2019-2-24 越後の山 その2 東谷山

By , 2019年3月7日 10:34 PM

越後の山第2弾は東谷山。
日白山のとなりにたたずみ、藪山で無雪期は山登りの対象にならないが、アプローチが比較的容易で北西斜面のパウダースノーが楽しめるということで、最近は多くの山スキーヤーが訪れる中越定番の山になっている。今回パウダー狙いで行ってみたのだが・・・。

前日、こちらも中越の山スキーの定番・阿寺山に行ってみたが、このところの降雨が凍り斜面は固く、その上に少しの新雪が 載っただけの斜面はでこぼこ。おまけにガスに覆われとても滑りを楽しむ状況ではなかった。うってかわってこの日、雲ひとつない青空と澄んだ空気、そしてさんさんと輝く太陽。眺望は最高、でも帰りは雪が 腐ってるだろうなー。

下山先になる貝掛温泉バス停広場に車をデポして路線バスで二居へ。バスには登山客が10数人乗りこんでいた。運賃はスキー持ち込み料含めて300 円。集落の入り口からシールを付けて二居峠を目指した。春のような陽気でスタート時点からハードシェルを脱いだ。峠の林道入り口でバスが一緒だった登山者のパーティが出発準備をしてい た。

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九十九折りの林道を登った。事前情報だと二居峠で尾根にとりつくのに難儀するとのことだったがまったくなんの問題もなく峠に到着。(事前情報はおそらくここのことではないと思う)登山パーティもぞくぞく到着し一息ついていた。峠にある 東屋も完全に出ていて雪の少なさを物語っていた。下界には乾いたアスファルトの国道17号線が見えていた。
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二居峠


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眼下には国道17号

尾根にとりついた。さっそく名物の雪庇がお出迎えだ。積雪が少ないせいかそれほど発達していないよう。右側に は太陽に照らされた三国山脈が煌煌と輝いていた。とりわけ平標山と仙ノ倉山は圧倒的な存在感。奥には谷川連峰ものぞいていた。左側はコナラの樹林帯。雪庇を踏みぬかないよう林の中を進んだ。急坂を登ると送電線の鉄塔についた。
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雪庇


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平標山が覗く

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鉄塔

その後も細尾根は続いた。本来ならこの厳冬時期、尾根はカリカリで雪庇も発達しているはず。何箇所か厳しい登りがあったが条件によってはシール登高は難儀するだろう。この日はスキーアイゼンでクリアできたが、スキーを脱がなければならない状況が多いと思われる。

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絶好の天気


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絶景の三国山脈

東谷山手前のピークが見通せるところまで登ってきた。尾根が続いた。抜けるような青空に白い稜線が続いていた。寒さのかけらもなく、まるで2月とは思えない陽気。これは完全に春スキーだ。
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細尾根を抜けるとブナとダケカンバの緩やかな斜面に。急坂がおわってひと安心。
トレッカーの一行がおりてきた。
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ブナとダケカンバの美林帯

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美しい森の中を登っていった。そこへスキーヤーが滑り降りてきた。そのあとを大型犬が追ってきた。ふもとの駐車場で会った方だ。ふもとでは「 早く行こう」とせき立てていた犬。いっしょに頂上まで登ってきたようだ。これぞ 究極の散歩、犬もさぞかし楽しいだろう。

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犬が・・・。

頂上に近づくにつれ山容はなだらかになった。見えた滑り降りる谷を左に一つのピークを越えたその先に人だかりが。あそこが東谷山頂上だ。右手には三国山脈の相変わらずの絶景。何度も立ち止まりその光景をカメラに収めた。これほどの絶景は二度と拝めないだろうと思われるほどの眺めだった。
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見事な快晴


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あの人だかりが東谷山の山頂

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山頂からは一足先にスキーヤーが降りていった。

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下山のスキーヤー

そして山頂へ。山頂からは360度の大パノラマ。東から時計回りに、越後三山、その手間に昨日登った阿寺山、そしてくっきりと米子沢を従えた巻機山、一ノ倉岳、谷川岳と続く谷川連峰、登高を見守ってくれた仙ノ倉岳、平標山、さらに背後には苗場山、神楽ヶ峰。とにかく圧巻の展望だった。できることならテント泊しながら夕景を狙いたい。

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越後山脈


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三国山脈から谷川連峰


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苗場山も見える

隣の日白山に続く尾根には登山者が数名見えていた。

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日白山への稜線 奥には万太郎山 谷川岳ものぞく

しばし絶景を堪能し滑降をスタート。降りる谷を間違えてあわてて隣の尾根にトラバース。無事ルートに戻った。滑った斜面が春のような日差しを浴びた西斜面ということでさすがに雪は腐っていた重たい雪で脚が疲れる。ただいい 感じの斜面でパウダーだとかなり面白そう。急斜面を滑った後は地形図を見ながら尾根筋をたどった。途中、沢を2か所トラバースして杉の植林地を抜けると国道が見えてきた。そうしてドンピシャで国道をくぐるトンネルのところ につい た。無事終了。

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きれいな疎林帯を滑る

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沢の下部は腐り雪


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国道に出た

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デポ地点へ国道沿いを滑る

今回2月のパウダーを狙って来たが、一足先の春スキーとなった。仲間からケータイに続々下山連絡が入ってきたが 共通語は「春スキー。」

今シーズンは早く終わる感が濃厚だ。

2019-2-23 越後の山 その1 阿寺山

By , 2019年3月7日 10:24 PM

2月の厳冬期にパウダー狙いで越後を訪れた 。
2連戦となった第1弾は定番の阿寺山。あすは東谷山だ。

今回のメンバーのうち、ふたりは昨年も訪れたとのことだが、滑り出しのルートミス で尾根脇の急斜面をひたすらトラバースとなって消化不良だった様子。今回そのリベンジにジョインさせていただいた。

この日はあいにくの天気ですっきりしない。スタート地点の広堀橋からみる阿寺山は雲の中だった。先行車は1 台。準備中にぞくぞくと3台ほど集まってきた。みな首都圏ナンバー。雪の壁を登って出発。

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土が見えているところも多く4月のような雰囲気。林道を進むと尾根の取り付き点だ。先行の2名は沢沿いのほうへ進んで登っていた。滑降する 沢の状況を見ながらの登高なのだろう。われわれと後続のパーティはまっすぐ 尾根に取り付いた。
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正面の尾根を登る

いきなり急坂が続いた。きれいなブナの森を登った。ブナの根開けも見られ、すでに春の様相。カモシカがこちらに歩いてきた。沢沿いを進むパーティから逃げてきたのだろう。われわれに気付くと90度転回して斜面を上がっていった。ブナの森はカモシカの天国だ。ブナがあるということは雪が多いということ。雪が多いと食の競合者シカが近寄れないためだ。ブナの森ではよく遭遇する。
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その後もひたすら続く急斜面。メンバーのひとりスプリットボードのボーダーが苦戦。超太板のようになるため急斜面は難しいのだろう。そのころ後続の パーティが追いつく。話すと、リーダーは昨年も一緒になった方だと判明。ガイド本にここ阿寺山について執筆されている方とのこと。今年も一緒になったようだ。やはりきょうの雪はよろしくないとのこと。
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急登は続く

標高1000m付近まで登ってきた。傾斜が切れて小休止。別パーティの方と本日の滑走ルートジャバミ沢の情報交換。沢沿いにかなり下まで行ける、適当なところで左にトラバースして尾根の取り付き点に出たほうがよい、などなどアドバイスをいただいた。
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そこからきれいな樹林帯に入り、またまた急斜面。結構きついです、この山。
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一帯はガスに覆われ視界はなし。幻想的な霧のブナ林に見守られながら登った。

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幻想のブナ林

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ノウサギの足跡

そしてようやく標高1250mの平坦地に着いた。この先は視界も悪くモチベーションが上がらない。

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1250m付近

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もう少し登って滑走することにした。急斜面を100mほど登った。ちょうど夏道が通っているところで登高終了。
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1350mの夏道附近


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視界がひらけた

北斜面で明らかに雪質がよくなったが新雪の下は雨で固まった固い斜面だ。ビットチェック。30 センチほどの深さにシャーベット状の層があったが崩れることはなかった。不安定ではないが念には念を入れる必要がある。

ジャバミ沢の左岸尾根となる北西斜面を中心に滑降。滑り出しは急斜面だ。北斜面ほど新雪の厚さはないが滑るたびに表層が少し流れた。アイスバーンのような氷の斜面にうっすらと柔らかい雪がのっている状態だ。ターンするたびにごくごく小規模の雪崩が発生。本格的な雪崩を誘発する恐れがある。あまりストレスをかけてはいけない。下の先行者に重ならないようにルートを選び、連続ターンは避けた。そして斜滑降で斜面を大きく横切るように降りた。しばらく降りると斜度が緩い尾根に逃がれてひと安心だ。ジャバミ沢をのぞくとデブリが見える。明らかになだれた後だった。沢は危険なので尾根伝いにルートをとった。斜面は固くでこぼこしていて雪も悪い。アイスバーンを滑っているのと変わらずターンの難易度は高かった。しばらく下降してから谷が狭まるところで沢に入った。沢は随所でなだれていて、そこは最下部の雪崩デブリの 先端だった。よほど条件が良いとき以外、やはり沢底の滑降は避けるべきだ。

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ジャバミ沢滑降

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雪崩の跡

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流れがのぞく広堀川出合で河岸に登り河原を進んだ。左岸から用水路が流れ込んでいるところで終了。シールで少し登り入山地点に戻った。

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広堀川出合

今回、雪が悪く滑走自体は楽しめなかったが、登坂、雪崩の回避、悪雪の処理 などさまざまな要素が体験できた勉強になる山行だった。

おつかれさまでした。

おつかれさまでした。

夜は湯沢の一二三で魚介類に舌鼓を打った。美味いです。
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カジカ酒

カジカ酒

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2019-2-3 のんびりと鍋倉山

By , 2019年2月22日 12:38 AM

今年の奥信濃は積雪十分。
山スキー日和となった週末、関田山脈の主峰・鍋倉山に行ってきた。
今回のメインは写真。のんびり山歩き&山スキーを楽しんできた。

 

名物の濃霧に包まれた飯山盆地を抜け、一路温井集落へ。
除雪終了地点の道沿いには先客がズラリ。ほとんどが出発ずみで、準備しているのは2パーティほど。
すっきり晴れ渡った青空のもとビーコンのスイッチをいれ出発。

田茂木池の横をショートカットすると旧都立大小屋だ。そこからは私有地になるため急斜面を登って県道に出る。


鍋倉山を正面に

鍋倉山を正面に


旧都立大小屋横の崖を登る

旧都立大小屋横の崖を登る

小屋の先は大きくカーブしているが、そのまま沢筋をトラバースした。
スノーシューの単独女性が降りてきた。山頂に行ってきたとのこと。
鍋倉のブナの山はスノーシューもいい。スキーは山登りもできてくだりも楽しめる、やっぱりスキーはもっといい。

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小屋の先のトラバース

山頂に続く森太郎覗き尾根とよばれる尾根にとりついた。途中の森太郎も楽しみだ。
細尾根をつめるとブナ林の中斜面になった。
単独のスキーヤーが滑ってきた。
一旦止まると、
「キツーーーー!」
奇声をあげている。
「重たいですかあ?」
「どうにもならん、ストップ雪」
そういえば自分、登りで大汗かいてハードシェルを脱いでいた。この陽気で雪が相当腐っているようだ。
「山頂直下はいい雪だったよ。楽しみにして登って」
そう言って
「キツーーーー!」
と叫びながら降りていった。

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下の方はバカ雪

尾根の登りは続いた。
この尾根の右側には随所にオープンバーンがある。
4人のパーティが楽しそうに滑っていった。
帰りの楽しみだ。
向こうには関田山脈が青空のもと続いていた。

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滑降


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滑降


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青空に続く関田山脈

 

立派なブナが目立ってきた。巨木の谷を左に尾根を登った。

大きなブナ

大きなブナ


冬の陽を浴びるブナ

冬の陽を浴びるブナ

向こう側の斜面の下の方にひときわ大きなブナが見えた。森太郎だ。
去年残雪期に見にきたが、今回は幹の大部分が雪に埋もれていて巨木感は乏しかったが、その存在感はやはり鍋倉の主である。
残念ながら枝の広がりは少なく、そろそろ天寿を迎えるのかもしれない。
ここまで数百年、鍋倉を見守り、開発から守ってくれた神の木。
いつまでも生きていてほしいものだ。

森太郎

森太郎 やはりひときわ目立つ


巨木の谷

巨木の谷


影を伸ばす森太郎

影を伸ばす森太郎

森太郎を見届けさらに登っていくと、緩やかな美林帯に出る。
見事なブナが一定間隔に立っている美しいところだ。
ここのツリーランは鍋倉の代名詞だ。
先行者を被写体に構図を試行錯誤した。

美林を行く

ブナの美林を行く

振り向くと絶景の山々が。

越後山脈がくっきり

越後山脈がくっきり


越後三山をバックにブナ林を登るスキーヤー

越後三山をバックにブナ林を登るスキーヤー

そして鍋倉山頂。
頂きでは数目に先客達が休憩していた。
ドローンを飛ばしている人も。
そして正面には、妙高、火打を従えた頸城山塊がドーンと鎮座。
振り返ると野沢の毛無山、苗場山、越後三山。
高社山と飯山盆地の白い田園。
黒倉山の先には日本海までもが見渡せた。360度なかなかの絶景だ。

鍋倉山山頂

鍋倉山山頂

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絶景の頸城山塊

絶景の頸城山塊 左から黒姫、高妻、妙高、火打


信越トレイルもすっきり見える

信越トレイル


高社山と飯山盆地

高社山と飯山盆地


日本海も見える

日本海も見える


たまには記念撮影

たまには記念撮影

しばしの休憩後、滑走開始。
登ってきた斜面は結構なシュプールが入っていたため、右のノートラック斜面をトラバース気味に左へ回り込んだ。
巨木の谷の上部を横断して登ってきた尾根へ。
森太郎の懐まで行くことも考えたが、曇り空になってきたため青空バックの森太郎はあきらめた。
巨木の谷の反対側のオープンバーンを物色することに。
ノートラック斜面を見定めてドロップイン。
シャーベット状だったが適度に楽しい。小回りターンを刻んだ。
斜面がなくなるころ横にトラバース。
さらに隣のオープンバーンが出てくる。高速大回りターンで一気に駆け抜けた。
爽快!のひとこと。

鍋倉山の魅力は、穏やかな山容となんといってもブナの森の美しさだろう。
今回も鍋倉の優しい懐に包まれながら贅沢な時間を過ごすことができた。

剱岳 点の記 2018年9月

By , 2018年9月24日 8:45 AM

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「点の記」とは、三角点の戸籍又は案内図のようなもので、見知らぬ場所の三角点で測量をする際に測量者は必ず入手して利用する。内容は、点名、所在地、土地の所有者、測量年月日、三角点までの道順、交通、案内図など。旧「点の記」に付図はついていないが、道順や水や食料の確保、人夫の雇用状況など、測量に役立つたくさんの情報が書かれている。ここに書かれたことが現在の測量に役立つことはほとんどないが、測量だけでなく当時の様子を知る貴重な資料となっている。新田次郎の「剱岳 点の記」がこれをタイトルにしたことは有名。

新田次郎の「劒岳 点の記」は、1907年7月(明治40年)、参謀本部陸地測量部の測量官・柴崎芳太郎が様々な困難と戦いながら未踏峰とされてきた剱岳の測量のために登頂を決行する実話に基づく小説。その任務は日本地図最後の空白地帯を埋めるという重要かつ困難を極めたものだったという。陸軍の測量隊をもってしても長らく未踏の頂として最後まで残された剱岳。そこには先人達が何度も挑んだに違いないが、その険しさからことごとく拒まれたこと、そして「登れない山、登ってはならない山」という山岳宗教上の迷信も加わり、人々の畏怖の念が高じた結果、未踏峰として残されたものと考えられる。それほどまでに人を寄せ付けなかった剱岳。長くあこがれていた山にこの夏挑戦してきた。

剱岳への一般ルートは2つ。室堂から剱御前を越え剣沢を下ってアプローチする「別山尾根ルート」、もう一つは馬場島から標高差2200mを延々と登る「早月尾根ルート」だ。今回は百名山の一般ルートでは最も危険度が高いといわれている「別山尾根ルート」に挑戦。このルートはなんといってもカニのタテバイ・ヨコバイが有名。測量隊率いる柴崎芳太郎もカニのヨコバイと思われる岩壁のアタックを試みるも断念した様子が「劒岳 点の記」にも描かれている。多くの山行記録にもこれらの難所が「怖い」ところとして書かれているがどんなところなのか。怖いもの見たさも手伝ってこのルートで頂を目指すことにした。

今回の山行では、剱のスリルと絶景を可能な限りカメラに収めてきたつもりだ。その光景を写真でお伝えできれば幸いだ。

休暇を取った週のど真ん中に超大型台風が列島直撃の予報。嵐の前の静けさか、台風が襲う前の二日間が勝負となった。ちなみに今でこそインターネットで正確な天気予報が把握できるようになったが、柴崎芳太郎が測量していた明治時代には不可能だった。トランジスターラジオが発明されるのも昭和に入ってから。小説には気圧計の変化から天気を読み取り、その差が山岳会より先に登頂できた要因だったことが描かれている。

 

1日目の朝、扇沢に向かった。今夜は剱澤小屋に前泊なのでそれほど急ぐ必要はない。トロリーバスは観光客ばかりで登山者の姿はない。観光放水中の黒部ダムを通りケーブルカー、ロープウェイと乗り継いで室堂へ着いたのは11:00過ぎ。

観光放流中

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室堂からは雷鳥沢キャンプ場まで下り、雷鳥沢の登山道にとりついた。お約束のライチョウ親子にも遭遇。登りの途中からは剱岳で有名なガイドと一緒になった。この方とは道中の要所要所でご一緒することに。雷鳥沢を詰め上がり剱御前小屋がある別山乗越まできた。
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雷鳥沢を詰める


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ライチョウ

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剱御前小屋に到着

あとは剱澤小屋まで剣沢沿いに下っていく。剱岳には雲がかかっていたが、ときおりうっすらと頂上がのぞいた。眼下にキャンプ場が見えてきた。キャンプ場を過ぎ、なにかの拍子で会話した小屋でアルバイトしているお嬢さんと合流し小屋まで下った。

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剱岳を正面に剣沢をくだる


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剣沢診療所


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もうすぐ剱澤小屋


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剱澤小屋

剱澤小屋にしたのは剣岳の眺望だ。剣山荘からの本峰は前剣の影になるとの情報から。剱澤小屋はとてもきれいで小屋の方々も大変親切。剱岳初挑戦と伝えると、自前のルート図で注意箇所を詳しく教えてくれた。

有名なカニのヨコバイの第一歩は”右足から”と書かれていた。

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小屋の前の景色


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小屋前から剱岳を望む


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小屋前から剱岳を望む


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剱の雄姿 夕陽を浴びる前剱と雲がかかる剱岳

夕食は名物の揚げたてとんかつ。ご飯は富山米。小鉢のヒジキ。評判通りでとても美味しかった。

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揚げたてトンカツ

となりのテーブルには山スキーで有名なS氏が。八つ峰を12時間かけてガイドしてきたという。お客さまの一人はかなり疲労している様子だった。夏はこの剱澤小屋を定宿にガイドをしているそうだ。他にも有名ガイドが結集していて、剱澤小屋にして良かったと思った。

<小屋情報:備忘メモ>
・1泊2食 10,000円、1泊夕食付 9,000円、1泊朝食付 8,000円、素泊まり 7,000円
・2段ベッド 畳敷き、布団付
・シャワー付き 1時間ごとの男女交代制、石鹸・シャンプーは自粛
・お湯はポットでふんだんに用意されている
・缶ビール、缶チューハイ、お酒、ペットボトル飲料等販売あり ノンアルコールビールはなし
・特製「剱人」Tシャツ(ノースフェース製)5,000円 S、Mサイズは品切れ
・水洗トイレ 紙は別箱へ
・お弁当は、しゃけ、ミートボール、漬物付 1,000円
・乾燥室あり
・消灯は21:00
・コンセントは各部屋2口
・朝食は5:00~

剣岳といえば、カニのタテバイ、カニのヨコバイの渋滞が有名。ハイシーズンだと1時間待ちもあるとか。テーブルをご一緒した女性によると、剱岳は2回目で前回も同じ時期にきて4:30に出発しタテバイ、ヨコバイとも渋滞しなかったらしく、今回は明るくなる5:00頃出るとのこと。われわれも従うことにした。

夜中に目が覚めて外に出ると多くの星が輝いていた。剱のシルエットに降り注ぐ星空を長時間露出で狙ってみた。

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星空 高感度撮影


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星空と剱岳 明かりは剣山荘

 

2日目。4時起床。向かいに横たわる黒い岩山のあちこちにヘッドランプが登っていくのが見える。夜明け前から剱岳登頂に出発しているのだ。先頭の人は前剣の中腹まで進んでいた。われわれはゆっくり支度して5:00少し前に剱澤小屋を出発した。一旦小屋の裏に回って剱沢を横断し剣山荘を目指した。沢を横切るころ東方が輝いてきた。みるみるうちに雲がピンク色に染まった。雪渓を残す剱沢とどっしり構える剱岳が朝色に照らされてきた。この一瞬をとらえた。

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夜明け前の劔岳 すでに前剱の頂上に達しようとする人がいた


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黎明 八つ峰から剱岳のシルエット


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夜明け前の出発


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黎明剱岳

剣山荘を過ぎるといよいよ登りが始まった。さっそく鎖の岩場が2か所あるが問題ない。やがて第一のピークに出た。一服剱だ。その真正面を巨大な岩山がふさいでいた。前剱だ。尖った大岩は本峰をピタリと隠してまるでこれが剱岳かと思わせた。ちなみに、われわれが立山で山スキーをしている時にのぞき見する剱岳、剱御前から見る剱岳は剱岳にあらずで、その正体は前剣だったのだ。それほど存在感のある前衛である。そして前剱は登高不可能としか思えないほどの垂直の壁に見えた。ここに道がついているのだ。

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剣山荘を出発


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鎖場 問題ない


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立ちはだかる前剱 本峰はこの陰に隠れている


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一服剱から前剱 これを登る

一服剱を下って前剱に取りついた。ガレ場の胸を突くような急坂でほぼクライミング状態。情報によるとここの下りがもっとも事故が多いらしい。ガイドさん曰く、心の持ちよう、緊張感の差が原因とのこと。難ルートを往復した達成感と気の緩みがちょうどこのあたりでやってくるそうだ。確かにガレ場は大小の岩がごろごろしていて不安定。帰路、心して下らなければならない。詰めの岩場は鎖を伝ってよじ登った。そして前剱の頂上へ。その先に剱岳の巨大な岩山が控えていた。

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前剱のガレ場


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別山、剱沢をバックに前剱を登る


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絶景を登る登山者


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前剱のガレ場の詰め


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前剱頂上 富山湾が見える

剱岳はすぐ目の前だ。しかしここからが核心部。再びコルまで下って難所続きの岩場を抜けていかなければならない。ここからは登りと下りが一方通行になる。登りにカニのタテバイ、下りにカニのヨコバイがある。この先にそのカニのタテバイが待っている。前剣を下ると早速難所が待っていた。長さ4m、幅の狭い足場のような橋だ。橋の下は両側が切れ落ちており極度のスリル感。橋を渡ったすぐ先には垂直な岩が待っている。鎖があるとはいえ数十mの壁。緊張の通過だった。絶壁のトラバースは今回初めてだったため、思い起こせばここが一番緊張したかもしれない。

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剱岳がすぐそこ 左下が恐怖の足場の橋


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ここから一方通行


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恐怖の橋を渡る


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頂上に手が届きそう この先にカニのタテバイがある


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下山中の女性 ここを過ぎれば核心部終了

その後は平蔵の頭で岩場の通過が連続した。雪渓を残す平蔵谷をはるか下に見ながら進んだ。本峰も近づいてきたころ、垂直な岩を登っている人々が見えてきた。カニのタテバイだ。その光景は巨大な大岩でクライミングしている以外のなにものでもない。いよいよ鬼門が近づいてきた。

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平蔵の頭はクライミング


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平蔵の頭は一旦登って下ります


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カニのタテバイ全容

平蔵のコルを過ぎ本峰に取りつくところがカニのタテバイだ。見上げるとなるほど高さはあるが、鎖や足場もあり、スラブ状でもなく手がかりがたくさんありそうな岩場だ。渋滞もなく後続のパーティ数名と一緒に登り始めた。鎖もあり微妙なところには足場の杭が打ってあったりで特に問題なくクリアした。ガイドさんの言うとおり緊張感の賜物かもしれない。

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カニのタテバイに取り付く


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カニのタテバイ 完全にクライミング


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カニのタテバイの詰めは絶壁のトラバース


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カニのタテバイの上も岩場

タテバイを過ぎて前の人の後を追って急坂を登った。落石が起こりそうなピークを越えるとカニのヨコバイの真横に出た。実はここ、ルート外で後ろから来た有名ガイドさんに注意されて戻ったが、ヨコバイの状況をつぶさに観察できる絶好のポイントだった。まさに下山中の人々による”最初の一歩”の瞬間が目の前で繰り広げられていた。そこはほぼ垂直な断崖絶壁で上から見ると”最初の一歩”の足場は見えないだろうと思われた。なるほど、小屋の人が「勇気をもってのぞきこんでください」といっていたのはこのことだ。

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カニのヨコバイの真横


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カニのヨコバイ 最初の一歩


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かなりの高度感

そこを過ぎたあとは通常の山道。頂上目指して進むだけだった。早月尾根との分岐の看板を過ぎると祠が見えてきた。そうして、祝、剱岳登頂!

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最後の詰め


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早月尾根分岐


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早月尾根 尾根上に早月小屋が見える 早月川が富山湾に注ぐ


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頂上の祠が見えてきた

明治40年に柴崎測量隊の第一陣が登頂してみると、山頂には奈良時代のものと思われる鉄剣と錫杖(シャクジョウ)の頭、岩穴の中には焚火の跡があったという。初登頂と思われていた剱は1000年前にすでに修験者によって踏まれていたことが明らかに。その後発展した立山信仰によって「死の山、針の山であり、登ってはならない山」とされ長らく登られなかったのだろう。

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頂上の祠 富山湾が一望できた


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???

我々と同じタイミングで有名ガイドさんとお客さんの1人が登頂。その後もぞくぞくと登ってきた。

「あ!ガイドの●●さんですよね!」

「はい」

「いやー、ビデオで何度も見てます。うれいいなー、こんなところでお会いできるとは」

一人の登山者が声をかけると頂上は一時大騒ぎになった。

このガイドさんとは2日目の夕食でとなりになり、剱にまつわるいろんな話を教えていただいた。写真も達人でカレンダーやポストカードも販売されている。

頂上からは雲は多いものの360度見渡すことができた。三角点も確認し少しばかり『劒岳 点の記』の心境。柴崎測量隊の登頂ルートは長次郎谷だった。あまりの険しさで三等三角点の石標を荷揚げできなかったため四等三角点を築いた。のちにこの三等三角点はヘリで運んだそうである。

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八つ峰と鹿島槍


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点の記 三等三角点


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白馬岳方面を望む

喜んでばかりもいられない。帰りはカニのヨコバイが待っている。下山開始。ヨコバイの上部に着いた。かなりの高度感だ。絶壁がスゴすぎて上から下は見えない。さっそく”最初の一歩”を伸ばした。鎖があるので問題ないが、なかったらとても踏み出すことはできない。

「右足からだよ」

カミさんから指摘が。あれほど右足からと言い聞かせていたのに左足をおろしていた。あわててやり直して右足を岩棚に掛けた。なぜ右足かというと、2歩目が左側だから。単純。左足から行くと足を置き換えなければなりません、、、この余計な動作が事故のもとです。それにしてもかなりの高度感。無心に鎖を伝って横に這っていった。まさにカニのヨコバイだ。無事に通過。タテバイよりこっちの方が怖いかな?

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いよいよカニのヨコバイ


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足元はこんな感じ 矢印の下に第一歩を置きます


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下を見られません

その先も気が抜けない。はしごの懸かる断崖を下ったり、平蔵のコルの岩場を登ったり下りたり。登りと下りは一方通行なのであの怖い橋はない。橋の下の方を安全にトラバースできるようになっていた。前剣のふもとに着くとようやく一息つけた。

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こちらも名物のハシゴ

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平蔵のコルにある小屋 今はトイレのための囲い


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カニのタテバイ・ヨコバイ全景


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平蔵の頭の下山を登る?


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剱岳を後にする


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ケルンがある広場


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剱岳を振り返る

しかしこの先に事故が多い例の前剱のガレ場の下りがある。まだまだ気が抜けない。その前剱の下りは、よく登ってきたなと思うぐらいの急坂。おまけにガレ場ときている。石がごろごろしていて浮石も多い。落石にも注意しながら慎重に下った。下りはかなりの筋力を使う。ある女性は終始尻もちをつきながら下りていたほど。いよいよ膝が笑ってきた。眼下の眺めは絶景。剱沢を中心に立山の山々が大パノラマを展開していた。眼下に剱澤小屋と剣山荘が模型のように見えていた。

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これから前剱をくだる


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前剱の下山


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前剱を振り返る


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手前に剣山荘、奥に剣澤小屋 ミニチュアのよう


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リンドウ

そして無事下山。山の神さまに感謝です。

剣澤小屋までもう直ぐだ。その前に鉄板構図を狙いに剣沢におりてみた。まだ雪渓が残りその先にさっき頂きを踏んだ剱岳がその雄姿を見せていた。この光景、この達成感。やはり剱は日本屈指の山である。

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雪渓残る剱沢と剱岳


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雪渓と剱岳


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雪渓残る剱沢と剱岳

山に限ったことではないが、達成感や印象は困難さに比例する。この剱岳、数ある山の中でも屈指の満足感を得ることができるでしょう。なるほど、多く人々が魅了されるわけである。

夕食前、斜光を浴びた剱岳が圧巻で迫っていた。これほど見飽きない山もないだろう。

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斜光の剱岳


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小屋の前から

3日目。里への下山の日。今日は午後から台風で大荒れ予報。夜明け早々に小屋を発った。少し寄り道して剣沢の方へ行ってみた。台風の予兆であろう荒々しい雲がちょうど光で照らされた。雲はオーロラのように美しく輝いた。この色はほんの30秒ぐらいの出来事だった。

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朝焼けの剱岳


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朝焼けの剱岳


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朝焼けの剱岳

別山乗越を越えて雷鳥沢を下るとき、空には暗い雲が漂っていたが空気は妙に澄んでいた。くっきり見える大日岳の向こうにきれいな弧が見えた。富山湾である。能登半島のつけ根もはっきり確認できた。

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雷鳥沢の下り


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大日岳と富山湾

山道を下って雷鳥沢キャンプ場で一服し、待ちうけるのが雷鳥荘までの石段だ。いつものことながら苦行だった。やがて観光客と合流しながら室堂に到着。今回の山行、台風の間隙をぬいながら幸い雨に降られることなく終了となった。

剱岳、記憶に残る山です。

信越トレイルSection1 2018年9月

By , 2018年9月1日 11:35 AM

信越トレイルは、長野県と新潟県の県境にある標高1000m前後の関田山脈の尾根上に作られたロングトレイルでその距離80kmにもおよぶ。登頂登山が一般的な我が国において趣の異なるロングルートだ。全体を6セクションに区切り各々のコースをおよそ1日ずつ走破する形式。すべて踏破したら全線走破証が発行される。

今回は第1弾としてセクション1を歩いてきた。

 

セクション1は斑尾山山頂(1381.8m)が起点だが、実質はその登山口のひとつチロル前(約900m)からのスタートとなる。しょっぱなからゲレンデ内を500m直登。ここが今回の核心部?信越トレイル踏破という意味では2時間の消耗戦からセクション1は始まった。途中まで文明の利器=リフトを使う手はあるが、なんだかなーと。まあ、リハビリ、筋トレ、ダイエット・・・。理由をつけて登り始めました。

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幸い秋の空気が入っていて少し肌寒いぐらいでバテずに済んだ。夏も営業してるクワッドリフトはまだ運行前。ススキをかきわけてクワッド終点へ。そのあたりには眺望を楽しむことができるようにベンチが置かれている。実はこの斑尾山、かの有名な歌「ふるさと」のモデルとなったところ。「うさぎ追いしかのやま」のかのやま。スッキリ晴れていて関田山脈の主峰鍋倉山、野沢の毛無山、日本海まで見渡すことができた。
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その先から山道になり急登を進むと信越トレイルにぶつかる。そこから一旦スタート地点の斑尾山まで行き引き返してくる格好だ。そうこうしているうちに気温はぐんぐん上がり汗が吹き出してきた。きれいなブナの樹林帯を抜けるとやがて斑尾山に到着。山頂で食べた、前日温井の産直で買ったスイカが異様にうまかった。斑尾山頂付近の尾根はきれいなブナの林に覆われている。いざ出発。信越トレイルのスタートだ。
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往きに通った昇り口への分岐を過ぎて少しいくと視界が開けた。野尻湖を従えた妙高山と火打山が飛び込んできた。信越トレイル屈指のビューポイントらしく、記念撮影用にスマホを固定するホルダー付の杭があった。
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絶景を堪能後もブナの稜線を進んだ。ブナの木の高いところに看板が付けらているのが見える。「サクラカラー」とあるので相当古いらしい。「斑尾~妙高高原駅」と書かれているようでスキーツアーの標識らしい。ここ斑尾は昔からバックカントリーが盛んだ。なぜかこれまで、ゲレンデも含めてスキーで訪れたことがなかった。この冬はルートを開拓してみようかと。
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がやがやと話し声が近づいてきた。時折ドリフの大爆笑並みの笑い声も。ご高齢のご婦人パーティ10数名が元気いっぱい登ってきた。女人の元気なこと元気なこと。
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やがてゲレンデにでた。左がタングラム、右が斑尾だ。日差しが強烈になってきたゲレンデ内の急坂をしばらく下った。さっきのご婦人方、ここを登ってきたのだろうか?それであの元気さ?おそるべしである。
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標高差400mを一気に下ると舗装の車道に出た。万坂峠だ。
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再び袴岳までの登りが始まった。斑尾までせっかく登ったのに・・・。これがトレイルだけど・・・。
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万坂峠からはなだらかな樹林帯を登っていった。道沿いにはヘビイチゴがいっぱい。最初は杉の植林地だったが、進むほどにブナに代わってきた。1時間ほど登ると明るいブナの森に。全くノーマークだったがなかなか美しいところだ。山頂手前のブナの道は実にいい雰囲気だった。
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袴岳山頂にはベンチがおかれ、前方の藪は払われ、妙高山が一望できた。ここから赤池まで下ればセクション1は終了。ランチとスイカのデザートをとって出発した。
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ゆるやかな山道を駆け下りてしばらくいくと林道にでた。この林道、微妙な登りが続く。ゴール前の歩きが長く感じるのは世の常。もくもくと歩くと終点の赤池に到着。祝、信越トレイルセクション1終了。ここまで6時間。コースタイム通りだった。
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赤池からはセクション2の一部を通ってスタート地点のチロルまでクルマの回収へ。山道をどんどん下っていくとやがて湿原に出た。いくつかの中から「湿原中央トレイル」という、王道であろうルートを選んだ。尾瀬のような雄大な湿原風景が疲れた体を癒してくれるはず、と期待したが、そこは単なる杉の植林地の中、しかもずっと登り・・・。湿原のしの字もありゃしません。1時間強でクルマに戻れると思ったらとんでもない。2時間もかかった。最後のクルマの回収が今回の核心部でした、というのがオチということで。

次回は涼しくなったころ、テントでも背負ってセクション2、3と歩いてみようと思っております。

おわり

2018-4-29-30 鳥海山 千蛇谷~中島台ルート

By , 2018年5月12日 2:56 PM

連休を利用して念願だった鳥海山千蛇谷〜中島台ルートに行ってきた。
新山から中島台へくだるこのルート、我が国屈指のロングコースだ。
日帰りでピストンするツワモノもいるがわれわれは途中でのんびりテント泊。
連れが以前、祓川ヒュッテ~山頂~千蛇谷~中島台を滑った折、途中のブナ林に張られたテントの印象が忘れられず、というのがこの計画のきっかけだ。

■日時:2018年4月29日~30日
■ルート:中島台~950m付近テント泊~千蛇谷源頭(2000m付近)~滑降~中島台
■メンバー:KK、CK

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スタート地点の中島台駐車場の積雪はゼロ。
4月の高温で融雪が急激に進んだよう。
スキーを背負っての出発となった。
テント泊でただでさえ重いザックにスキーが加わった。

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中島台周辺の森は鳥海自然休養林で、リクリエーションの場として木道が整備されている。
「この先にスキー場があるんですか?」
すれ違う散策者が不思議そうにたずねてくる。
雪がまったくない森の中を、派手なウェアをまとってスキーを背負い歩いてくる姿には正直仰天だろう。
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赤川の橋を渡った。
融雪で水量が多いが、普段でも橋がなければ渡れない流れだ。
その先も木道が続く。残雪も出てきた。
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名物の奇形木「ブナのあがりこ」が目立ってきた。
奇形木の原因は定かでないが、付近に炭窯跡が多く見つかっていることから、雪上で伐採された幹から萌芽したためとする説が有力だ。
幹があがったところで子に分かれていることから「あがりこ」と命名。
中でもひときわ大きいのが「あがりこ大王」だ。
樹齢300年といわれるこの巨木は、林野庁の「森の巨人たち百選」にも選定されている。
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あがりこ大王

木道は「あがりこ大王」まで。
ここから藪こぎだ。
15分ぐらいの藪こぎでようやく雪がつながりスキーを装着。
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芽吹いたばかりの新緑のブナ林を気持ちよく歩いた。
小沢の急坂を詰めていくときれいなブナ林の台地に出た。
雪が消えたあちこちの湿地にはミズバショウが顔を出していた。
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ミズバショウが顔を出す

しばらく森の中を進むと、地形図でも明瞭な、赤川と鳥越川の間にある急坂の細尾根にでた。
割れた雪の下から轟音の鳥越川がのぞいていた。

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鳥越川

地元の高校生のグループがおりてきた。
引率の先生らしき方と言葉を交わした。
途中でテント泊する旨を伝えると、
「今朝登山していたらこの先の大地でテントが飛ばされてたよ。周辺のブナの枝もかなり折れてた。今朝まで風が強かったのかなあ?」
とのこと。
今では風はすっかりやんでいる。
今夜は大丈夫だろう。

細尾根を登ると初めてスキーヤーがおりてきた。
「七五三掛(しめかけ)のあたりはストップ雪だったけど、それ以外はいい感じのザラメでしたよ」
期待は膨らむ。

しばらくたどってきた赤川と鳥越川分岐点を横切った。
すると鳥海山が一望できるきれいなブナ林に出た。
今夜はここにお世話になることにしよう。
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赤川と鳥越川の分岐付近

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我々以外にテントはなかった。
鳥海山が一望できる風のあたらない窪地に陣取った。
これから鳥海山を独り占めしながらのんびりだ。

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一等地に設営

早めのディナーはきりたんぽ鍋。
鶏肉と野菜を煮込んで最後にきりたんぽを放り込む。

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きりたんぽ

夕食をとっているとどんどん日が暮れてきた。
背後の山に夕陽がさしかかると樹影がのびた。
正面の鳥海山も染まってきた。
雪面にのびる樹影と夕陽を浴びた鳥海山。
テント泊でしか味わえない絶景だった。
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真正面に鳥海山

日が沈むと月が昇ってきた。
月明かりはまぶしいくらいで、
鳥海山の輪郭を照らし雪面にブナのシルエットを映した。
こんな特級のテン場には滅多にお目にかかれない。
この夜、月照の鳥海を存分に堪能させていただいた。

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月照の鳥海山が目の前

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2日目。
4時。鳥のさえずりで目をさました。
寝床は快適で#3のシュラフとシュラフカバーで問題なかった。
スキーブーツのインナーを履いてシュラフに入ったが、夜中暑くて脱いだぐらい。
穏やかな夜でつくづく良かった。

コーヒーを飲みながらピンクに染まっていく東の空を眺めていた。
鳥海のてっぺんが輝いてきた。
そして山の端から光芒が放たれると、芽吹く直前のブナのあいだから太陽が昇ってきた。
雲ひとつない空。
今日もよく晴れそうだ。

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目覚める鳥海山

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これから千蛇谷の源頭まで行く予定だ。
標高差1000m。
大半の荷物はテントとともにデポ。
荷物が軽いので何とかなるだろう。
朝食の揚げ入りうどんを流し込み、すでに照りつける太陽を横目に出発した。
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谷の右岸のかなり端の方を登って行った。
右手には次から次へと見事なオープンバーンが現れる。
滑りが楽しみだ。
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稲倉岳をバックに

外輪山の壁を豆粒のような点が移動していた。
よーく見るとスキーヤーのようだ。
七五三掛の手前からトラバースで千蛇谷におりているようだ。
しばらくして同じ地点から複数の人がトラバースしていた。
スキーならではのドロップポイントなのだろうか。
滑落したら大変なことになりそうところにみえた。

3時間ほど登ると七五三掛の下部にあるこのコースの白眉ともいえる大オープンバーンが行く手を阻む。
さきほどトラバースしてきた数人のスキーヤーが直登ぎみに登っていた。
われわれも続いた。
比較的ゆるそうな斜面右側に回り込んで登った。

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大斜面を登るスキーヤー

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難渋しながら大斜面を登ると七五三掛が一望できるところへ。
七五三掛からは次から次へと登山者、スキーヤーがおりていた

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七五三掛

遠くに千蛇谷のノドが見えていた。
あそこを越えたら引き返そう。
薄雲がかかりだした空のもと源頭を目指した。
そのころからボーダーやスキーヤーが歓声をあげながら滑ってきた。

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ボーダー

ノドを抜け、伏拝岳が正面に見える地点で登高終了。
いよいよ滑降だ。
千蛇谷に視線を落とすと、はるか下界には日本海や発電風車が見える。
稲倉岳もくっきりだ。

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千蛇谷

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山を抜け海に向かっての大滑走が始まった。
大オープンバーンは爽快そのもの。
誰もいない大斜面を一気に滑りおりた。
滑っても滑っても現れる大オープンバーン。
これこそ鳥海の醍醐味。
山スキーの鉄板コースを堪能した。
そしてあっという間にテン場に到着した。

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千蛇谷大滑降

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気温はかなり上昇している。
雪で冷やしておいたノンアルコールビールがうまい。
テン場を撤収し重たいザックを背負って下山を開始した。
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この先は滑りを楽しめるところはなくひたすらスキーで移動だ。
高温で緩んだ雪は板が走らず若干苦行気味。
加えて負傷した膝への負担が気になりいつもどおりの動きがとれない。
ゆっくり時間をかけてブナの森を抜けていった。
そんな中、相変わらず美しいブナの森がせめてもの癒しだった。
残雪の森が射光によって美しさを増していた。
最後の沢筋についたわずかな残雪をたどるといよいよ雪が切れた。
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ここからは藪こぎであがりこ大王を経由し、その先は長い木道だ。
帰り道が異様に長く感じるのは山行の常。
今回はけっこうこたえた。
負傷した膝をかばったのか足の疲労はピーク。
スキーを付けた重たいザックがそれに拍車をかけた。
やっと見えたクルマの姿にすーと疲れも吹き飛んだ。
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なにより絶好の天気に恵まれた今回。
テント泊も交えた思い出深い山行となった。

鍋倉山で山スキーを復帰したのが3週間前。
今回もリハビリ山行の一環だったが、さすがにハードだった。

2018-4-21 燧ケ岳 山スキー

By , 2018年4月27日 6:42 PM

春の山スキーに出陣。
今回は燧ケ岳。

御池まで開通するのは例年5月の連休からなので、
ふもとの七入から登れるところまでいってみるつもりだった。
ボク的には途中のブナ平で残雪のブナの森が撮れれば満足、ってこともあった。
ところが金曜日の夜中に現地に行ってみると七入のゲートが開いていた。
道路には雪は皆無で、結局御池の駐車場まで行けちゃったという感じ。
翌日民宿のご主人に聞いたところ、われわれが通った日の午後に開通したらしい。
これはラッキー。
開通情報はweb上に出てなかったからか、御池駐車場はボクたちが一番乗りだった。

仮眠から起きるとクルマは2、3台。
早くもボーダーたちが出発していた。
支度しているとポツポツとスキーヤーが集まってきた。
登り口で支度中の方に話を聞くと、会津駒に行こうとしたがあまりの雪の少なさにこちらに来たとのこと。
今年の雪は少ない。


朝の御池駐車場

朝の御池駐車場

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夏ルートに沿ってスタート。
快晴の青空にギラギラと太陽が昇ってきた。
暑い。最初の登りでハードシェルを脱いだ。
最初の急登を越えると広沢田代だ。

登高開始

登高開始


快晴

快晴

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背後には会津駒がクッキリ

背後には会津駒がクッキリ

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広沢田代

その先にはもう一つ急坂が行く手を阻む。
そこを越えると一気に視界が開けた。
眼下には熊沢田代が広がり、その先には名山の燧ケ岳が貫録の姿を見せていた。
熊沢田代のベンチは雪から出ていてそこまでわずかな下り斜面。
みんながシールでおりるのを横目に、ボクたちはシールをはずして少しばかりの滑走を楽しんだ。
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広沢田代から登ってきた

広沢田代から登ってきた


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ダケカンバの樹


燧ヶ岳がみえてきた

燧ヶ岳がみえてきた


絶景です

絶景です

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燧ヶ岳をバックにスキーヤーが米粒のよう。
雄大さがわかる。

木道で休んでいると多くのスキーヤーが湿原のフチを登ってきた。
このルートは細かく調べてなかったが、どうやら彼ら、われわれが登った急坂を巻いているようだ。
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熊沢田代の先の急坂を登る。
暑さはあいかわらず。
アンダーシャツ1枚で十分だ。
森林限界を過ぎて胸突き八丁を懸命に登った。
最後にトラバースすると俎ぐらの直下に出た。

山頂下の急坂を登る

山頂下の急坂を登る


頂上をめざすスキーヤー

頂上をめざすスキーヤー


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青天に向かって

 

頂上には多くのスキーヤーが登頂を祝っていた。
とにかく風のない穏やかな頂上だった。
ハードシェルをはおる必要はない。
眼下にはぐるりと尾瀬沼、尾瀬ヶ原と至仏山、双耳峰の柴安ぐら、会津駒が岳が一望できた。
あまりの快適さに1時間ほどのんびりした。
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至仏山と尾瀬ケ原

至仏山と尾瀬ケ原

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柴安ぐらの向うに至仏山

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滑走開始。
頂上直下のオープンバーンをショートターンで快適に滑った。
熊代田代に向かってトラバースしながらいくつかの沢筋を下る。
下へ行くほどストップ雪状態。
ターンができない。
気温が上がりすぎて快適なのは頂上直下ぐらいだった。
あとはスキーが滑らず、若干苦痛気味に。
熊沢田代の東側の急斜面を滑って東ノ田代の雪原で休憩。
あまりの暑さにテルモスのお湯に雪を溶かして冷水にした。

山頂直下はサイコー!

山頂直下はサイコー!

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会津駒をバックに

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その先はひたすらトラバース。
途中、深い沢やブッシュで難儀しながらもなんとか突破。
広沢田代東面のきれいなブナ林となった。
けっこうな巨木もありなかなかのブナ林だ。
西側には沈まんとする太陽がのぞき光と影を演出していた。
高度調整ミスから、最後は若干登りながら無事駐車場に戻った。
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下界では季節外れの真夏日となったこの日、さながら夏スキーのようだった。

下山後は温泉、そして民宿の山人料理に舌鼓を打った。

2018-4-14 鍋倉山の森太郎

By , 2018年4月18日 10:32 PM

残雪の鍋倉山にいってきた。
久しぶりの山スキーだ。
昨年の2月にヒザの靭帯を損傷し6月に手術。
ケガから実に14ヵ月ぶりの再開ということになる。
ヒザはまだまだ違和感があって本調子といえないものの、なんとか無事に滑り降りることができた。

山スキー再開の地を鍋倉山にしたのにはワケがある。
この森の主、森太郎に会うためだ。
この大ブナの全容が見られるのは残雪期がベストだからだ。

 

越後湯沢から津南経由で向かった。
越後のスキー場は茶色の山と化していた。
豪雪で知られる津南も雪はほとんど消えていた。
117号線から鍋倉高原に通じる市道へ。
鍋倉山への拠点となる温井集落のあたりで田んぼの残雪がでてきたが今年は融雪が早いようだ。

温井集落の駐車問題で、今年から飯山市のご厚意で駐車スペースが設けられた。
この時期このスペースも閉鎖され除雪用の重機がとめられていた。

雪は切れていてスキーを担いでのスタート。
ショートカットできる林道にはかろうじて雪が残っていたが、スキーは履いたり脱いだり、倒木をくぐったりしながら抜けた。
関田峠に通じる県道には全く雪がなかった。


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スタート地点

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県道には全く雪なし

田茂木池の手前でスキーをはき、都立大小屋目指して雪原を進んだ。
小沢を渡ろうとすると竹竿に案内が付けられていた。
進入配慮のお願いだ。
昨年か一昨年ごろから通行規制が始まったとの話は聞いていた。
都立大小屋の周辺はれっきとした私有地であり、そこを次から次へとスキーヤーが通り過ぎる、またある者は野営をして不始末を起こす、困った末の苦渋の判断。
マナーは守りましょう。
関係者の方々が正規のルートにわざわざ赤旗を付けてくださっていた。
当初、小屋の前の尾根を登っての登頂を考えていたが、この赤旗をたどることにした。

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田茂木池手前からショートカット


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この先は私有地につき侵入禁止

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西から低気圧が近づいていたが、まだ青空がのぞいていた。
春の高原を気持ちよく進んだ。
オープンバーンを横切り緩やかな尾根にとりついた。
しばらく登ると夏道の分岐点に出た。
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これから登る尾根と向こうの尾根の間の谷に大きなブナが目立ちはじめる。
ここに森太郎と森姫がいる。巨木の谷と呼ばれているところだ。
尾根を進むと向こうの斜面にひときわ大きなブナが見えた。森太郎だ。
残雪の時期だからこその眺めだ。
緑の季節に来てもここまで見通しはきかない。
遠目ではその大きさはわからないが、周囲のブナと比べると一目瞭然。
周りのブナも結構な樹齢のブナなのである。
ヤドリギを従えながらも悠然と立つ姿は感動的だ。
森太郎には帰りに立ち寄ることにして頂上を目指した。

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森太郎が見えてきた


やはり大きな木だ

やはり大きな木だ

振り向くと苗場山、鳥甲山、毛無山が一望出来た。
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森太郎の谷の上部は美しいブナの森だ。
緩やかな斜面に大きなブナが立ち並んでいる。
この辺は新緑の頃もいいだろう。
トレッキングのパーティーが登ってきた。
スノーシューなしなので雪がしまっている証拠だ。
そして頂上到着。
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冷たい風が吹き付ける頂上を早々に後にした。
まずは森太郎へ向かった。
頂上から延びる沢筋をくだると美しいブナ林の緩斜面になり、気持ち良くシュプールをきざんだ。
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その先は一気に切れ落ちてボール状の谷になる。
そこに森太郎がいる。
しばらく横滑りしながら斜度の緩やかなところまで行った。
左側から回り込んだが、森太郎は沢筋の右岸のある。
森太郎には谷の上部右側に回り込むとすんなり行けるようだ。
詳しい人が滑ったのか、何本かのシュプールがついていた。
間近で見る森太郎は圧倒的な存在感。
根開けの穴も深かった。
無雪期は根に負担をかけるため近づけないが、すぐ近くまで行けるのも残雪のこの時期ならでは。
樹齢300年以上といわれる森太郎。
大きな枝が折れたりヤドリギがついたりと試練の時期を迎えているようだ。
しかし鍋倉の守護神として、森太郎にはいつまでもこの森を守り続けてほしい・・・と思わずにはいられなかった。
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森太郎の大きな樹幹


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まさに森の主の貫禄

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巨木の谷を抜けると若いブナの疎林帯となり、その先はオープンバーン。
適度なザラメ斜面を快適に滑り降りて今回の山行は終了。

ブナは芽吹きはじめていました

ブナは芽吹きはじめていました

久しぶりの山スキーはそれだけでも印象に残るが、森太郎がさらに想いを深めてくれた山旅だった。

2017年登り納め 安達太良山

By , 2018年1月6日 3:56 PM

2017年2月の山スキーで滑走中に膝ズレを起こし、これがのちに前十字靭帯損傷との診断。
諸々の状況から手術したのが6月末。そして半年がたち日常生活にはほとんど支障がなくなった。
その間、野山歩き程度はしていたが、今回久し振りの山登りとなった。
雪山歩きだったが特に問題なく終えることができた。
スキー復帰は最低でも術後8カ月といわれている。
2月にゲレンデ復帰できればとリハビリに励んでいるところ。

さて、いろいろあった2017年だが、登り納めが登り初めという珍しい年になった。
以前からねらっていた温泉が評判のくろがね小屋に泊まりながら安達太良山に登ってきた。

あだたら高原スキー場の奥岳登山口から登り始めた。
雪の登山道は多くの人に踏まれていてツボでも問題なかった。
しばらくつづら折りを登ると平坦になり勢至平に着いた。
積雪が深くなってきたためここでワカンを履いた。

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斜面をトラバースしながら進むと視界が開けてくろがね小屋が見えてきた。
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小屋までもう少し
 

小屋には続々と登山者が集まってきた。
圧倒的にハイカーが多く山スキーヤーは数人だった。
小屋は多くの人であふれテーブルとイスは陣取られていた。
今日も明日も満床らしい。

荒天で山頂を目指す人はいなかった。
みんな小屋の中で思い思いに過ごしていた。
熱めの温泉は格別で最高だった。
浴槽は三人がやっと。
シャンプーも石けんもなし。
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燃料はコークス
 

夕食は17:30。
それまで何をすることもなく実にぜいたくな時間を過ごした。

空が染まってきた頃、外に出てみた。
小屋の背後には夕陽を浴びる鉄山が迫っていた。
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夕陽に輝く鉄山
 

いよいよ夕食の時間。
名物のカレーライスだ。
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ちなみにおかわりは自由。ただし品切れあり。
たっぷり2杯いただきました。

夕食の後も談笑が続いた。
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 賑やかな山小屋の夜
 

われわれは早々に床についた。

 

朝方は寒さで起きた。
ストーブが消えるとさすがに寒かった。

6時ごろストーブに火が入ると徐々に暖かくなってきた。
風もなく穏やかな朝をむかえていた。
朝食は6:30。
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お世話になった小屋に感謝しつつ出発。
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朝日に染まる下界がのぞくくろがね小屋
 

アイゼンを装着して山頂を目指した。
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山かげから朝日が昇る
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振り返ると蔵王連峰
 

峰の辻付近に来ると雪面がクラストしていた。
一歩一歩アイゼンを咬ませながら進んだ。
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薄陽をバックに別ルートからの登山者が登っていた。
なかなかいい絵だ。
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薄曇りながら視界は良好。
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篭山を望む
 

もうすぐ稜線だ。
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にっぽん百名山安達太良山登頂。
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山頂標識の先に本当の山頂「乳首」がある。
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乳首までもう少し
乳首ではスポットライトに照らされた飯豊連峰が迎えてくれた。
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白銀に輝く飯豊連峰
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山頂の祠と飯豊連峰
この時期では珍しく穏やかな山頂だったようだ。
とはいえ冷たい風に指先と鼻先が痛くなり、程なく退散。

 

下山は五葉松平経由。
広々とした空の下、雪を踏みしめ歩いた。
山スキーの下山は堪らない楽しさだが、のんびり歩いて下りるのも悪くないものだ。
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”智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。

阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。

あどけない空の話である。”

智恵子抄を想いながら安達太良を満喫した。

 

山歩きの復帰と登り納めは無事終了。

 

161022-23 黒部下ノ廊下

By , 2016年11月5日 7:26 PM

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「七月五日、阿曾原谷側坑道の岩盤温度は、工事開始以来の最高温度摂氏165度を記録、入坑した人夫がつづけて倒れたので工事を中断、排気に全力を注ぎ、三日後に坑内温度が10度近く低下したので漸く作業を再開することができた。その頃から技師の大半は、異常な熱さに切端までたどりつくことができなくなっていた。ただ根津と藤平は、水を浴びながら毎日二、三回は切端まで這うようにして坑道をつたわってゆく。そして、切端にたどりつくと、ホースの水を浴び腰をかがめて作業している人夫たちに、「いいか、熱さが辛くなったら早くトンネルの穴をあけるんだ。貫通したら涼しい空気も入ってくるんだから・・・」と、声を荒げて激励するのが日課になっていた。」(吉村昭「高熱隧道」より)

この小説は、戦時体制下の異様な空気の中、電源確保のための国家プロジェクトとして強行された黒部第3発電所と仙人谷ダム建設の困難を極めた隧道工事を描いた記録文学である。掘削する岩盤が摂氏165度にも達した、これが小説の題名になったが、この工事は高熱下での過酷労働のみならず、黒部峡谷という並はずれた険谷で人を襲った自然の猛威も圧倒的リアルな筆致で描かれている。

「高熱隧道」に衝撃を受けた私にとって、会員から出された計画は実に機をとらえたものとなり、幸運にもこの秋、下ノ廊下を訪れる機会に恵まれたのである。

下ノ廊下を辿る前に、この険谷に先人達が挑んできた歴史を紐解いておくのも無駄ではないだろう。諸々の文献を参考に要旨をまとめてみた。山行報告のまえにすこしだけおつきあい願いたい。

「高熱隧道」の舞台であり世紀の難工事が繰り広げられた欅平(けやきだいら)から仙人谷ダム(せんにんだにダム)までに加えて、その上流の黒4ダムまでの黒部川上流域は通称「下ノ廊下」と呼ばれ、「白竜峡」「十字峡」「S字峡」などの景勝をもつ絶景の地として知られている。下ノ廊下に沿った等高線上には登山ルートがつけられているが、これは仙人谷ダム建設や黒4ダム建設調査のために拓かれた径で、上流側の黒4ダムから仙人谷ダムまでを「旧日電歩道」、仙人谷ダムから欅平までが「水平歩道」と呼ばれ、現在も関西電力によって整備されている。関西電力が黒部ダムの建設を決定した際、中部山岳国立公園内であるこの地にダムを建設する条件として、登山者のためにこれらの歩道を毎年整備することが国から義務づけられ、以降関西電力は毎年数千万円、延べ数百名の人員を投じて維持・補修を行っている。整備が終了すると検査を経て富山県警察山岳警備隊や関西電力から開通が発表されるが、残雪が減少する初夏になってから整備が始まる関係上、開通するのは例年9月下旬頃であり、また11月に入ると凍結や積雪が始まることから、1年の中で通行可能なのは秋の1-2ヶ月間ほどに限られる。残雪が多い場合は数週間しか通行できなかったり、昨2015年のように整備が間に合わず開通しないままの年もある。実は今年も開通発表されていないことが道中に判明したのだが・・・。

このルートは一般的な登山道とは異なり登り下りは少なく全体的に平坦であるが、黒部峡谷沿いの断崖絶壁に沿って長い道のりを歩く危険箇所の多いコースである。黒部川左岸断崖絶壁にわずかな隙間をうがつような形で敷かれ、岩壁から太い針金を垂らして木をぶら下げ桟道代わりにしていた箇所もあったという。その後狭あいな箇所が拡幅されて現在の道になったとはいえ狭いことに変わりはない。山側に手すり代わりの針金が張られてはいるものの道幅は最狭部は50~60cmしかなく、足元から谷底まで100m以上の断崖絶壁が続く。丸太を数本渡しただけの桟道や危険な崖を数十m巻くための丸太の梯子がかけられている箇所もあり、間違って足を踏み外そうものなら大ケガ以上の惨事が待っている。「黒部では怪我をしない」といわれた所以である。

黒部を舞台とした小説に関電トンネルの難工事を描いた「黒部の太陽」があるが、時代背景の違いや技術の進歩があるとはいえ、「黒部の太陽」を陽で近代的とするならば、「高熱隧道」は陰で人間臭い前時代的な印象を強烈に残している。「黒部の太陽」の大破砕帯はトロリーバスで一瞬で通過できるが、「高熱隧道」の下ノ廊下は自らの足でしか歩けないということもこの思いを一層深めるだろう。

今回の計画は、黒4ダムから旧日電歩道と水平歩道を下って欅平に抜けるものだった。評判通りの絶景とスリルが次々と展開する充実の山行となった。以下「高熱隧道」の表現も借りながら、私の拙い写真で下ノ廊下の魅力を伝えることができれば有難い。

■山行日時:2016年10月22日(土)~23日(日)
■メンバー:ムラさん(L)、部長、CK、KK(記)
■コース:
【1日目】 (扇沢→ トロリーバス)→ 黒部ダム→ 旧日電歩道→ 十字峡→ 仙人谷ダム→ 阿曽原温泉小屋(泊)
・歩行時間:黒部ダム8:00→ 阿曽原温泉小屋16:00
・車は扇沢→宇奈月まで回送サービス利用

【2日目】 阿曽原温泉小屋→ 大太鼓→ 仕合谷→ 欅平(→ トロッコ電車→ 宇奈月→帰京) ・歩行時間:阿曽原温泉小屋4:50→ 欅平9:50

 

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朝焼けの紅葉が映える扇沢

 

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関電トンネルを抜けると立山が一望

 

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部長を探せ。
この人、人、人・・・今夜の小屋が思いやられる。

 

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出発。

 

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人気のコースだな~。

 

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黒4ダム。今でも日本一の高さを誇る

 

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断崖絶壁を行くアリの行列

 

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紅葉が見事

 

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こんなところが随所に

 

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紅葉の内蔵助谷と丸山の岩山

 

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イワナが群れていた

 

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連瀑

 

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このスケール感

 

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いよいよ核心地帯へ

 

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この絶景の中を歩く

 

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怖~~~。

 

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「大ヘツリ」ハシゴで巻く

 

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大ヘツリの上から。怖~~~。

 

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大絶景

 

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まだまだ続く

 

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別山谷出合

 

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おいおい、通れるのか?

 

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断崖に立つ

 

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白竜峡のあたり?

 

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ザイルが張ってあったところ

 

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「北アルプスの北半部にある黒部渓谷は、本州の中央部に位置していて、丁度細長い本州の南北から地殻的な圧力をうけているかのように隆起現象にさらされ、それ自身の造山活動の激しさに加えて夏の豪雨洪水と冬の豪雪雪崩による地形の浸食によって、谷は深く崖は急峻をきわめている。殊に欅平から上流は、道をつけようにもその足がかりさえなく、猿やカモシカなどの野生動物もたどることはできない地域だった」(高熱隧道より)

 

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十字峡。左から剣沢、右から棒小屋沢、右下から黒部本流。奇跡の造形だ。

 

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剣沢にかかるつり橋

 

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垂直に切れ落ちる断崖

 

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コの字型に掘られた歩道

 

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S字峡

 

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黒4発電所送電口

 

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東谷のつり橋

 

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仙人谷ダム「日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2000選」

いよいよ高熱隧道の舞台へ。

 

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え?まだ開通してなかったのね。

 

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関電施設の中へ

 

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高熱隧道の最上部。熱気のためすぐレンズが曇る

 

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この高熱岩盤を幾多の犠牲のもと掘り進んできたのだ。無言で姿をさらすトンネルが歴史の重みさらに重厚なものにしていた。

「客観的に、あるいは歴史的・社会的に言えば、あの巨大なエネルギーを犠牲にしつつ高熱隧道を完成させた原動力は、国家の軍事目的であった。しかし、すべての戦争ははかなく終る。わがくにの15年戦争すらもその例外をなすものではなかった。それに対して、ひとたび完成された隧道は、あたかもそれが自然の一部分に組み込まれたかのように、戦争を超えて遥かに永く生き延びる。黒部渓谷をつらぬくあのトンネルは、それじしんが戦争のために利用されるのを黙って見続けて来たが、それにひきつづく時代にはやがて戦後のいわゆる<平和産業>のためによろこび迎えられる時代をも過ぎ、さらにそれにひきつづく時代の公害産業の原動力を提供することになるじぶんじしんの皮肉な運命の変転をも、あいかわらず黙って眺めつづけている。三百余名の人命を内に呑み込んで、崇高ともみえ、醜悪とも言いうる凝結した風貌をさらしながら。」(久保田正文「高熱隧道」解説より)

 

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人見寮。紅白のため中島みゆきが宿泊したらしい。

 

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急坂をおりるとテントの花が咲く

阿曽原小屋到着

 

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阿曽原温泉。すし詰め状態。服を脱いで浴槽の周りで順番待ちをした。

野天にただ浴槽があるのみ。野趣あふれるとはこのこと。

 

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20人ほどが入れ替わりの夕飯。20分の時間制限あり。その間カレー食べ放題。

 

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夜のテンバ。隙間なし。
この日の小屋は定員50名に対して100名。一つの布団で2人だった。

 

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5時前に出発。まだ真っ暗。いきなり急登です。 その後水平歩道へ。

 

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オリオの大滝

 

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堰堤の中のトンネルを通る。

 

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まさに”水平”歩道

 

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水平歩道とオリオ谷

 

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水平歩道の核心部へ

 

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コの字型に削られている

 

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大太鼓。河床まで数百m

 

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まるで空中散歩だね。

 

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大太鼓から覗く

 

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志合谷。ここで泡雪崩が起きた。

 

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雪崩と鉄砲水の巣である志合谷にはトンネルが掘られている。

 

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志合谷宿舎跡。 隧道工事の工夫用宿舎として建てられたが、有名な泡(ホウ)雪崩によって吹き飛ばされた。鉄筋造りの1-2階部分は現在も残っている。

 

「見て下さい、ないんです」
藤平たちは、伊与田の指差す方向に眼を向けた。
「なにがないんだ」
根津が、反射的に叫んだ。
「宿舎です。宿舎がないんです」
伊与田の声は、甲高くふるえていた。 短い叫びが、根津たちの口から一斉にもれた。 藤平は、ハンマーで背中をどやしつけられたような激しい衝撃を感じながら眼を凝らした。志合谷宿舎は、坑口の近くに高々とそびえ立っていたはずだ。荒々しいコンクリートの肌をむき出しにして、いかつい姿で立っていたのだ。が、雪のちらつく夜空の淡い明るみをすかして見上げても、鉄筋五階建ての角張った建物の影は見えず、遠く切り立った渓谷の岩壁の輪郭が黒々と迫っているだけであった。(「高熱隧道」より)

轟音とともに一瞬のうちに宿舎が消えた。いったい何が起こったのか。人間の理解をはるかに超えた事態が描写されている。

このあと泡雪崩の想像を絶する破壊力が明らかになっていくわけだが、志合谷泡雪崩事故に関する調査レポートからその状況を引用する。( 「黒部渓谷志合谷のなだれ研究Ⅰ:志合谷のなだれ予備調査」http://hdl.handle.net/2115/18203)

黒部峡谷では厳冬期に支流の谷々から高速なだれが頻発するが、志合谷はその代表的な谷のひとつとして著名であり、特に昭和13年の暮、その下流部右岸にあった日本電力の工事宿舎を襲ったほうなだれの威力は、常識をはかるに超えたものであったという。(記録によれば、宿舎は1、2階が鉄筋コンクリ一ト、3、4階が木造合掌造りであった。昭和13年12月27日午前2時10分頃、突然、一大音響と共にまず屋根が引剥がされ、続いて落下して来た大なだれのため、3、4 階の木造建築は就寝中の人夫73名を容れたまま吹きとばされて行方不明となり、残った1、2階もコンクリート壁の一部が倒壊して9名が圧死した。吹きとばされた3、4階は志合谷下流部を殆ど水平に横断し、宿舎と同じ高さの尾根を飛び越し、更に黒部川本流を越して水平距離約600mを飛行し、奥鐘山岩壁に激突粉砕してなかの人夫は全員死亡した。宿舎の行方が判明したのは、事故発生後2カ月以上経ってからであった。

泡雪崩は、とにかくすさまじい破壊力を持つことがわかる。しかし、その破壊力を発生させるメカニズムについて論理的に理解できる情報をwebでは見つけられず今後の宿題としたい。

ちなみに「高熱隧道」には以下の記述がある。

「泡雪崩は、異常に発達した雪庇の傾斜に新雪が降った折に発生するが、一般の底雪崩のように雪塊の落下ではなく、雪崩れる際に、新雪の雪の粒と粒の間の空気を異常なほど圧縮して落下するものである。そして、突然障害物に激突すると、その圧縮された空気が大爆発を起し、爆風は、音速の三倍毎秒1000メートル以上の速さをもつ可能性も生れる・・・・」

 

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大鐘山西壁。ここに対岸から泡雪崩によって600m飛ばされてきた志合谷宿舎が激突したのだ。とても想像できない。

 

いよいよ水平歩道も終点がちかい。欅平まで急坂を一気に下る。

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どこかのサイトで見た看板。もうすぐコース終点の欅平だが、健脚以外の方は黒部ダム方面へ延々30km引き返せという意味か?下の看板に左向きの矢印がいるでしょ。

 

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猿がお出迎え

 

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もうすぐゴール。
いや~、歴史と大自然を満喫した充実の2日間でした。 おつかれさまでした。

 

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トロッコ電車。一両貸切でした。

 

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8号線に出てタラ汁屋さんへ

 

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富山県朝日町名物のタラ汁。鍋ごと出てくる。タラが一匹丸ごと入っている。

 

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絶品でした。

 

おわり