通る。

 

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まさに”水平”歩道

 

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水平歩道とオリオ谷

 

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水平歩道の核心部へ

 

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コの字型に削られている

 

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大太鼓。河床まで数百m

 

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まるで空中散歩だね。

 

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大太鼓から覗く

 

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志合谷。ここで泡雪崩が起きた。

 

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雪崩と鉄砲水の巣である志合谷にはトンネルが掘られている。

 

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志合谷宿舎跡。 隧道工事の工夫用宿舎として建てられたが、有名な泡(ホウ)雪崩によって吹き飛ばされた。鉄筋造りの1-2階部分は現在も残っている。

 

「見て下さい、ないんです」
藤平たちは、伊与田の指差す方向に眼を向けた。
「なにがないんだ」
根津が、反射的に叫んだ。
「宿舎です。宿舎がないんです」
伊与田の声は、甲高くふるえていた。 短い叫びが、根津たちの口から一斉にもれた。 藤平は、ハンマーで背中をどやしつけられたような激しい衝撃を感じながら眼を凝らした。志合谷宿舎は、坑口の近くに高々とそびえ立っていたはずだ。荒々しいコンクリートの肌をむき出しにして、いかつい姿で立っていたのだ。が、雪のちらつく夜空の淡い明るみをすかして見上げても、鉄筋五階建ての角張った建物の影は見えず、遠く切り立った渓谷の岩壁の輪郭が黒々と迫っているだけであった。(「高熱隧道」より)

轟音とともに一瞬のうちに宿舎が消えた。いったい何が起こったのか。人間の理解をはるかに超えた事態が描写されている。

このあと泡雪崩の想像を絶する破壊力が明らかになっていくわけだが、志合谷泡雪崩事故に関する調査レポートからその状況を引用する。( 「黒部渓谷志合谷のなだれ研究Ⅰ:志合谷のなだれ予備調査」http://hdl.handle.net/2115/18203)

黒部峡谷では厳冬期に支流の谷々から高速なだれが頻発するが、志合谷はその代表的な谷のひとつとして著名であり、特に昭和13年の暮、その下流部右岸にあった日本電力の工事宿舎を襲ったほうなだれの威力は、常識をはかるに超えたものであったという。(記録によれば、宿舎は1、2階が鉄筋コンクリ一ト、3、4階が木造合掌造りであった。昭和13年12月27日午前2時10分頃、突然、一大音響と共にまず屋根が引剥がされ、続いて落下して来た大なだれのため、3、4 階の木造建築は就寝中の人夫73名を容れたまま吹きとばされて行方不明となり、残った1、2階もコンクリート壁の一部が倒壊して9名が圧死した。吹きとばされた3、4階は志合谷下流部を殆ど水平に横断し、宿舎と同じ高さの尾根を飛び越し、更に黒部川本流を越して水平距離約600mを飛行し、奥鐘山岩壁に激突粉砕してなかの人夫は全員死亡した。宿舎の行方が判明したのは、事故発生後2カ月以上経ってからであった。

泡雪崩は、とにかくすさまじい破壊力を持つことがわかる。しかし、その破壊力を発生させるメカニズムについて論理的に理解できる情報をwebでは見つけられず今後の宿題としたい。

ちなみに「高熱隧道」には以下の記述がある。

「泡雪崩は、異常に発達した雪庇の傾斜に新雪が降った折に発生するが、一般の底雪崩のように雪塊の落下ではなく、雪崩れる際に、新雪の雪の粒と粒の間の空気を異常なほど圧縮して落下するものである。そして、突然障害物に激突すると、その圧縮された空気が大爆発を起し、爆風は、音速の三倍毎秒1000メートル以上の速さをもつ可能性も生れる・・・・」

 

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大鐘山西壁。ここに対岸から泡雪崩によって600m飛ばされてきた志合谷宿舎が激突したのだ。とても想像できない。

 

いよいよ水平歩道も終点がちかい。欅平まで急坂を一気に下る。

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どこかのサイトで見た看板。もうすぐコース終点の欅平だが、健脚以外の方は黒部ダム方面へ延々30km引き返せという意味か?下の看板に左向きの矢印がいるでしょ。

 

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猿がお出迎え

 

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もうすぐゴール。
いや~、歴史と大自然を満喫した充実の2日間でした。 おつかれさまでした。

 

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トロッコ電車。一両貸切でした。

 

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8号線に出てタラ汁屋さんへ

 

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富山県朝日町名物のタラ汁。鍋ごと出てくる。タラが一匹丸ごと入っている。

 

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絶品でした。

 

おわり